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「桜貝の落陽」


シナリオ「さくら色の落陽」

─波音。
─波間に揺れる月明かり。
 ガス灯の明かり。
回っている灯台の明かり。

─男の嗄しゃがれ声が入る。
声「─綺麗だね。久しぶりだ。港
 も─」

婦人。妻、燈子(すみこ)ソフト 
 フォーカス越しの様な映像。以
 下、ずっと。

老齢の男。究(きわむ。78歳)
 ─薄いサングラスを掛けてい
  る。
─燈子に眼差しを移し、
究「─君も─いや、むしろ君が美
  しい」
燈子。にこやかに微笑む。
燈子「─ありがとう。いつも優し
  いのね。あなたも素敵よ」
究「─ありがとう」
 唐突に振り返り怪訝けげんに目線
 を泳がせ、
究「─あ、まただ─」
 ─の目線の先に見える、同年代
  くらいの男。

究。眉間に皺しわを寄せ、
究「─何だって、僕らの後をつけ
  回すんだろ─」

燈子。笑って、
燈子「─どうしてかしらね。ま、
  気にしなきゃいいのよ」

究「─うん。しかしどこかで見た
  ような─」
 ─首を傾(かしげ)る。
  ─眼を戻し、
究「─歩こうか─」
燈子。優しく頷うなずく。
  ─波音。

レンガ通り

ガス灯の明かりに照らされ、
 ─寄り添いながら歩く二人。

究。そっと燈子の掌を引き寄せ
  る。
燈子。笑みを浮かべる。

究「─後悔してない?こうなって
  しまったこと─」
燈子。笑って首を振る。
燈子「─何言ってるのよ。もうどれ 
 だけ時間が過ぎたの─それともあ
 なたは、後悔してるの?」
 ─悪戯(いたずら)な眼差しで覗
 き込む様に究を見る。

─ピアノ曲、静かにイン。

ラウンジバー─
─シャンパングラスを傾ける究。

カウンター。から、
 ─訝しげいぶかしげに究を見てい
 るマスター。

究「ちょっと小腹がすいたね。」
 ─右手をあげ店員を呼ぶ。
究「─パスタにする?それともピ
  ッツァ。いつものマルゲリー
  タがいい?」
燈子。にこやかに頷き、
燈子「あなたのお好みで─」

究。も笑みを返し、店員を見上
  げ、
究「─じゃ、マルゲリータを」
店員「かしこまりました」
 ─頭を下げ去る。
─店内に流れているピアノ曲。

究「─あ。この曲。何だっけ─」
燈子「─ポロネーズよ」
究「─そうだ。君の好きな曲だっ
  たね─ショパンの」
燈子。笑みを浮かべる。

─ピザが運ばれてくる。
究。店員に頭を下げる。が、首を
  傾げ、
究「─足りないよ─?」
店員。究を見る。
店員「─は─?」
究「─取り皿が、一枚足りない
  ─」
店員。もう一度究を見る。
 ─短い間。
究「─早く持ってきて」
店員「─あ、はい─」
  ─曖昧(あいまい)に頭を下げ
  去る。
 ─怪訝な眼で店員を見送る究。

美味そうにピザを頬張る究。
─目線を上げて。

究「─進まないね。体調でも良く
  ないのかい─」
 ─不安げに燈子を見る。
燈子。小さく頭を振り、
燈子「─胸がいっぱいになるの。あ
 なたとこうして、デートする度─
 幸せな気持ちでね─」

究。飲みかけたシャンパンの手を
  止め、
究「─あ。─ありがとう。ごめん
  よ。僕は多分─退屈な男だか
  ら─器用じゃないし。君を楽
  しませてあげられないね─」

燈子。じっと究を見つめる。
 ─突如その眼差しが潤み、涙が
 こぼれる。

─ポロネーズ、急激に遠ざかる。

究。慌てて、
究「─ど、どうした─」
 ─立ち上がり掛けた時、飲み差
  しのグラスを手前に倒す。

テーブル。から、
─滑り落ちるグラス。
 ─無声音で床に砕ける。
─よろけ膝から崩れ落ちる究。
 ─画面。不安定に暗転して、同時
 に、
「さくら貝の歌」遠くからイン。

・地面から、立ち上る灰色の煙。
・表情乏しく歩く人々。
・兵服の男たち。疲弊(ひへい)し
 た足を引きずる様にして歩く。
・頭陀袋(ずだぶくろ)を持ち、忙
 (せわし)げに働くモンペ姿の女
 たち。
・配給の食料を広げ手際良く分け
 ている。

焼け野原。に、
 ─立ち尽くしている復員。

 ─若き日の究(20歳)。右目に
 眼帯をしている。

─「さくら貝の歌」。

究。悄然(しょうぜん)と、
究「(呟く)何だ。ここは─」

声「(突如)─み、水─く、れ
  ─」

究。驚愕し声の主を探す。
 ─の足首を、
掴んでいる汚れにまみれた手。

究。思わず足を引く。

恨めしげに、究を見上げている老女。
老女「(嗄れ声で)─どこからき
  た─」

究。生唾を飲み、
究「─え」
 ─老女を見下ろす。

老女「─ここの世のものではない
 な─早う、去(い)ね─」

究。老女を見ながらおずおずと後
  ずさる。
 ─空を見上げる。

夕陽─見事に空を染めている。

究。
 ─その耳に、
「さくら貝の歌」徐々(じょじょ) 
 に高まる。

瓦礫(がれき)
 ─の中に立ち尽くしているやは
 り若き日の燈子(23歳)

燈子。胸に両手を合わせ姿勢正し
 く「さくら貝の歌」を唄ってい
 る。
 ─その美しい歌声。

究。思わず眼を閉じる。突如、
 ─身体がよろける。
 ─の下げている鞄を、

懸命に奪おうとしている子ども。

究「─何をするっ!─」
 ─振り払う。
─倒れる子ども。
 究を見上げる。悲しげなその眼
 差し。

究。ちょっと考え、鞄の中を探
  る。
 ─何やら油紙に包まれた物を差
  し出す。

包。に包まれたサツマイモ。

子ども。ひったくる様にそれを手に
 する。
 ─走り去る。その様子を見ていた
 ─燈子。─歌を止め、究を見つめ
  る。

子ども。離れた場所から究に手を
   振る。

究。─初めて笑みを浮かべる。

遠くから「ポロネーズ」イン。

燈子の声「─優しい人だった。昔か
 ら─」

ラウンジバー(現実)
 ─膝を上げ立ち上がる究。

店員。慌てて駆け寄り割れたグラ
 スを片づけ始める。

究。辺りを見廻す。
 ─首を捻る。

究「(呟く)僕は、何をしてた?」
 ─店員に丁寧に頭を下げて、

究「─いや、申し訳ない─」

店員「大丈夫ですよ。お怪我はあ
 りませんでしたか?」
究「─あ。はい」
 ─もう一度頭を下げ、テーブル
  を見る。

燈子。─が居ない。
 ─短い間。

究。店員を見、
究「─あ?─燈子─いや、妻は
  ─」

店員「─は?」
 ─究を見返して首を傾げる。

声「─何だろう?入店してから、ち
 ょっとおかしくないか?様子が
 ─」

カウンター。
 ─他の店員二人がこそこそ話し
 ている。

究。所在なく椅子に掛ける。
片づけが済み去りかけた店員に、

究「─妻は、トイレかね─」

店員。再び首を傾げ、曖昧に頷き
 去る。

究。残りのシャンパンを自分のグ
 ラスに注ぐ。

カウンター席。に、
 ─掛けている究と同年代と思しき
 男。正木(まさき)。
 ─コーヒーを飲みながらを時折
 窺う様に究を見ている。

燈子の声「─どうしたの─」
燈子。いつの間にか席に着いてい
 る。
究。相好(そうごう)を崩して、
究「─ピッツァも冷えてしまっ
 た。代わりを頼もう」

燈子。笑みを浮かべゆっくり首を
 振る。

究「─いや、しかしまだほとんど
 何も口にしてないじゃないか─」
 ─不安げに燈子を見る。

燈子「─だいじょうぶ。もうたく
 さんよ─」

究「─そうか。君がそう言うなら」
 ─ふと笑みを浮かべ、

究「─さっき、何故だか夢を見た
 よ─」

燈子。笑って、
燈子「─あら。不思議ね。起きて
   るのに─」

究。頷き、
究「─君の夢だった。─初めて出逢
 ったあの日の─。さくら貝の歌を
 唄ってた─美しい声で─」

燈子「─さくら貝の歌─懐かしい
 わ─」

究「─もう一度、聴きたい─」

燈子。優しく見返す。

究「─なあ。さっきは何故、─涙
 を─」

燈子「─あなたが、あまりにも優
 しいから─」

 おもむろに立ち上がる。
─画面、すっと暗転しスポットが燈
 子に。

燈子。唄いはじめる。
 ─澄み切ったその歌声。唄いな
  がら、
 ─その目元に浮かんでいる涙。

究。じっと閉じたその目尻にも光
 るもの。突然、

天井から。舞い降りて来る桜の花
 びら。

イメージ(一瞬)
 ─川面。を見下ろし佇む二人。
─「さくら貝の歌」

究の声「(若い)綺麗だ─」

イメージ(一瞬)
─若き日の燈子。
 美しいその横顔。

記憶
─橋の欄干。に、
 佇んでいる若い二人。

燈子。の後れ毛が風に靡(なび)
 く。
究。水面を見下ろしたまま、

究「─綺麗だ。花筏(はないかだ) 
 も─いや。むしろ、君が─」

燈子「─ごめんなさい─いけない
 ことに巻き込んでしまった─」

究「─悔いはないよ。─正木には 
  僕からきちんと─」

燈子。俄(にわ)かに潤んだ眼差し
 を俯け、
燈子「(かすれて)本当に、─ご
 めんなさい─」

二人の眼下を、
 ─流れる花筏。花びらたちの
 淀む情景。
声「─どう言う意味だ。よく分か
 らんが─」

居間(正木の家)
 ─深々と頭を下げている究。

正木。曖昧に笑みを浮かべ、究を
 見下ろしている。
 ─小さく咳払いをして、

正木「─何だよ。何を詫びる─」
 ─間。

究。緊張したその顔に、
燈子の声「─わざわざ、すみませ 
 ん─」

正木の家(記憶)

燈子。林檎の皮を剥き始める。

究「─いや、しかし大したことな
 いようでよかった─」

燈子。笑みを浮かべ、
燈子「もう痛がり方が酷くて、救
 急搬送されたんですのよ」

究「術後、暫く入院だね─」

燈子。手元に視線を落としたまま
燈子「─はい。でも胆石くらいで
 よかった。本当に─」
 ─つい、と手元が滑る。

燈子「─あ、─」
 ─左の人差し指の先に滲む血。
 見る見る流れ出て来る。

究「─いけない。上潮(あげしお) 
 だ。─」
 ─急いで自分のポケットからハン
 カチを取り出し燈子の傷口を抑
 える。

燈子「─あ、ありがとうございま
   す─」

究。抑えたハンカチを見つめたま
  ま、
究「(掠かすれて)また、さくら貝
 の歌を─聴きたい─」

燈子。

究「─あなたの歌声を─できれば
 ─いつも─」
 ─左手をおずおずと伸ばし、震
 えながら燈子の肩に触れる。

現実(正木の家)

究。目線を上げ、
究「─話した通りだ。─しかも、お
 前が─不在の折に、─」
 ─再び頭を下げる。

正木。その表情がみるみる険しくな
 る。おもむろに浮かび上がるその
 憤り。

正木「(精一杯抑えて)ふざけてん
 だよな─?─冗談、だよな─?
 ─」
 ─煙草を咥(くわ)え掛けた口元
 が震える。

究。身じろぎしない。
   ─長い間。

正木「(震えて)ふざけんなよ。竹
 馬の友の─貴様が─そんな─ふざ
 けんなよ─な─同じ日に赤紙が届
 き─砲弾を一緒に潜り抜けた─貴
 様、が─」
 ─必死に何かに耐えている。

縁側(究の家)
 ─針仕事の手を止め、茫然と究を
 見上げている妻、かや(26 歳)
   ─長い間。
かや。小さく息を吐き、

かや「(力なく)そうですか─わか
 りました─仕方ありませんね」
 ─その肩が小さく震える。

かや「(消え入りそうに)お世話
 になり─ました─」
究。蒼白(そうはく)にかやを見下
 ろす。

声「─悔いてるのね─」

現実(ラウンジバー)
燈子。にこやかに究を見ている。

究。俄かに狼狽(うろたえ)える。
究「─い、いや。そんな─そんなわ
 け─ある筈ないじゃないか─」
燈子「(笑って)嘘おっしゃい。お
 鼻がひくついてる」

究。曖昧に目線を逸らせ、グラス
 に口をつける。

燈子「お綺麗な方でしたものね」
 ─悪戯な目線で見つめる。
 ─「ポロネーゼ」─間。

究「─幸せに─やっとるさ─」

イメージ(一瞬)
 ─かやの笑顔。
究「─あいつが─正木が─ついてお
 る─」

イメージ(一瞬)
 ─項垂(うなだ)れていたかや。
突如、
 ─響き渡るバイクの騒音。

窓外
 ─を、走り抜けるバイクの集団。

燈子「(笑う)若さ、ね─」

究。その耳に突然、
─突撃ラッパの旋律。同時に、
─けたたましい銃声。

記憶(戦場)
正木と究。

けたたましい
─爆撃音。
土を掘り起こしただけの要塞。

─正木の頭を咄嗟(とっさ)に抑え
 る究。
─降下してくる戦闘機。
─掃射。

究。正木に身体ごとを被せる。

轟く爆音─

右目の機能を失した究。
─白濁(はくだく)したその眼。

正木の声「─俺はな。生涯を貴様に
 感謝せねばならんのだ。その眼と
 俺の、この命に誓ってな─燈子に
 ─気持ちを─確かめる─」

究(現実・ラウンジバー)
 ─サングラスの向こうの焦点の
 定まらぬ眼差し。
声「─な。ああしてずっと独り言
  を言ってる。薄気味悪いなあ  
  。お引き取り願うか─」

正木。カウンターで目を上げて、
正木「─最愛の奥さんを亡くしてね
 ─もう、三年になるが─時が止ま
 ったままなんだ─今日が彼女の命
 日でね─すまない。あのままにし
 てやってくれ。迷惑は掛けない。 
 責任は持つよ─親友なんだ─俺の
 ─」
 ─その顔に、

正木の記憶
(究の元家)
 ─垣根の向こうで、
・鉢植えに水遣りをしているかや。

正木。ぼんやり見ている。

喧しい蝉の鳴き声。

照りつける強い陽射し。

かや。目眩(めまい)がし、ふと膝
 から崩れる。

正木。

正木の声「─大丈夫ですか─」

寝間
 ─敷布団の上にいるかや。

かや。不意に目を開け身体を起こそ
 うとする。
 ─慌ててそれを抑える正木。
正木「急に起きちゃいけない─」

かや「─すみません─」
 ─大きく息を吐く。

正木「─ずいぶんと─痩せてしまわ
 れた─」

かや。ぼんやりと正木を見る。

正木「─以前、お見受けした時より
 も─ずいぶんと─」

イメージ(記憶)
 ─座卓を囲み和かに食事している
 四人。究とかや。正木と燈子。

かや。
  ─長い間。

かや。静かに反対側を向く。
 ─その眼から涙がこぼれ落ち
 る。

現実(ラウンジバー)
正木。その脳裏に浮かぶ、

遺影─若き日のかやの笑顔。

正木。振り返る。

─ぽつねんとテーブルにいる究。
 懸命に独り言を呟いている。

正木。その顔に弱々しい、
かやの声「─あなた。たくさんをあ
 りがとう─本当に─ありがとう
 ─」

究。無人の席に向かい、笑みを向け
 ている。

正木の記憶
 ─食卓に並んだかやの手料理。

かや。笑みを浮かべ、
かや「─今日は阿羅(あら)が上手
 に炊けたわ。よかった─あなたの
 好物ですものね─」

正木の声「─かや─何でもよかった
 ─お前が拵えるもの─何でもが─
 ご馳走だった─」

イメージ(一瞬)
 ─かやの遺影。

正木の声「─ふかし芋。山菜の天ぷ
 ら、カツレツ─栗ご飯─赤だしに
 麩(ふ)の味噌汁は殊(こと)に
 絶品だった─どれも工夫したが─
 真似できずにいる─かや─馳走に
 なったな─かや─かや、─かや
 ─」

病室(記憶)─じっとかやの手を握
 りしめている正木。

かや。懸命に眼を上げて、
かや「─ごめんなさい。何も残して
 あげられない─子宝さえ─ごめん
 なさい─」

ラウンジバー(現実)
正木。
─究を見つめる。その眼から突
 然、
 ─涙が溢れ出る。

・どこからか聴こえて来る赤児の泣
 き声─

ラウンジバー(現実)

究。─振り返る。

─立っている幼い男の子。
 笑みを浮かべている。

究「─どうした。子どもが来るよう
 な所じゃないぞ。─お父さん、お
 母さんはどうした─」

幼児。
 ─じっと究を見つめる。

究。燈子に目線を戻し、
究「─迷子かな」

燈子。不意に顔を歪め首を振る。
 ─その瞳から、
 ─見る見る溢れ出す涙。
究「─どうした─」

幼児。
 ─究の上着の袖を引く。

究。じっと幼児を見つめる。
 ─長い間。

燈子「─遥、よ─」

究。幼児を見つめる。
  ─長い間。
 ─その顔に、
声「─育ち切らなかったんです─」

記憶(産院)
 ─茫然と顔を上げる燈子。その
  瞳が見る見る潤む。

医師「(淡々と)お腹の中で育ち切
 らなかった。残念ながら─。性急
 に施術の必要があります─」

究。

手術室─点灯している「手術中」の
 文字。
 ─調度の良くない長椅子に掛けて
 いる究。
 ─不安げなその顔に、

究の声「─すまん。銭が無かった
 ─」

究。

究の声「─この歳になって職探しに
 喘ぎ─二人分の糊口(ここう)を
    凌ぐのがやっとの今─」

イメージ(一瞬)
 ─懐妊(かいにん)を知った燈子
 の笑顔。

究の声「─先を─食わせて行くこと
 が─出来るのか─」

イメージ(一瞬)
 ─慈しむ様に腹を撫でる燈子。

究の声「─産まれて─産まれて本当
 に─大丈夫─なのか─」

イメージ(一瞬)
 ─愉しげにオムツを縫っている
  燈子。

究の声「─授かりものに掌を合わせ
 るどころか─養えるのか─そんな
 罰当たりな鬼畜の、意気地のない
 ─愚かが─神に─裁かれた─」

究。手術室に向かい眼を閉じ、じ
 っと両の掌を合わせる。

究の声「─我が児を─殺し、た─」

診察室(施術後)
究「(やっと)お腹の子は、─女の
 子ですか─男の子、─でしたか
 ─」
  ─短い間。

医師。俄かに目を俯け、
医師「─男の子、でした」

経過観察室
 ─横たわる燈子。その掌を、
 じっと握り締めている究。
 あまりにも哀しいその風景─。

究の声「─言えん─燈子─(震え
 る)すまん─到底─言えん─」
究「─名をつけた─」

究の声「─すまん─。燈子─」

燈子。泣きじゃくっている。
究「─遥。─僕らにとって─永遠に
 ─これからも─」
 ─その眼からも、溢れ出す涙。

究「(詰まりながら)永遠に子ど
 もであります─よう、に─」

現実(ラウンジバー)
究。唾を呑む。

究「─はる、か─遥なのか─」
 ─震える指で幼児の手に触れ、
 驚き指を引く。

究「─つ、冷たい─」
 ─思わず立ち上がり、また膝から
 崩れ落ちる。

焼け野原(幻影)
 ─霧が立ち込めている。
─聴こえて来る「さくら貝の歌」
 美しい歌声。次第にはっきりと

究「─燈、子─?」
 ─歌声、ぴたりと止む。
究「─ここは─どこだ─」

霧の中─に、薄ら浮かぶシルエッ
    ト。若き日の燈子。

燈子「─あなた。ありがとう─ずっ
 と、いつまでもわたしを愛してく
 れて─」

究「─夢か─また夢なのか─」
 ─シルエットに近づき触れようと
 指を伸ばす。が何故か届かない。

─シルエット。徐々に明瞭にその
 姿を映し出す。

燈子。若き日のままのその姿。

究「─美しい。─燈子─」

燈子。笑みを浮かべて、
燈子「─帰り支度よ。─もう時間な
 の─」

究「─時間─?何の時間だ─?」
 ─短い間。

燈子「─あなたは今を生きる人。わ
 たしは─あなたの中に、生きてる
 ─」

究「─なに─何を、言うとる─」
 ─長い間。

燈子「─ここまでよ。あなたはも
   う戻らないとね─」

究。もう一度近づこうとする。
燈子。それを抑えるように右手で遮
 る。

究「─燈子─」

燈子。笑みを向ける。

究「─言えずにいたことが─ある
 ─」
 ─その唇が震える。

究「─僕は、─我が児を─遥を─」

燈子。つと究に顔を近づけて、
燈子「─ありがとう。ずっと、ずっ
 とあなたを─愛してる─今だけ
 よ。─今だけ、─さよなら─」
 ─唇を寄せる。
 ─そっと口づける。

究。
 ─ふとまた意識が遠退く。

現実(ラウンジバー)

テーブルについたまま、
・前のめりに突っ伏す究。
・グラスが倒れ食器に当たる。
─激しい物音。

正木。慌てて立ち上がる。
 ─究の元へ。

正木「究っ!おいっ!─」
 ─懸命に肩を叩く。

究。頭を起こし、ぼんやり正木を
  見る。

正木「─だいじょうぶかっ─」

究。擦(ず)れた眼鏡を直し、周り
 を見回す。

究「─正木、─」
  ─短い間。

正木「─分かるのか─俺が─俺が分
 かるんだな─!?─」

究。じっと正木を見つめる。
究「─どうした─」

正木「─気がついたか─気がついた
 んだな─?」

究。改めてぼんやり正木を見上げ、
究「─僕は、─何をしていた─」

正木。突如その顔がくしゃっと歪
   む。
正木「(やっと)─何でもない。お
 前はな─ちょっと─寄り道をして
 ただけだ─」

究「─寄り道、─」

正木。何度も頷きながら、
正木「─そうだ─(詰まる)寄道、
 だ─」

究「─そうか。─何だか、永い夢
  を見てた─気がする─」

正木。究の杖を取り肩を起こしてや
 る。

正木「─帰ろう─」

究「─あゝ。うん─」
 ─初めて笑みをこぼす。

遠くから、
  ─聞こえて来る霧笛。

レンガ通り─を、
─支え合うようにしながら歩く二
 人。

正木「─珍しいな。霧が立ってる
 ─」

究「─うん。─正木。僕は何故─
 港に来とる─」
  ─短い間。

正木「─今日がな。今日が─貴様の
 奥さんの命日だからだ。─奥さん
 はきっと、この場所が好きだった
 ─」

究。ふと立ち止まり正木を見つめ
  る。
究「─そうじゃった─燈子の─命
 日─」

正木「─そうだよ。来月は─また
  ─今度は─かやの、命日だ─」

究「─そうか。お前の─早いな─
 日の廻るのは─早い─」

正木「(笑う)─光陰矢の如し、
   だ」

究「─うん」

正木「─貴様も─俺も─ずいぶん
 と歳を重ねた─だがな。まだまだ
 やるべきことを残してる─」

究「─やるべきこと、か─」

正木「そうだ─」

究「─お前は─お前は許せるのか─
 大切な─掛け替えのない人を奪っ
 てしまった─僕を─許せるのか
 ─」

正木。立ち止まり、究を見つめ
 る。俄かに笑って、

正木「─何言ってる。お互い様じ
   ゃねえか─」

究「─うん。すまん─今更じゃが
 ─」

正木。究の肩を強く叩き声を立て
   笑う。

究「─ 正木─お前は、逃げたくな
 らんのか。─僕は─逃げ出したか
 った。戦からも─」

イメージ(一瞬)
遺影─微笑む燈子。

イメージ(一瞬)
究。目の前にある薬瓶。震える指
  で蓋を開ける。
  ─生唾を飲む。

究「人生からも─逃げ出しかけた
 ─」

正木「─ 何を言ってる。これから
 さ。俺たちはまだ、これからだ。
 俺はまだやるぞ。まだまだだ。胸
 の中で、いつもあの日の突撃ラッ
 パが鳴り響いてるんだ。」

遠くから、
 ─響いてくる突撃ラッパ。

正木「─ 示してやらんとな。次の
 世代にだ。俺らの轍(わだち)を
 ─必ず、伝わる─」

究。不意にその眼から涙が噴き出
 す。

究。詰まりながらやっと、
究「─うん」

・霧に霞むガス灯のぼんやりした明かりの中、

─もつれ合う様な二人のシルエッ
 ト。次第に遠ざかる。
 ─静かに忍び寄る、

「さくら貝の歌」(燈子の歌声)





      ─了─

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