柔軟になる

weekly thinking〜第七弾〜柔軟になる

さ、今週もやってきました。この時間!
仕事も楽しいのですが、本を読んで考えを巡らせ、柔軟になっていく時間。大事にしてます!
柔軟になるという意味では、価値観を壊すことをもっとしたい。ちなみに、本を読むためにカフェにいても、本だけではなく、人間観察をすることで、案外違う価値観を知ることができたりします。笑
ま、価値観を壊すような出会いはないですが、、
でも、毎回違う駅の違うカフェにいくようにしています。いろんな空気に触れるために。
本当はできるだけ同じ場所がいいんですけど。一歩頑張っています。

違う空間ってやっぱり落ち着きません。
初の環境に適合する能力、緊張し続けないですむ能力がほしいです。
だれかー教えて下さいませ。


先週は仕事でたくさんの人に会ってきました。
初めて会う方も多く、新しい話も聞くことができ、とても刺激的だったのですが、
結局、近くにいる人は同じコミュニティのことが多く、話が合うということは、少なからず似ている部分があるということで、それはつまり、価値観を壊す出会いってなかなかないなと今思うところです。

ベトナムやスリランカに行ったときのほうがよっぽど価値観が崩れていく体験をしました。(当たり前か!)
その瞬間を作ることは大人だからこそできるはずです。
お金も自由に使える。時間もそれなりにある。それなのに価値観を壊す体験をしなくていいのでしょうか。
私は心理的安全性の中でいきています。人間の弱いところなのでしょうね。
そこから抜け出すと世界が変わるのはわかっているのに、その小さくて大きな一歩が出ない。そんな状態です。

一方で、その一歩を出している人はたくさんいます。その人達との違いを知りたいものです。そんな人達に会って話を聞いて、考えるしかないのでしょうが。

実は、そんな人達に会ってきた経験が私にはあります。M1やM2の時期に研究室をサボり、様々なイベント、シンポジウム、報告会、初めてのコミュニティへの参加、etc
と外に出て人に会ってきました。でも、その中に本当の価値観を壊せた経験って一つもありません。
「あー。それなら◯△みたいなことなんじゃないの?」「それならココの技術の方が進んでいるよ」と言えるような場所だったのです。結局は、心理的安全性の中で生きていたんですよね。
じゃあ、先に示したような、心理的安全性から、新しい世界へと一歩踏み出すってどうすれば、できるんだろう。
そこがわかりません。

もしかしたら、実は体験しているんだけど(つまりは心理的安全性から抜け出しているんだけど)、そうは感じていない鈍感なやつだったりするかもしれません。リバネスに入社するときにおこなった、「原体験を素因数分解する」という作業をしっかりする必要があるかもしれません。
それは、日記が役立つ場合もあるでしょう。
週イチではなく、毎日の小さな振り返りとアウトプット。
その余裕をつくることをまずトライしてみようと思います。

と、書いてきたんですが、「オチはどこだ」、「今週はどの本を読んだんだ」と感じたそこのアナタ。大正解です。
実は、今オチをどこにしようか、困っています。
今週読んだ本をどう登場させようか困っています。
本当は花粉症がやばく、コロナも流行っているのでそのあたりも書きたいんです。
でも、そこまで広げちゃうと話はまとまらないし、いつまでたっても終わりそうはないです。笑

ということで、今回は価値観を壊す体験を次世代にさせることへ軸を置くことに決意しました。(ここまでも価値観壊す話してたやんというツッコミください笑)
初めて次回予告をしますが、次回はAIと現代社会という方向性です。
ちゃんと本読んでいるんです。ちなみに1冊は読み終わり、普通にネタとして書ける状態になっていますよ。ただ、もう一冊が分量多いは難しいというか、しっかり理解しなきゃいけないというかで読みきれていません。

読んだ本だけ紹介します。
新井紀子著 『AI vs教科書が読めない子どもたち』です。
これはすごい本です。次回改めて紹介しますね!

似てるけど、似ていない話題作。そのもう一冊を当てられた方には、本を送りましょうかね。


さて、「次世代、つまりは学生が価値観を壊す体験をするには」ということですが、
突然ですが、皆さんだったらどのようにしますか?

そもそも価値観が壊れるってどんな状況なんだろうって話ですよね。
私は、「自分のお城じゃないお城に迷い込んだ状態」だと思います。
←どんだけ比喩なんだ!!!!

ただ、自分の知らないことではなくて、そこで普通に人の営みは行われているし、幸せって生きている人たちがいる。その世界は世界で回っているし、それを悲観的に捉えている人ばかりではない状態が世界中にはいくらでも転がっています。そんな瞬間にであったときかなって思っています。

で、その瞬間って普通に学校に行って、友達と話して、同じ授業を受けているだけじゃ基本的にないんですよね。あるとしたら、国語の教科書に載っているノンフィクションであったり、歴史だったりするのかな。
もちろんその他の教科でもあるかもしれませんが。

なので、学校では限界があると思います。ただ、以前にも書かせていただきましたが、『中高の間に夢をみつけること』がこれからの社会を生きていく上で、重要だと思っています。夢の見つけ方って、憧れだったり、欲だったり、人それぞれだと思いますが、私はそのひとつに価値観を壊されることも含まれていると思っています。含まれているというが、それぞれが重なり合っているんでしょうが。そのどれかが提供される場が必要です。

学校以外の環境って、、

そうです。親です。
確実に子供は親が提供する環境に依存して成長していきます。
学校も親が与える環境です。
悲しいことに、日本でも所得と学力は負の相関があります。それは、目をそらせない事実です。確実に教育格差は広がっており、つまるところ、将来は格差が広がっていきます。10年度には格差が取り上げられているでしょう。50-80問題もそうです。格差が表面化しています。日本の問題はそこにスポットライトを当てて、囃し立てるメディアに左右される人間があまりに多いことです。

それもきっと教育のせいなのでしょう。
私の身近な人は、「今の教育は考えられない人を育てようとしている、つまり、政府のいいように動く国民をつくろうとしている」といいます。もちろん、オーバーであると思いますが、的を得ているとも思います。

じゃあ、お前、かいうらこうへいはどうやろうと思っているんだよ。となりますよね。
文句ばっかいっているんじゃなくて、方法を考えろって思いますよね。

この問題(=考えられる人の育成)も含め、変えることができるのが、「本物との出会い」であり、「価値観の変容の瞬間」なのはこれまで述べてきたとおり。
それらをどう提供するのか。

正直提案すらできません。途上国にいくこともいいでしょう。
海外じゃなくたって、地方住みなら都会、都会住みなら地方へといくこともいいでしょう。
ただ、それらって結局は親依存なんです。
リバネスが提供していることも結局は、学校依存だし、つまるところ親依存。

言いたいことが何となく見えてきましたね。
そう、親の変容がない限り、子供は変わらないと思います。
それは、先週いろんな人と話し、ある集団の母親から情報を得たことがヒントになっています。
もちろん、学校現場の先生はずっと前からこの課題を認識していました。
でも、解決されていない課題なのです。
私は、この課題と向き合いたい。
私は、「親=社会に働く大人」だと捉えているからです。
まだ、解決策の仮説すらたっていません。
やっとスタートラインに立った感じです。
教育を変えるということは社会を変えるという意味だと考え、これからも考えては行動していきたいと思います。

少なからず私は、自分の価値観を壊すように生き、そのカオスから道を見つけることを頑張りたいと思います。
四半世紀生きた人間として、そろそろ社会に還元できるものもできてきたと信じ、固まらずにすべてを受容しきれるような柔軟性を持った大人になれるよう、頑張りたいと思います。

と、すごく長くなりましたが、最後までお付き合いいただいき、ありがとうございます。
オチがない気がするし、話の軸が弱くてすみませんでした。
次回は、もっと話が飛び回るかもしれません。
それでも、まとめて発信したいと思います。
では、今週は一日短いですが、明日から頑張っていきましょう!

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