生きたいって欲望だ。って物語。
人間は欲望に溢れている。
つい最近知った。いや、ずっと前から知っていた。でも、感じられていなかった。それが当たり前だと思っていたから。
欲というのはたくさんの種類がある。寝たい。食べたい。お金が欲しい。誰かといたい。話したい。愛したい。愛されたい。もっと、もっとこの世に溢れている。
「want」
「hope」
「wish」
この英語の動詞を日本語に訳すと「~したい」、「~を望む」となる。一見まったく違うように見えるが、本質は同じなのではないかと思った。
欲、なのだ。
したい。これはもう完全なる欲の塊だ。寝たいでも、食べたいでも。自分がしたいこと、自分の欲を表しているのだ。
でも「望む」は欲なのか。
I hope you ~. 私はあなたが~することを望む。
誰かに何かを望む。それはいいことだ。思う。想う。上手くいってほしい。幸せになってほしい。成功してほしい。欲なんかに見えない。
でも「してほしい」とは欲ではないだろうか。相手がどうなるかは私にもわからない。だから想う。想像する。嫌な言い方をすれば、自分の欲を相手にぶつけているだけかもしれない。
欲を言いかえる。いい意味にも悪い意味にも捉えられるようになる。でも、その本質に気づいたとき、何だか悲しくなってしまう。そう、私のように。
悲しくなりながら、もっと悲しくなる。私たちは、欲で動いていることに気づいてしまった。
「お腹が空いた」だから私たちは朝起きて、ご飯を食べて。
「学校行かなきゃ」嫌だとしても他の理由を見つけて、歩き出して。
「家帰りたいなぁ」気づいたときには、家の前にいて。
「嫌だなぁ」そう思ったときには、体が止まりかけていて。
「お金が欲しい」その先が何かわからず、何時間も働けて。
「こうなりたい」夢と名付けたその欲望に、また欲望を重ねて。
人間っていうのは嫌なヤツで。その欲望の先に、満足を知らない。その欲望が達成したそのとき、すごく嬉しくて、自然と笑えてくるくらい幸せな気持ちになる。
でも、その次は満足しない。その気持ちに慣れる。昨日、嬉しくてたまらなかったその感情は、常識という名前をつけて記録される。
「夢」という名の欲望を叶えたとき、その上に「夢」を重ねて進みだす。
「諦め」という名の欲望に負けたとき、足に絡みついて止めようとする。
結局、「夢を叶えろ」だとか「諦めるな」とかいう言葉も全部
「欲望と生きろ」
ってことだった。ただ、それだけだった。
私たちは欲望から逃げられない。どれだけいい人間になろうとしても、やっぱり頭の片隅に自分の欲があって、私の背中を押したり、足にへばりついたりする。
逃げられないなら、欲に終わりがないのなら。どうせなら前に進む力に変えたい。
その欲に勝てそうなら、強くなりたいのなら。なぜその欲が心にいるのか深く考えたい。
「お金が欲しい」。その先に何がある?明確なものがある?金は魔法の薬じゃない。
「愛されたい」。その奥に何がある?キミに愛されれば何か変わる?愛はファッションなんかじゃない。
結局、欲望のままに生きて、それを手に入れることなんてほぼできないかもしれない。でも、人は欲望を持ち続ける。進むために。止まるために。
人は欲望に生かされている。
だから私は、進み続ける。
KaiTO
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