利用者のふり見て我がふり直せ
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今回は「利用者のふり見て我がふり直せ」をテーマに書いてみたいと思います。
最近私が担当させて頂いている利用者を見ていて「私も気をつけなきゃ」と感じることがありました。
自分の過去の経験や実績をいつまでも忘れられない人がいます。
「俺の時は○○だった。だから○○するのは普通だろ」
言っていることは一理あって理解が出来ないわけではありません。とは言えそれが誰にでも当てはまるかと言えばそうではない。
視野が狭くなればそういう思考になりやすいと常々感じます。
結論「感謝を忘れず常にわが身を振り返る」です。
見ればわかるだろ?それくらい察してよ。
私が担当させて頂いている男性利用者。独居生活をしています。
難病を患っており、独居生活にも不安があるようで頻回のヘルパー利用を強く希望されケアプランを作成しました。
もちろん介護保険で全て対応することは難しいので自費サービスも併用してほぼ毎日午前・午後ヘルパーに来て貰っています。
それだけの回数ヘルパーが来れば毎回同じ担当というわけにはいかず、数名のヘルパー。数カ所の事業所で対応して頂いています。
本人の体調がツラいのも理解が出来ます。心細さもあるのでしょう。
機嫌の波も大きく、私も何度か怒鳴られています。
ヘルパーには「分からなければ先ずは聞いてよ」とおっしゃいますが、実際に聞くと「見たら分かるでしょ?そんなことも分からないの?」「普通に考えたら○○じゃない?それくらい察してよ」等と冷ややかな応対をしている様子。
それも人を見て対応を変えているようで、ヘルパー事業所のサービス提供責任者には「○○さん(ヘルパー)面白いよね。○○が出来なくてさ。つい○○って言っちゃったよ」と冗談ぽくお話されますが、実際ヘルパーにはかなり冷たく当たっているようで度々ヘルパーが音を上げます。
そんなことを繰り返しているので、事業所側から断られたこともありますし、ヘルパーが数名訪問を拒否し今ではサービス提供出来るヘルパーがかなり少なくなってしまいました。
とは言え本人の言っていることが理解できない訳ではありません。
ごもっとも。だからこそ質が悪い。
利用者の言っていることは正論です。
確かにその通りと頷けることも少なくない。
言われた方は逃げ道がないので、謝るほか対応のしようがありません。
でも本人は「別に謝って欲しい訳ではないんだよ。やることやってくれれば良い」と言う。でもその「やること」というのは本人の匙加減や機嫌で変わることも少なくありません。
上手く立ち回れる方は「ごめんなさいね~。私気が利かないんで教えてください」などと言いながら適当に受け流して対応してくださいますが、真面目な人ほどダメージを受けてしまう。
正論ではある。だからこそ質が悪いわけで…。
もちろんヘルパーに非がない訳ではありません。「確かにそれくらいは出来ないとまずいよね」と利用者の話を聞いていて思うこともあります。
ようは「伝え方」であったり「感情をぶつける」行為が相手(ヘルパー)を追い詰める原因になっている。
感情的を横において相手へ自分がして欲しいことを「丁寧に」伝えることが大切なのだと思います。
正論が「正しい」訳ではない
正論は「道理としては正しい」と捉えられます。言っていることはごもっとも。
でもそこに「相手」がいるのであれば、相手の気持ちに配慮した上で皆が納得できなければ、本当の「正論」とは言えないのかもしれません。
相手の気持ちに配慮して、自分の感情を適切に表出して相手に伝えることが出来てこそ「正しさ」なのだと私は感じました。
私自身、以前は「正論=正義」と思っていた時期があります。
そんな時って人に対する感謝も薄いですし、自分を振り返ることもしないんです。
だって「自分が正しい」と思っているから。
でもそれではいずれ人は離れていきますし、人は一人では何も出来ないので、どれだけ正しいことを言っても何も出来なければ何の意味もありません。
とは言え、今度は自分の気持ちや考えに蓋をしてしまっても意味がない…。
その加減が今の私には課題です。
自分の考えや思いを相手に上手く伝えること。それは「正論を振りかざす」こととは真逆に位置しているのかな~と思うようになりました。
私は色々な利用者を担当させて頂いて日々勉強させて頂いていると常々感じます。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。