世界には自分しかいない
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今回は「世界には自分しかいない」をテーマに書いてみたいと思います。
良くSNSなどで他者の意見や考え方に対して「否定」から入る人や「自分の意見が正しい」と言わんばかりに攻撃的にコメントしている人を目にする事があります。
これはSNSだけではなく、日常でも時折目にする光景だと思いますがこのような他者に対して否定的であったり攻撃的に接する人って「自分と他人が同じ世界に住んでいる」と勘違いしているのかな~と思ったので、僭越ながら私の思うことを書いてみたいと思います。
結論としては「『世界』は人類の数だけあって、同じ世界で生きている人なんていない。だから正解なんて存在しない」です。
自分の見ている世界が全人類共通??
皆さんはどう考えますか?
世界に存在する様々なモノを見ていても感じ方は人それぞれ。
例えば「缶コーヒー」
缶の大きさや材質など表面の「缶」に対しては共通して感じ取れることはあれど、味や色味に対しては人それぞれ異なった感じ方をされると思います。
「甘い」コーヒーでも、それを「甘い」と感じるのか、「甘い」と感じてもどの程度の甘さに感じるのかは一人一人異なっていると思います。
例をたまたま目の前にあった「缶コーヒー」で例えましたが、これと同じことが日常の様々なことで起こっています。
先ほど「大きさ」や「材質」は「共通して感じ取れる」と書きましたが、これも大まかな話で「細かい」部分については千差万別。
要するに人が見ている世界は人間が存在する数だけあると私は思っています。
これは視覚的な話だけではなく、価値観なども同じ。
大多数の人が「感動した」という映画があったとして、その映画の「何がどのように」感動したのかは一人一人異なります。
例え「同じ場面・同じセリフ」に感動したという人がいたとしても、「感動」の感じ方は千差万別。
世の中にあるヒト・モノ・コトに対して全く同じように感じている人間は世の中に存在しません。
自分と同じように「感じる」人間が世の中に存在しないとなれば、自分の見ている世界は「一つ」しか存在せず、「世界には自分しかない」ということになると私は思っています。
自分の世界が「正解」ってあり得る??
自分と同じように感じ取れる人が世の中に存在しないのに、何故「自分の世界」が他者の世界と比較して「正しい」と言い切れるのでしょうか??
自分の価値観と異なる価値観を持った人がいて、何故「自分の感じ方・考え方・価値の捉え方」が自分の方が優れていると言えるのでしょう?
世の中に「正解」があるとしたら、数字で表現できるモノくらい。
数字もあくまで人間が作った秤なので本当の「正解」が何なのか説明できる人がいるのなら話を聴いてみたいと思います。
きっとその話を聴いても私は理解出来そうもありませんが…(笑)
人は自分が経験してきたことの中でしか「判断」が出来ません。
これは人から聞いた話でも、自身が調べたことでも同じだと思います。
「自分」が取り入れたモノを超えて物事を判断することって出来ないと思います。
要するに「自分の世界」の中でしか「判断」って出来ない。
それなのに「正解」と言い切っている人の根拠って何なのでしょう??
1つの意見として「私はこう思う」はありだと思います。
私が今こうして綴っているモノもあくまで「私はこう思う」です。
これが正解とは思っていません。
世の中に存在するモノ全て「自分」とは異なるモノです。
自分という生き物が2つとして存在しないのと同じように、自分と同じように感じて同じ質量で「感じられるモノ」なんて存在しない。
「似た」考え、「似た」捉え方、「似た」感情を持っている人は多く存在するのかもしれませんが、それだって「似ている」だけで「同じ」ではない。
要するに世界に「正解」なんて存在しないと私は思っています。
戦争だって、お互いに「正しい」と思うモノがあって、それがぶつかり合っているから争いになっている訳で、お互いを尊重し「正しい」をぶつけ合うことなくお互いを「理解」することにエネルギーを向ければ争う必要なんてないのだと思います。
世界は人の数だけ存在する
「同じ世界で生きている人はいない」
だけど、物質的な世界が一つであるならば、お互いの「世界」を尊重することから始める必要があるのだと思います。
相手の世界が分からないのであれば「分からない」ことを否定や攻撃するのではなく自分が「理解」が出来るか考える。
考える気も起きないのであれば、黙っていればいいだけの話。
人の世界に足を踏み入れて「私の世界が正しい」と主張しているって何とも滑稽な話だと私は思います。
「正解」を主張するって「私の価値観に合わせろ」って言っているのと同じではないかと思うのは私だけ??
近い価値観の人同士で楽しく過ごすのは良いと思いますが、異なる価値観の人を否定や攻撃するのは全くのお門違い。
様々な価値観を認め尊重し「理解」しようと考えることが最終的には自分の成長に繋がるのだと思っています。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。