あの日から1年
各地で大雨や洪水といった自然災害が増えてきました。被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。また被災地の1日も早い復興をお祈り申し上げます。明日は我が身。対策できることから対策していかないと…。
さて本日は7月12日。自分にとって忘れられない日である。
早速だが、本題に入らせてもらう。
一年前のこの日の昼頃、祖母がいきなり倒れた。倒れる前までは、昼ごはんを食べていた。認知症を患っていたこともあり、インスタントラーメンの作り方がわからず聞いてきたので代わりに作ってあげた。そのラーメンを平げ、外のすだれを直すために庭へ出て行った。その数秒後…
「うっ…」
その声が聞こえた時、ひどく焦燥した。しかし、「そんな訳無いだろう。裏の家の人の声だろう」と何かの間違いだろうと考える自分もいた。自分の心臓の鼓動が大きく聞こえ、ソワソワが止まらず歩き回った。その時間が無駄だった。と今でも悔やむことがある。なんとか勇気を出し、窓から庭を見てみるがそこに祖母の姿はない。「なんだ、表に回ったのかな」と安堵したその時、
死角になっている場所に足が見えた。
倒れている…。と察した私は庭へ出た。
上向きで倒れている。「どうした!」と声を掛けるが反応はない。上を向いて泡を吹いて意識がない。
一瞬で血の気が引いた。ちょうどそのタイミングで帰ってきた父親の元へ知らせに走り出した。
「ばあちゃん倒れてる」
それを聞いた父親は慌てて庭に回る。その間に119に電話をかけた。
119「消防ですか?救急ですか?」
「救急です」
119「どうされましたか?」
「祖母が倒れました」
電話中庭から父親の声が響いた。
「母ちゃん!母ちゃん息してない!心臓の動きもない!」
父の声にも答えつつ消防隊に状況と住所をしっかり伝え、誘導するために外に出て救急車の到着を待った。電話をしている時、近所の元警察官の方が胸骨圧迫をしてくれていた。外に出ると近所の人ほぼみんなが出てきていた。
近所の人が「何があったの?」とところ構わず聞いてきた。
こちらの気分的に相手をしている余裕などなかったが、気持ちを殺して会話した。(昔からの家庭環境のおかげ?家庭環境のせい?で自分を殺すことが出来るのが得意なのだ。)
程なくして救急車が到着した。私は救急隊を誘導した。誘導後、母に電話をかけたり、近所の人の相手などもあり現場を離れた。
救急隊が到着してからAEDをやってくれたが、心拍は戻らなかった。そしてそのまま父親が付き添い祖母は病院へ運ばれた。父親曰く、病院についてから数分後心拍再開が認められたそう。つまり30分ほど心肺停止状態だったのだ。
正直強い生命力に驚いた。これだけ長い時間心臓が止まっていたら無理だろう。と考えていたから。
しかし、長い間心臓が止まっていたのだから脳への血液が送られていない。数日後検査をして判明したが、脳はもう生きていなかった。覚悟をしていたがやはり悲しかった。
そして2週間後息を引き取った。
よく頑張ってくれた。ありがとう。お疲れ様。出てくるのはこのお言葉だった。
あなたに日々踊らされて、毎日大変で楽しいとはお世辞にも言えない日々を過ごしたが、他の子にはできない経験をさせてもらったと思う。
これを通して伝えたいのは、いつ誰がこうなるかわからない。身内に限らず、出先でこのような状況にあうかもしれない。その時にちゃんと対応できるのか。不安な人は、講習を受けてみるといいと思う。