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支援に100点を求めない
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今回は「支援に100点を求めない」をテーマに書いてみたいと思います。
私はケアマネジャー(以下:ケアマネ)歴13年になりますが、今でも上手く支援できていないと感じることは日常茶飯事。
「もっと〇〇出来たら」「もっと〇〇が噛み合えば」「もっと利用者に理解して貰えれば」「継続出来れば〇〇が変わる可能性があるのに」等々感じることは日々あります。
「今すごくいい支援が出来ている」と感じる時というのは利用者・家族との関係性もサービス事業所とのチーム連携も全てが噛み合っている感覚があるのですが、そう感じられるのは2割程度。
その他ほとんどの支援で「もっと」と感じることがあります。
でも、「もっと」と感じているのは私自身に他なりません。
利用者・家族からは何の申し出も意向も表出していないのであれば、それは「合格点」なのだとも思います。
今日はそんなお話です。
改善を100点にしない方が良い
ある程度の経験値が貯まってくると利用者の状態に応じてパターンが見えてきます。
「AさんのこのパターンはBさんの時と同じように経過しているからこのままいくときっと〇〇になってしまう」
そのようなパターンがいく通りにもあるので「〇〇を利用して〇〇を支援させて頂ければ〇〇の改善が見込めるのに」と感じることも少なくありません。
とは言え「Aさん」は「Bさん」ではないので、思っている通りに改善するとも限りません。
もちろん可能性としては改善する確率は低くないのですが、AさんとBさんを一緒くたに考える方が危険だと思います。
自分の中で「改善した」という認識があるからこそ、改善=100点というイメージに繋がってしまう。
その100点の支援(Aさんの支援)を同じようにBさんに当てはめるのは、ただ100点(改善)を求めるだけの支援でそれをBさんが望んでいるかはわかりません。
経験値が貯まれば貯まるほど利用者をパターン化して「一緒くた(ごちゃまぜ )」にしてしまう可能性があることを理解した方がいいのかもしれません。
チーム作りも100点を求めない
同様に経験値が貯まると「良い支援」だと感じた経験も増えてきます。
これも前述したのと同じようにAさんでは100点だったチームもBさんでは60点になるという可能性もあると思います。
そもそも100点のチームというのは利用者とサービス事業所、ケアマネ等の支援者が噛み合ってこそ。
それぞれの相性があるので、支援者側の連携が100点であったとしても利用者がそれを感じてくれなければ「100点」にはならないわけで…。
逆に支援者側の連携が50点であっても、利用者が「最高の支援を受けている」と思ってくれればそれは「100点」にもなりえます。
要するにケアマネ自身が感じる100点にこだわる必要はなくて、利用者にとって100点を目指せるように自分が出来ることを一生懸命やる意識が大切で、その結果がケアマネから見て「70点」であっても良いのだと個人的には思います。
「もっと」を求めることは悪いことではないけれど…
利用者の支援において「もっと〇〇出来たら」と求めることが悪いことではありません。
むしろケアマネ自身が「もっと良い支援をしたい」と考え続けることは必要だと思います。
しかし、そこに「正解」はありません。
自分が100点だと思っても利用者が50点だと思えば「50点」ですし、自分が50点だと思っても利用者が100点だと思えば「100点」です。
何が言いたいかと言えば「ケアマネは自分が感じる100点ではなく、利用者が感じる100点は何なのか?」を利用者個々に探し続ける必要があるということ。
ケアマネ自身が感じる「100点」はケアマネのエゴでしかないことを理解する必要があると私は思います。
今日の記事は自分自身に向けた記事でもあります。
私はどうしても過去に良い支援が出来たと感じた「支援内容やチーム作り」を求めている節があると最近感じることがありました。
自分の100点ではなく、利用者にとっての100点に目を向けられるように意識していきたいと思います。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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