おかしくなってきた時のクリニック
ハロー!生きること。
今日は、自分がおかしくなってきたと気付いた時に見直すリストを作りたいと思います。
教会で叫ばれる謙遜。
でも実はイエス様も聖書も、「謙遜であれ」とは命じてません。ヒィイイ!
偉い人に石投げられる!
聖書でイエス様は、「わたしは柔和で謙っているから」とは言いましたが、僕たちに謙遜を求めてはおられませんでした。
まるで、お前たちには期待してねっから
という態度ですらあったんじゃないかしらん?とすら思えます。
僕は、たった1年半ですが、神学校に通っていたことがあります。
その学びの中で最も価値があった学びは、「自分は、何も知らないのだ」という学びでした。
学べば学ぶほど。勉強すればするほど。
調子に乗れます。他の人に嬉々として威張れます。
しかしそれを超えて勉強しつづけると、ある時、「自分は本当に何も知らない」と、愕然とする境界線があります。コレが、「謙遜の入り口」だと思います。
これが本当の謙遜の入り口とするなら、イエス様のおっしゃった謙遜って、実はとんでもなく残酷な教えで、
「自分が何も知らないと知るまでに学び優れなさい。」ということじゃあないですか?
謙遜ではないけど卑屈なクリスチャンて、多くないですか?
謙遜と卑屈は違います。
卑屈は、「自分は不信仰だから〜」とか、「自分は高慢でぇ〜」とか言っちゃうことです。そう言うことで、「もう裁かないで」とバリア張ってるんです。うん卑屈。
逆に謙遜とは、自分が無知であることを知れるほどに、物事を知ってしまった状態であることを意味します。
知ることは死ぬこと。
知ってしまったのなら、知らない前の状態には戻れない筈。
高慢と謙遜を行き来している状態って実は高慢も謙遜も知らない状態のことであって、
知ってしまったら後戻りできない。いわば、謙遜であれないとかいう段階で悩んだり苦しんだりしてる時点で、
それは高慢であるとかじゃなくて、
「何も知らないヤツ」
でしかないのでしょう。
話が大分脱線してますが、
おかしくなってきたときのクリニックって題名打ちましたが、
「なんか喜びがないな、なんか幸せじゃないな」と思う時、カクニンしてみたらいいことのリストです。
人は、色んな時があるものです。
でも、高慢である時ない時があるってのは認めません。それはただの、「何も知らないやつ」だからです。
聖書がいつも教えているのは、新しい発見ではなく「原点回帰」
おかしいぞ?クリスチャンなのに、幸せがないぞ?と思うとき、
以下をチェックすればいいんだと思います。
・牧師、リーダーに従っているか。
・部下や同僚に仕え、良好な関係か
・関係性に不和を覚えている人はいないか
・私生活&信仰生活が満たされているか
・当たり前のことを徹底的に、誰にでもできることを誰よりもやっているか
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