我々の行動を導くもの
今迄様々な社会変化やそれに伴う企業の変化を考察してきました。
それらの変化が我々に行動変化を求め、その変化に対応できない人物は
社会(会社を含む)から除外もしくは疎外される。
望ましいことではありませんが、それが我々人間の宿命のようです。
我々は自分の行動は自分の意思で決定することができると考えてきました。
しかし、どうやら完全に自分の意思で決定することは出来ないようです。
常に周囲の状況(他人の意向または会社の意向)を意識し、
可能な限りその方向を尊重しつつ進む方向を決めてきました。
我々の人生は少なくとも折り返しは過ぎたといえるでしょう。
残された時間をどのように過ごしていくのか、
この辺りで本気で考えてみませんか。
自分は何をしたいのか?
何をしたかったのか?
やりたかったことは何か?
これらの質問をしつこく自分に投げかけてみましょう。
周囲の思惑や期待は横に置いて、自分の心に問いかけてみませんか。
少なくとも折り返し点は過ぎた人生です。
自分の意思や思いを今一度振り返ってみませんか?
今迄「こうすべき」とか「こうしたほうがいい」とか、
「この方が得・有利」とかで判断してきた基準をいったん外して、
自分の深奥に問いかけてみませんか?
心の底から聞こえてくる自分の声には実はかなり力があるように思えます。
自分の今後の行動の原動力として、時には指針として
自分を導いてくれるものであろうと思います。
私は今までの人生で最悪の状況と思える事態に直面したことがあります。
説明は省きますが、余りの苦しさに「死」さえ具体的に考えたものです。
その頃は何をする気力も起きず、
周囲に流されるままにだらだらと時間を過ごしていました。
再起するためにはこれではだめだとわかっています。
何か行動を起こすべきだと理解しています。
しかし、何を考えてもその瞬間に「どうせ無駄!」という声が
「自分の中から」沸き起こり、一歩も前に進めませんでした。
その頃の私はまるで「光の届かない真っ暗な室内で膝を抱えて蹲っている」ような感じだったでしょう。
「絶望」ということの意味がよくわかりました。
つまり頭ではわかっていても「心」が動かない、そんな状況でしょう。
そんな時、ぼんやりと時間を過ごしながら目の前にあったメモ用紙に、
自分のしたいこと(やるべきことではありません)を
何気なく書き散らかしていました、とりとめもなく。
そのうちにふと数年前の家族旅行の思い出が蘇ってきました。
強烈に「もう一度あの楽しさを味わいたい!」という気持ちが
突き上げてきました。涙が流れてきました。
もう一度実現するためにはどうしたらいいのか?
その時まで自分の中で繰り返しその都度否定してきた行動指針を
具体的に考えることができました。
どうやら私の心の壁(否定感情)にひびが入った瞬間のようです。
その習慣から私の頭も心も動き始めました。
どのようにして実現するか、その為に何が必要か。
今まで散々培ってきた思考が作動し始め、今日に至ります。
我々を動かすものは何よりも自分の意思であり、思いのようです。
今まで周囲に配慮し遠慮し利害損得を優先し、
おろそかにしてきたじぶんの心の声に耳を傾けてみませんか。
自分は何をしたいのか?
何をしたかったのか?
やりたかったことは何か?
これらの質問を、しつこく問いかけてみましょう。
もしかしたら眠っていた自分の思いや感情が呼び覚まされるかもしれません。
その中に、本当に自分を導くものがあるのではないでしょうか。
海雲 龍人