僕のメキシコ生活① ~リベンジ~
こんばんは。今、メキシコのグアダラハラは夜12時です。
早いもので昨日noteに書いた投稿が10作目だった。
もっと早く音を上げるかと思ったが、意外と続けられそうだ(笑)
ありがたいことに「働いている学校やメキシコの生活について書いてほしい」とリクエストをいただいた。なので、今日はそれについて書いていこうと思う。
Aさん、リクエストありがとうございます。
ですが、すいません。少し過去のことから書いていこうと思いますので、シリーズ化していきますね。
以前の投稿でも書いたのだが、僕は2018年の11月にメキシコに来た。
2018年の4月から10月まで日本語教師養成講座に通い、講座が修了してすぐ来た。講座を受講中、確か8月くらいだったと思うが、就職をどうしようかと悩んでいた。
でも、受講する前から一つ決めていることがあった。
「もし日本語教師として働くなら、絶対に海外がいい!」
実は、僕は日本語教師になりたくて、なったわけではない。というよりも自分の中にある過去のリベンジがしたかった。
2011年4月。東日本大震災があってすぐのことだが、僕は大学を卒業した後、ワーホリでカナダに渡った。別に決まった仕事があったわけではない。休学しての留学というわけでもない。もう卒業してたし。
大学時代、音楽に熱中していた。19歳でジャズに出会い、ジャズピアノを習って、自分でバンドを組んだり、一人でピアノリサイタルを開いたこともある。市が運営している地元の小劇場を個人で借りて、ビラも作り、宣伝も自分でした。
350人くらい入るホールに友人や家族が30人くらい来てくれた。
少ない……
あまり人には話したくない僕の黒歴史だ。今だからこうやって文章にもできるのだが、やっぱり当時の自分はいろんな意味でまだ若かったのだろう。
しかし、どうしてもそれがやりたかったのである。それに23歳になるまで何かを夢中になってしたことがなかった。
全部が中途半端の10代を過ごしていた。
だから、稚拙でもいい。笑われてもいい。納得行くまで何かを最後までやり遂げたかった。
きっとこれが何かを思いっきりやれる最後のチャンスになると思った。結果はどうだったか覚えてないが、やり切った達成感だけは今でも覚えている。
しかし、就活をしないまま卒業を迎えた僕は、自分が何者か分からなくなってしまった。もう大学生ではない。かと言って、どこかの企業に属しているわけでもない。そう思うと、ただただ逃げたかった。卒業した後で引きこもりになる可能性があったから、海外に行けば、自ずとそれはなくなると思っていた。
だから、カナダに行くことで、すべてから逃げ切ってやろうと思っていた。
3か月ほど学校に通い、その後仕事を探した。仕事と言っても、そのころの僕にできるのは、レストランの皿洗いくらいしかなく、愕然とした。
「なんでカナダまで来て皿洗いなんかせなあかんの!」
選ばなければ、仕事なんていくらでもあると思う時もあったが、それをする意味を見出せなくて、悶々とした日々を過ごしていた。どこかで選り好みをしている自分がいた。
そして、その年の12月にあっさりと帰国した。
カナダで暮らしてみて、ようやく分かった。
人はどこにいても同じ。そんなに簡単に変われない。
それに気づいても自分の中で納得はいってなかった。だが、お金もないので、地元の企業に勤めることにした。
だから僕には海外で働こうともがいたけど、自分の中で折り合いがつかず、道半ばであきらめた経験がある。
なので、メキシコに来た。2011年の自分に勝つために。
2018年11月6日。メキシコのグアダラハラ国際空港に降り立った。
メキシコは日本よりも標高が高く、来てすぐ体調を崩したことを今でも覚えている。着いたその日に働くことになっていた学校に顔を出し、挨拶も早々に泊まる予定の家へ連れて行ってもらった。
いつもそうだ。僕は環境が変わると、体調を崩す。
本当はグアダラハラに着いた次の日から、学校で働くことになっていたのがら、2日ほど休ませてもらった。
「カナダの時の二の舞になりませんように」
ベットの中でそれを祈るばかりだった。
続きは次回、
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