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「今の自分を未熟だと再定義しないと成長できない」事に耐えられるかい?
音ゲーや格ゲーのプレイヤーの中に、一定数「苦しい」という感情を持っているプレイヤーが存在する。
これにははっきりとした理由がある。
それは、音ゲーと格ゲーには上達を目指すプロセスの中に自分で自分の首を絞める認知のプロセスが存在しているからである。
音ゲーと格ゲーにおいて、上達を目指すために最初にやらなければならない事は、今の既存の実力を未熟であると定義する事にある。
今クリアできているレベル。今叩き出せているスコアを未熟であると定義しなければ、上達はできない。なぜならば、今の現状で良いと納得した時点で成長は止まってしまうからである。
beatmania2dxにおける歴代スコア保持者はとにかくこれに苦しめられている。歴代トップのスコアが出た瞬間、そこを基準値としてそれ以下は未熟であると再定義され、その歴代スコアを超えられるかどうかが勝負どころになる。
泥沼の首絞め大会である。歴代トップから5位で十分なスコアだし満足しよう。とはならない。いつしかトップスコアは歴史となり、そのスコアを超えられない事は未熟となる。ここにbeatmania2dxの残酷さがある。
ストリートファイター6もある種の残酷さがある。
向上心があれば一生遊べるというと聞こえは良いが、それはつまり現状の自分を未熟だと思わなければ先に進めないという残酷さがそこにある。
ダイヤ1からマスターに上がるまで人がメンタルに苦しんでいるのは、1つ☆が増えても自分を未熟だと定義してまた上達しなければならないという「自分を常に未熟だと定義し続ける」プロセスの心理的負荷に耐えられない人が一定数いるという事だと思う。
上手くなる→上手くなった今を未熟だと定義する→また上手くなる→上手くなった自分を未熟だと定義する。をずっと繰り返さなくてはならない。これに耐えられるゲーマーは少ない。
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これは学問でもスポーツでもゲームでも何でも言えるんだけど、今の自分を未熟だと再定義するのを繰り返せる人間は本当に強い。一方で、プライドに束縛されて、これでもう十分だ。これでもう伸びしろは無いと思った瞬間に成長の可能性は断絶する。
今の自分の未熟だと再定義するには、プライドを捨てて、勇気を持って自分は未熟だと思うしか無い。これは難しい。つまり、納得するために上達する。学問を収めたのに、自分を未熟だとまた再定義しなければならない。
納得と満足のために上達を求めた人間は実は弱い。納得してしまったら最後。そこで成長は止まる。そういう人間をいっぱい見てきた。
今の自分を未熟だと再定義する勇気は、君にあるのか。それを数百回繰り返して、まだ続ける勇気があるのか。学問も技術も、本当に人間が試されるのはそこである。
そういう事なので、未熟の再定義を、頑張ってやっていきましょう。
じゃあまた。
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