編集が全くされてない昔のyoutubeの空気感が好きすぎる
僕は昔のyoutubeが好きだ。
特に2011年~2013年辺りのyoutubeの空気感。これが本当にたまらない。
音楽も無い。テロップも無い。効果音も無い。薄暗い部屋でマイクの音もこもっていて、編集もあまりされずにただ淡々と商品紹介をしたりする。その空気感がとにかく好きでしょうがない。
今のyoutubeの編集は「テレビ化」が完了してしまった。
効果音は鳴り響き。編集は行き届き。照明は完璧であり、全てが機能的に完成されている。つまり映像として正しいのである。
でも、僕は今のyoutubeの映像表現に実はあまり肯定的ではない。確かに効果音があった方が伸びるんだろう。音楽が流れてテロップがド派手に印象付ける。でも、それはテレビがやればいいじゃん。と僕は思ってしまう。
僕は特に2013年辺りのヒカキンの素朴な編集が好きだ。淡々とした映像でありながら、映像の切り貼りの要が取り押さえられていて、実は情報の整理整頓が非常に上手い。自然に見れるから見落とされがちだが、2013年らへんのヒカキンの編集は異様に見やすさの調整が上手い。もっと評価されて欲しい。
ここ数年のyoutubeを見て、確かに編集は進んだ。でも、進むことで失われてしまったモノがあると。確かにそう思う。
この感覚って何だろう。って思ったんだけど、たどり着いた答えが「友達の家にいる感じを僕は求めてたんだな」って事に気づいた。
2013年頃のyoutubeって「友達の家に遊びに行って、友達の部屋で座ってボーっとしてる」感じに近いんですよ。
テレビ番組っていう「画面の向こう側にいるタレント」じゃなくて「友達の家に遊びに行ってる僕」っていう感覚で僕はyoutubeを見ていた。
だから、youtubeの編集のテレビ化が進んだ時に「友達だったのに、テレビ画面の向こう側に行っちゃった・・・」っていう寂しさを味わった。
2013年のあの頃。質素な編集のヒカキン。セイキンは、確かに「友達の家」だった。
同接1万の放送とかより同接90人ぐらいの生配信の方が好きなのもそういう事なんだと思う。寂しいんだな。俺って。という話でした。
んじゃ。
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