見出し画像

「セロリ」の歌詞から感じること

どーもカイゾウ(@kaizo777)です。

今日は土曜日なので今思っていることをツラツラと書いてみたいと思います。

記事の最後には今週の記事まとめを貼りますので、宜しければそちらだけでも見て頂けると嬉しいです。


最近ふと頭の中に流れる歌詞があります。

昔SMAPが歌っていた「セロリ」の冒頭の歌詞です。

育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ
夏がだめだったりセロリが好きだったりするのね

ソングライター:Masayoshi Yamazaki

この歌って男女関係を歌っている歌だと思うのですが、実際は男女関係なく「人」に当てはまるものだと思っています。

世の中の自分以外の人すべて、家族であろうと「育ってきた環境」は異なります。

自分の父親・母親だっても元は他人ですし、兄妹だってそれぞれの視点が異なるので同じ出来事を経験したとしても感じ方は異なります。

そう考えると「居心地の良い」環境や人、出来事や仕事などにもし出会えているのなら、それはとてもありがたいこと。

同じような感性を持っていたり、その場にいる人々が相手を思いやって「居心地良く」してくれているから不快感なくいられるわけで。

当たり前ではないのだと思います。

逆に「居心地が悪い」と感じた場合。果たしてそれはそこにいる「他人」のせいなのでしょうか?

もし「他人」のせいだと思うのであれば、環境を変えれば良いだけのこと。
でも大概環境を変えても「居心地の悪さ」は変わらなかったりもします。

そうなるとそれは「他人」のせいではなく「自分」のせい。

「自分」が勝手に居心地悪いと思っている。もしくは「自分勝手」であることに気づいていないが為に他人からも「勝手」にされている。

ようは与えて貰うことが当たり前で自分から与えようと思っていないのが原因ということもあります。

「不平不満」ばかりを言っている人は「自分」という存在を棚に上げて物事を言っていることが多いように感じます。

そもそも自分に合わないのであれば環境を変えれば良いだけ。

それでも自分にとって居心地の良い場所に出会えないのであれば、それは世の中が悪いのではなく自分が悪いのだと思います。

SNSを見ていても、不平不満や匿名で他人に文句を言っている人がいますが、きっと「自分」が見えていないのだと思います。

これは自戒でもありますが、私自身も相当意識しないと「自分」が見えなくなります。

「自分を見る」とは自分を通して周囲を見ることや他人の反応で自分を感じるなどではなく、俯瞰して「第三者視点」で自分を見ることだと思います。

自然に出来ている人もいるのですが、多くの人は学ばないと理解が出来ないことだと思いますし、意識しないとすぐに「自分視点」になってしまうものだとも思います。

人は感情の生き物。

体調や季節、出来事や他者の影響ですぐに「自分視点」に戻ってしまうものです。

だからこそ、意識して「今自分が感じている感情」は何からきているものなのかを感じとる必要があるのだと思います。

そして、社会で生きるのであれば「育ってきた環境が違う人」同士が集まっていることを忘れずに、深く考える必要もあるのだと私は思います。

性格曲げてまで気持ち抑えてまで付き合うことはないけど、どうせなら多くの人と分かり合える人生の方がきっと楽しいですから。

今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。

今週の記事まとめ


いいなと思ったら応援しよう!

カイゾウ@現役在宅ケアマネ14年目
宜しければサポートをお願いします!頂いたサポートは私のクリエイターとしての活動費に充てさせて頂きます!一層のヤル気に繋がること間違いなしです!