[独立日記 57]
6月13日(木)2019年/令和元年
今日は午後から図書館へ。
といっても、書いているのは土曜日15日なんだけどね。
たった2日前のことなのに記憶が曖昧。
午前中の記憶に関しては全く無いのだけれど。。
寝ていたわけではないはず。
家事片付けていた。。?
いや、ほんとに記憶ない。。
ともあれ午後は図書館で作業。
集中力を欠き気味だったからこそ来たのは正解だった。
キリがいいところまでやって帰宅。
帰宅後、予定通りにできれば文句はなかったのだけれど。
ここが詰めの甘さだな。
いつも言うことだけど、最後まで、な。
今日の一言
:嫉妬は1000の目を持っている。しかし、何一つ正しく見えていない。
「嫉妬も痴情のもつれも、源泉は自己顕示欲だと思う。」
PSYCHO-PASS槙島聖護の言葉だったかな。
七つの大罪を最近調べることがあって、そこにもあるのが「嫉妬」。
昔から人間の心に生まれる感情ってわけで、しかもそれが良い方に働くことはほぼない。
俺自身、嫉妬をしないと言うと嘘になるけれど、この感情からは限りなく遠いところにいると自負しているかな。
そもそも他人どうこうとか気にしない性格っていうのが功を奏している気がする。
俺は俺だし、人は人。
もちろん、同じ土俵で勝負している人とか、頑張っている仲が良い人とか、そういう人の活躍は気になる。
昔は嫉妬というか、羨ましい、みたいな気持ちが浮かぶこともあったけれど、最近は「俺もやらないと」みたいな、「ナニクソ魂」みたいなのが沸き起こる方が多いかも。
これが良いのか悪いのかはわからないけれど、少なくともモチベーションに繋がっているのはポジティブだと思っている。
嫉妬、羨望、励み。
大元は「他人の活躍、幸福を見ること・知ること」だと思うけれど、そこからの過程と結果が違うんだと思う。
「嫉妬」は最もネガティブなもの。
他者を悪く言うことや他者にあたることで、自らの至らなさを解消しようとする。
最も弱い意志を持つ者がとる行動かな。
槙島聖護が言う、自己顕示欲によるもの、っていうのも、嫉妬の特徴かもね。
自分を見て欲しい、自分の方が優れている、っていう思い込みとか欲望が、色眼鏡を作り出している。解釈を捻じ曲げている。そんな気がする。
「羨望」は自らの評価を下げる、あるいは何もしない人の行動。
「人は人、自分は自分」っていう考え方なのはいいけれど、そこから自分の成長には何も繋げないような人。
「あの人は私とは違うもん」みたいなことを言い出したら、嫉妬への第一歩だと思うな。
そして、他者の活躍を「励み」にする人。
この人はポジティブだよね。
どんなところからも学びの精神を忘れず、自分の成長に繋げる。
「人の振り見て我が振り直せ」というけれど、それは何も、悪い行いからだけではない。
他者の行動すべてが、自らの行動を振り返る・改める機会になるはずだからね。
自分を客観的に見る。
これほど難しいことはない。
だって、自分を他者の目線で見ることはできないのだから。
なら、「他者を自分の"鏡"として使う」しかない。
「あいつがやってるんだ。俺もやろう」
「彼のあの方法、いいな」
「あの子のああいうところ、私も真似しようかな」
「あいつばっかり目立って、なんなんだ」
「ああやってうまくできるのは、あの人だからだよ」
「何あの子、いい子ぶってるの?」
同じ行動を見ても、捉え方は人それぞれ。
結局そこが、嫉妬の最大の根源みたいなところなんだけどさ。
「素直」っていうのも、大切なのかもね。
「なんでも「ハイ!」って言う」みたいな素直ではなく、「あるがままを受け入れる」っていう素直、かな。
馬鹿正直に言われたことをやることも大切かもしれないし、それが引き上げてもらうために必要なのもわからんでもないけれど、どんな指示もどんな内容の命令も、一度自分の中で噛み砕き、消化してみるっているのは大切だと思う。
要は、自分で考えるってことを忘れるな、自分の価値観・感性を大切にしろ、ってことね。
合う・合わないともあるからね。
と、「素直」の話をしてしまった。
ともあれ嫉妬、ね。
「人は人、自分は自分」と割り切り、素直に受け入れる。
そして、ポジティブに、自分の力にできることはないか、と考える。
これをするだけでも、随分マシになるんじゃないかな。