ヒトの能力とそれを醸成するために必要な〇〇
weekly thinking〜第九弾〜ヒトの能力
今だからできること
新型コロナの影響がどんどん広まっている状況ですが、そんなタイミングだからこそ浮き彫りになる課題と向き合ったり、対応に追われるだけではなく、心と頭のゆとりの中でモヤモヤ考えてみたり、できることをして、楽しく、そして未来への仕掛けをしていければと思う今日この頃です。このように情報発信から生まれるなにかもありますよね!!
さて、今回九回目は「続・シンニホンを読んで」と題し、前回触れられなかったところにも触れていこうと思います。
って新しい本読んでないんかーいと、自分がゆとりをもってできていないことを暴露してしましました笑
ま、本読むことだけがゆとりを持つことではないですし、むしろ人と会って生まれたインプットをアウトプットするのも大事だったりするやん(ならそれを書けw)みたいなことも頭の片隅にはあるということで!
今回は短くなる予定なので、最後までお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。
アナロジーという能力って重要?
いきなり、めちゃくちゃ概念的な話になりますが、この本を読んでいて思ったの一つに、様々な分野でのアナロジーができる人ってすごいなという事があります。
というのも、アナロジーについて触れられていたということもありますが、この本でのイマジネーションが広がりそうで広がらなくて、、とてもモヤモヤしてましたからです。
もちろん時間をかけて吸収すれば、そしてそういうふうに自分の幅を広げていけるなとも思いましたが、それを瞬時にできるってどういうことなんだろうとちょっと考えてみました。
他の分野の例えを使って説明するなどの行為ができることもその一部なのでしょうけど、
そうなると、すでに知識として持っていることがメタファー化されていたりして、具体性という概念的に普段から理解している人なのかな、とか、構造把握能力が優れているとか、あとは何事も自分ごとになっているのかなとか考えたりしました。
結局、、
「なにかを理解をする」ということは、アナロジーを構築できる能力が必要条件として存在していて、人にとって重要な素質なんじゃないかなと思ったのです。
そして、このあたりって数学チックだと思っているけれど、でもAIに得意なことなのかな?という疑問も同時にわきました。AIにできることなら磨く必要性がほとんどない能力だなと思うのですが、果たしてどちらなのでしょうか。
そこで、アナロジーについての研究を調べてみると、やはり、人工知能学会での話や認知心理学、数学教育みたいなキーワードが出てきました。
まあ、案の定ですよね。
ということで、私もたぶんアナロジーがなんぞやという点についてはある程度使えるように理解できたのでした〜笑
文献もあさりつつ、この能力がどんな場面で活かされるのかは考えてみたいと思います。
自分の仕事でも活かされている能力な気がしてきた
リバネスでやっていることとして、似ているなと(つまり今私なりにアナロジーを発揮して言えるw)思ったことは、ウチのスタッフはアナロジー的と言うか、メタ認知が得意だということです。
それを共感的コミュニケーションと呼んでいるのですが、自分の専門性を持ちつつ、異分野での「あたりらしい常識」を手に入れながら、そのなかに共通点と相違点を見つけ、うまく回しているのだと思います。だからこそ、異分野の話でも(もちろん勉強はしていますが)、一緒に新たな世界を描けるような気がしています。
AIにできることとできないこと
そんなアナロジーまでできそうなAIですが、前回もちょろっと書いたように、AIは数学という言語の中でいきています。その数学は「論理」「確率」「統計」の3つの言葉で構成されていて、つまりはそれらで語ることができないことはAIには今の段階ではできないということを私なりに理解しました。
それと対応して人間にしかないことは「知覚」であるということです。
この世界は数値、言語になっていないことがほとんどで、それらを理解できる人間の凄さと改めて実感しました。
それらをうまく表現できないものを知覚するために大切なことがハンズオンとファーストハンドだということもとても納得しましたし、勇気づけられました。人は経験の中でしか生きられないと思っていたからです。自分の経験をもとに判断し、行動する。そして、「原体験こそが行動の原動力であること」は日々常々様々な人のお話を聞く中でとても実感しています。本を読んでいるだけではダメなんですね。インターネットには生きた情報はそこまで多くないということですね。
原体験ってどれだけ経験できているのだろう
そして、その原体験の中から「気づく」力があるかないかで大きく変わるんだろうなとも思います。こうやって様々な地でカフェに来て、ゆったりとした時間を過ごす中で生まれてくるなにかを掴めるかもすごい重要なんじゃないかなと感じました。この取組は大変だけど、できるだけ続けていきたいなと思います!
では、学校の勉強でこういう「きづく」ことを教えられてきたっけ?とふと疑問になりますよね。
教科教育だけでなく、実に様々なことに取り組もうとしている現代社会の危なさを最後ちょっと話したいと思います。
反転学習という教育手法はどの国発祥なのか
2010年代半ばから、アメリカで反転授業・反転学習という教育手法に光が当たり始めました。そこから数年で日本に輸入され、いまではICT活用のもと、反転学習を取り入れる自治体・学校も増えてきています。ざっくりで言うと、家で学び、それをもとに学校で議論することでアクティブラーニングが進むという考えですが、意外だったのは、安宅さんが反転学習をススメていたということです。もちろん複合的に様々な要素も並列して書かれていたことの一つですし、反転学習が悪いという意味で言ってるわけではないですよ。
反転学習の効果はあると思っていますし、導入を検討するのも悪くはないと思っています、ただ、アメリカの落ちこぼれはほっといて進むという世界でこそすばらしい成果をだせる手法だとも思っています。日本では、まずはしっかり理解できているのかということに授業の半分を使いそうなイメージです。それでは反転学習の意味が半減しちゃうなという考えがあるからです。
それだけでなく、そもそも反転学習の元になる手法がどの国発祥なのかご存知なのかな、、なども興味がでてきるわけです。
日本の教育も捨てたものじゃない
ここで少し知識を見せびらかします笑
日本人あんま知らないことで、私も2年ほど前にたまたま調べている中で知ったのですが、今世界の潮流として海外から輸入されている教育の考え方って元は日本から輸出した(正確には盗まれた)考えがすごく多いんです!!
反転学習は宿題から(正確にはALを活かすために宿題という手法を導入したので、刷新:A→Bという考え的にはアメリカ発祥といえばそうである)、PBLで有名なmost likely to succeedは日本の部活動の取り組みを参考に、北欧で教員のステータスが高いのは、昔の日本、規範学校時代を参考にしてできた制度に守られているから、と実にそのほとんどが日本発祥のものだったりします。
教育の本質
いいたいのは、日本の教育がすごいとかではなく、その考えって表面的なアプローチになっていないですか?という皆さんへの疑問・提言です。本質的に〇〇な教育をやりたいんだ。そこにはALっぽいことも重要だし、反転学習の要素もときどきは取り入れてみようだったり、あくまでコンテンツ・手法であって、canであってwill出ない気がしています。
そして、、ゆとり教育の考え方は間違っていないということです。
ということで、いつも言っているけど実はまとめていなかった「ゆとり教育」に対する考えを次回、ちゃんとまとめておこうと思います。続きは次回のお楽しみに!
ゆとり世代ど真ん中で育った私が、その成果と課題について語りたいと思います。
今回はいかがでしたでしょうか。いつでも疑問、反論なんでも受け付けます。
これからもどうぞよろしくお願いします!!
コロナには負けないぞーーーー
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