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「心地良い」を変えていくと「変化」する

どーもカイゾウ(@kaizo777)です。

今回は「自分の『心地よい』を変えていくと『変化』する」をテーマに書いてみたいと思います。

私はありがたいことに人から「意識が高い」と言われることがあります。

でも当の本人である私は自分のことを「意識が高い」とは1ミリも思っていません。

むしろ意識が低く、変化が嫌いで、出来れば「変わりたくない」人間だと理解しています。

ではなぜ「他者」から見た私と「自分」から見た私に違いがあるのか??
意識の「高い」「低い」って何なのかを考えてみたいと思います。

今の自分をもっと「良くしたい」「変わりたい」と思っている方には参考になると思います。

なぜ周囲からは「意識が高い」と見られる?


これは「自分」の心地良さと「他者」の心地良さが異なるからだと思っています。

私は日常をルーティン化して、同じような流れで物事を行うことが「出来るように」なりました。

筋トレをすると「決めれば」毎日同じ時間に同じ回数を行いますし、散歩すると「決めれば」定期的に散歩もします。

「自分で『決めて』『行動』している『だけ』」なんです。
そしてそれが「心地良く」なった。

元々そう感じるタイプだったかと言えばそうではありません。

こうして毎週noteで記事を書くのも初めは辛かったですし、筋トレもウォーキングも好きかと言われればさほど好きではありません。

では何故続けられるようになったのか?

それは自分の「心地良い」が変わってきたからだと思います。

今まで「面倒」だと感じていたことを、習慣化して続けることで「やりたい」ことに変化した。

ようはそれまで何となく無意識でやっていた「テレビを観る」や「漫画を読む」「ダラダラする」という時間を削って、習慣化したいものに充てただけ。

初めはテレビを観たくなりますし、漫画を読みたくもなる。ダラダラしていた方が楽だけど「その時間は何になるのか?」と考えた時に答えが明確に言えなければ「面倒だけど習慣化」したいものをやる。

すると時間と共にそれが「やらないと気持ちが悪い」という感覚になります。

こうなった時に人は「意識が高い」と見られるようになるのだと思います。

満足しなければ変化し続けられる


私は「意識が高く」見られはしますが、結果はさほどついてきていません。

何かを「成し遂げる」ほどの変化はしていないと思っています。

それは私が今の生活、今の自分の行動に「満足」しているから。こうなると人の変化の速度は弱まるのだと思います。

以前はもっと「自分を変えたい」「お金持ちになって良い生活がしたい」と躍起になっていた時もありましたが、心底自分の生活を一変したいのかと問われれば、それほどでもなかったのだと思います。

もし本気で「お金持ちになりたい」という欲求が強ければ、きっとそうなっていたと思うので…。

でも今「お金持ち」にはなっていません。ただ、生活にも困ってはいません。

私は「お金持ち」になりたかったわけではなく、「生活に困りたくなかった」のだと思います。

世の中で「何かを成し遂げる」人というのは、「何か」のレベルが段違い。
これが「意識の高さ」の違いなのだと思います。

「何か」を成し得る「過程」に「心地良さ」を覚える。
そして、その「心地良さ」をすぐに「捨てて」次の「心地良さ」を求めて行動できる人が「何かを成し遂げる人」なのだと私は思います。

私の場合「何かを成し遂げること」や「お金持ち」になることに今はそれほど興味がないことが分かりました。

でも、自分を「成長させたい」という欲求は常にあります。

だからこそ「今の自分よりも悪くなること」だけは避けたい。悪くならない為の「心地良い」の変化は必要だと思っています。

自分自身に「満足」はしていないので、「変化」を続ける行動が出来るということです。

「変化しない人」は本当は「変わりたくない人」


「今の自分が嫌い」「自分を変えたい」
そう思っている人は多くいるのだと思います。

でも変わらない人というのは「心の底から変わりたい」訳ではなく、今の自分を「認めて欲しい」だけなのかと思います。

それは私がそうだったので…。

人から評価される自分に「変わりたい」だけであって、変わりたい「何か」が明確にあるわけではない。

だから変わらないのかなって…。

でも、人からどれだけ評価されても、まずは「自分を認めない限り」嫌いな自分から変わることはないのだと思います。

私はそれが少し出来るようになってきたので、以前ほど自分が嫌いではなくなりました。

それと共にきっと「なりたい自分」が出来たら「なれる」とすら思っています。

最近気づいたことですが、人は出来事に対して咄嗟に反応する「自分の感情」のことを「自分」と感じていると思いますが、実際には「その感情を認識している自分」が「自分」なのだと思います。

ちょっと何言っているか分からないですよね?

簡単に言うと、怒りっぽい人が何かを言われて怒りが湧いたとします。
ここで何も考えずに怒りを表現すれば「短気な自分」となります。

「私は短気」で片付けるのは簡単ですが、本当に「短気」なのでしょうか?

怒りに対して咄嗟に反応している自分が自分なのではなく、それを認識し「表現している自分」が自分です。

なぜなら怒りが湧いた時にきっと自分の中で、その怒りを発散させるという行動を取っているから。きっと「止める」を選択できる自分が必ずいるはずです。

自分の感情に「気づき」「止める」を選択できるようになれば「短気」ではなくなります。

これは一例ですが、これと同じようなことを繰り返して「理想の自分」が取る行動を繰り返していけば「なりたい自分」になれるのだと今は思うようになりました。

「今の自分」はこれまでの自分でしかありません。

「変わりたい」と思えば変われるでしょうし、「変わりたい」と思っていても変わらないのであれば、それは心底「変わりたい」とは思っていないのだと思います。

きっと人は自分が思っている以上にシンプルです。

私は「今の自分」に満足しています。だからこそ、少し立ち止まっているのも確かです。

もし私が次に「変わりたい」と思う時が来たら、それは「今の自分」とは異なる自分になれると思っています。

そう考えると私が「変わりたい」と思う時が来るのが少し楽しみでもあります。

今「変わりたい」と思っている方はそのエネルギーが本物であればきっと変われると思います。

ぜひ自分の変化を楽しんで!

私もその時が来たら全力で変わろうと思います!
いつ来るかはわかりませんけど(笑)

今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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カイゾウ@現役在宅ケアマネ14年目
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