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# 休んでいいしサボっていい。 前を向いていればいつか動く。

”博士で学んだこと”で大事なことの一つに、”休んでもいいと思えること”が抜けていて、言語化していなかったことに気づいたから今書く。

生まれて初めて、”先生”という人から、「お前の好きなことをやれ」と言われた

大学の学部3年まで、自分の意思決定は基本的に外的要因でほとんどが決まっていたような気がする。学校の課題は常に先生から言われることをやるだけだし、その都度やりたいことを自分の意思で決めてそれなりの推進力を持って取り組んできたものの、受験だって部活だって今振り返ると自分が置いている環境の中にある限りある選択肢の中で一つを選んできたにすぎなかった。その中で目の前にあることに向き合う力を育むことができたのは大きな経験だし、いきなり”じゃあ勝手に選んでくださいどうぞ”と言われても僕の実力では何もできないわけで(実際できなかった)、間違いなく感謝している。

これは環境というより自分の性格の影響が大きいと思うんだけど、僕はその環境(特にそこにいる人)を眺めて、”この人たち、こういうことやってほしいんだな”というアクションを、自分本位で構築することが得意だ。幼少期の頃から承認欲求の塊だった僕は、人から求められることを自分なりに想像して行動に起こすことが得意だったしそればっかりやってた。気がする。

だけど当然そのアクションは自分本位に過ぎず、当然他者が本当に求めるものと異なるときはあって、そうなると自分が想像していたものと異なるリアクションが返ってくる。承認欲求の塊なので、異なるとすごく不満である。

また、他者が求めている(と自分が思っている)ことは往々にして自分が本当にやりたいことと異なったりする瞬間はある。”やりたくない”と表立って思うことではないけど、”なんか違うなぁ”と思いながら行動することでちょっとずつ僕の中に不満は蓄積する。それが爆発して自分を壊した瞬間はたくさんあった。

そんな僕だから、研究室に入って1番最初に言われた”お前がやりたい研究をやっていい”と言われたときは、頭が真っ白になった。研究テーマも与えられない、やるべき実験も言われない、初めての環境に戸惑ってしまったことは今でも記憶に新しい。

周りを見ても自分がやるべきことを言ってくれる人はいない。B4のときの僕の直属の先輩は僕のことをよく動く働き手として実験代行の手駒としてよく使ってくれたが、あれは研究室で生活することを覚える大変良い機会だった。だけどその先輩が卒業するとやっぱり自分でやることを決める必要に迫られ、振り出しに戻った。

博士に進学したのは大したきっかけではなくって、”学生時代やり残した留学”に背を向けたくなかったから、それだけだった。留学しやすそうなので進学した、本当にそれ以上のことはなかった気がする。

博士に入っても先生のスタンスは変わらず、むしろ前に輪をかけて”本当に何でも好きなことやっていいよ”というばかりだった。今思えばそんなことを言ってくれて、しかもそれに対してお金を出して支援してくれる大人はあの人しかいなかったと思う。とても感謝してもしきれない。

”やりたい”と”やらなきゃ”の乖離が生んだ心・体の限界

そんな自由な環境の中でも、僕の得意技は相変わらず炸裂していた。”博士学生はこのようにあるべき”を自分の中で構築し、それに向けて取り組んでいた。

僕の博士時代の先輩は一つ年上で、研究への知的好奇心と科学領域における知識であの人を上回る人に僕は会ったことがない。研究に関する知識だけでなく日頃の生活で困ったことも相談してた。特に電子機器への知識は半端ではなく、自宅のPCの修理なども先輩と一緒にやってもらったこともあったっけ。

教授とも対等に議論をするシーンを何度も見たし、いつも”すごいなぁ”と思って眺めていたし、博士に来たんだし自分も先輩みたいにならないと、と思った。

そして何をしたかというと、研究した。研究しまくった。勉強して勉強して、論文を沢山読み、自分で実験して、知識を蓄えようと努めた。一日15時間くらい研究してた。博士にとっては当然の作業かもしれないが、僕にとっては苦痛で仕方なかった。苦痛ではなかったけどしんどかった。実際体と心は壊れた。

正直、自分は研究は好きだけど向いてないな、と思うことはよくある。細かいことは全然気にしないタイプだし(こないだ会社の先輩に”お前のガサツさはA型の許容範囲を超えてる”って言われた)、研究に従事する全ての人に申し訳ないくらい、研究の過程で発生する実験やデータの中身にはあんまり興味がない。部長にも昨日飲み会で、”昼間のデータ解析はガサツなのになぁ。。。”なんて言われるくらいだし、自分でもそれを自覚している。

研究者に向いていないし、自分が研究を続けなくてもいいな、と思っている。自分より上手に研究する人がいっぱいいることを僕は知っているし、そういった人と対話を重ねる下地は鍛えた。”博士号は研究者としての免許”という話があるけど本当にその通りだ。運転はできるけど得意じゃない。だけど、上手な運転手の特徴を把握できるし、”こんな運転でここまで連れてって”と対話をしてお願いできるのは博士号があるからだと心から言える。

という性格なので、”研究者のような生活”は僕にはストレスでしかなかった。だから3ヶ月ほどそんな生活を続けたときに、ついに完全に壊れた。心労から睡眠時間は徐々に短くなっていたが、ついに夜一睡もできなくなってしまった。初めて心の底から”研究をしたくない”と思った。

”やりたい”と思う気持ちと”やらなきゃ”と思う気持ちの程度にもよるけど、それぞれの気持ちの強さとその乖離の大きさで人は壊れる、ということを身をもって体験した。きっと社会の至るところで同じ問題は起きてるんだろうと思った。

僕が救われたのは、ここで壊れた人が目の前にいたときに、寄り添ってくれた大人が先生だったことである。

初めてもらった長期休暇、遊びに遊んだ1ヶ月

先生にそのことを伝えた。「先生、もう研究したくないです」なんて言ったらこの人になんて言われるんだろう。。。と思ったけど、もう言わなきゃ無理だった。先生からの返事は想像の100倍あっさりしてた。

わかってたよ。1ヶ月くらい休みな。

限界を超えて負荷をかけていたことを先生は見抜いてくれていた。あんなにあっさり認めてもらえるとは思ってなかったから、拍子抜けだった。打ち合わせも3時間くらいかかるかな。。。なんて思ってたけど、ものの15分で終わったと記憶している。

研究室に入って指示から解放され、この時人生で初めて全てから解放された。心から完全に自由になったのは自分の中ではこれが初めてだったと思う。それまでも客観的に見て自由にやってきたからこんなことを言うと怒られそうな気もするけど、僕の感じ方の話をしているのでここでは気にしない。

先生に「とにかく遊んでおいで」と言われたので、その通りにした。しばらくご無沙汰だったスキューバをしにいった。姉の勤め先と一緒にキャンプに行ってドローンを飛ばして、自然の中でいっぱい遊んだ。温泉旅行も行ったっけ。会いたい友達に会って、聞いてもらいたいお話を沢山聞いてもらった。

からっぽでぼろぼろになった心が満たされ、回復していくのを感じた。久しぶりに感じた充足感だった。

蒸発した”しげま”をいじり倒す後輩、大幅に捨てさったプライド

1ヶ月の休暇を終え研究室に戻ると、後輩たちは心配してくれていた。それもそうだと思う。それまで狂ったように研究に打ち込んでいた先輩が突然1ヶ月研究室を開けたんだから、ついに蒸発したか、と思われたかもしれない。

心配してくれた後輩とは裏腹に、遊び倒してた事実を聞いて後輩たちはびっくりしたんだろう。”この人でもメンタル壊すことあるんだ”、”沈んだと思ったら海に自分で沈みに行っていたのかよ”、いろんな要素が絡んで接しやすくなった僕を後輩たちはいっぱいいじってくれた。

それまでは必死に良い子でいることに努め、後輩からの研究できる先輩として見てもらうことに躍起になっていた自分にとって、後輩からイジられる経験は初めてだったし、それまでの自分だったら”ふざけんな”と一掃していたかもしれない。

だけどそのプライドを捨ててカッコよくない自分を受け入れたとき、より親身になってくれる人が周りに増えた。プライドで固めていた自分と比べると、随分自分のことを愛して慕ってくれる人が周りに増えたという実感はある。実際この年のはじめに研究室に配属になった後輩からは、”なんか重政さんの下は研究やりづらそう”という評価で僕の下には後輩が配属希望を出さなかった、なんて話も聞いた。

”研究ができない博士課程”を受け入れた先にできた全く新しい”ありたい自分”

ということもあって、僕は自分が研究が苦手で向いていないポンコツである、ということを認め、”別にそれでもいいや”と思えるようになった。先輩のようにはなれない。

だけどそんなとき、先輩と一連の流れを話したとき、こんな話を聞いた。

俺もお前みたいになれないし、お前ってすごいと思うよ

先輩みたいに科学的な知識は劣るけど、初対面の人となんの緊張もすることなく会話できるコミュ力、どんな人との飲み会も進んでまとめる姿勢、初めてのことに臆することなく挑戦できる行動力、この辺りを褒めてもらったっけ。

自分はそれが得意な自覚はあった。でも研究の世界にいてこんな振る舞いをする人なんて会ったことないし、ここではもっと違うことが求められていると思ってた。だからあんまりおおっぴろげにアピールしていなかったけど、先輩は見てくれていてそれを評価してくれていた。

卒業間際には先生からこんな言葉も言ってもらえた。

お前は研究はできないけど、お前みたいなコミュ力持った人は研究業界には必要だ。
苦手な領域を先輩に補ってもらえば最強のタッグになれる。

振る舞いをする人がいないからこそ求められていたという話で、異なる領域同士を交わる場所の創造、これこそ自分のライフワークにしていくことだとこのとき確信に近いものを感じた。

今の自分が持っている長所、ありのままを受け入れ、それを活かせる場所を作ってくれた先生には感謝してもしきれない。僕は先輩にはなれないけど、先輩も僕のようにはなれない。先輩ができることは先輩にお願いすればいいんだ、と心から自信を持って言えるようになったのは、サボって休むことでありのままの自分を受け入れられるようになったことがとても大きかったと振り返る。

ありのままの自分を受け入れる、客観視点ではなく自分視点でやりたいことを定義する

もちろん、いつでもどこでもこのスタンスを保てるなんて思ってない。会社員生活を送っていれば短期的には”やらなきゃいけない”ことに追われるわけで、わがままばかり言っていたらお金を稼ぐことなんてできない。他者の要求に合わせて自分のスキル・時間を提供する必要はある。

そんな中でも自分のありたい姿を自分視点で定義し、そのありたい姿を実現できる環境を模索することは生きる時間を豊かにしてくれると僕は思う。

これはどの時間視点でも同じことだと思ってて、短期的に”疲れたなぁ、休みたいなぁ、やりたくないなぁ”と思ったら一度そのことから距離を置いてみることはとても大切だと思う。

何故、自分の心は反発を生んでいるのか、原因を分析する。”仕事をやりたくない”と思ったのであれば、それが職場環境によるものなのか、業務内容によるものなのか、自分の体調によるものなのか、可能な限り考えを巡らせ原因に辿り着く。

本質的な原因に辿り着いたとき、次に取るべきアクションは自ずと見えてくる。

僕が恵まれていたのは、時間に余裕があるときにこの練習ができたことである。博士学生という時間に余裕があって、なんの負い目を感じていないときにこの練習ができたおかげで、今は多少業務などで追い込まれていてもこのくらいの原因分析は自分でできている、と思っている。

もちろん全てが思い通りにいくことなんてないし、やっぱりサラリーマンとして仕事に取り組むのは大変なことである。だけどしんどいときは立ち止まって、”何がしたいんだろう?”と自分のありたい姿を探すことはやめない。見ている方向さえ間違っていなければ、いつか全力で走れる環境が整ったときに自分がその世界に進んでいけるはず。”いつ実現するのか”という時間軸は人によって異なるため、人によっては止まっている余裕なんてない、ということもあるかもしれないけど、でも方向とペースが合ってれば人は疲労なんて感じないはずなので、そこに疲労や齟齬を感じるのであればどちらかが間違っている可能性が高い。よってその状況に陥ったときは一度止まって考えることを僕は推奨する。

”やりたい”と”やらなきゃ”の狭間で苦しむ人の助けになれたらいいなぁ、なんて思ってるのです。


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