スクールバスに乗った時の話
先日、普段自転車で登下校する私が珍しくスクールバスを使って下校した。その時の話。
部活でケガをした。別に私生活に支障をきたすほどの大怪我というわけではないが、競技を続けていく上でリハビリに行くことに。後輩に勧められた少し遠くの病院へ通院することになった。忙しい現代社会。それは大人だけではなく高校生も同じこと。日々の生活の中で時間を見つけて通院しなくてはならなかった。そんな中、わが校のスクールバスがその病院の近くを通ることを知った。親に毎回送ってもらうのも申し訳ない。幸いスクールバスで通学する友達もいたので、バスに乗ることにした。
ある日の放課後そのスクールバスに乗った。そのバスには私の友人が2人そして、他にも同学年の人達がいた。その人たちは学年カーストトップの女子数名。まぁ恐ろしい。そしていよいよバスに乗りこみ、運転手の方に降りるバス停と乗車料金を支払う。そして乗車席の方を向くとそこにはすでに友人が2人座っていた。またその後ろに例の女子が数人座っていた。学校はもちろんのことそのバスもまたこの女子達の思うがままに事が運んでいる。彼女らは普段はバスに乗らない私を見て、その刹那今日の下校のターゲットとして私が狙われたのを悟った。
女子A「あれ?(私の名前)くんじゃん!なんで乗ってるの~?」
友人A「あーこいつ。ケガで病院。」
女子B「へぇーそうなんだ。てかさせっかく来てくれたんだから写真撮ろーよ!!」
アッつ。いやアッつ。胸が躍った。ブレイクダンスくらい躍(踊)ってた。
カシャッ(写真を撮る)
(女子達が写真を見る)
女子B「(私の名前)くんってね、顔大きいからほら!小顔効果出るんだよー!!」
女子一同「え!すご!めっちゃ良いじゃん!」
誰が始めたかはわからないが、私の顔が大きいというイジリが数年前にあった。面白くないカスが面白くないイジリをしてきた。それが面白くない他のカス達に広まり、そしてここにいる面白くないカス、いや女子達もこのイジリを数年間こすり続けている。
ちなみに私の顔は大きくない。マジで。
心が躍ったのはやっぱりうそ。めっちゃ最悪のスタート。しかしいくら面白くないからといっても相手は学年トップカーストの女子。私がここで自分の本音を叫ぶことなんてできない。
「おい!そんなこと言うなよ!」
なんとかツッコんだ。湯葉くらい薄いツッコミだった。
そこからバスに揺られること数分。荒れた空気も落ち着いたと思ったころ。またその女らが話しかけてきた。
女子A「ねぇ、(私の名前)くん、なんか面白い事やってよ」
!!!!????!、?!?!?!?!!??!?
な・ん・か・面・白・い・事・やっ・て・よ!??
こんな振りこの世に存在したのか?いや存在していいものなのか?
「なんか面白い事やってよ」
これはテレビでお笑い芸人が話すあれだ。
芸人 売れてない時はバイト先で酔った客に「なん
か面白い事やってよ」とか言われて、そんで
まぁやるんすよ。で、まぁスベるんすよ。そ
んでその客に、「くっそつまんねぇな」とか
言われて。そんな時もありましたね。
のやつだ。この「なんか面白い事やってよ」はこの場合しかありえないはずだ。まずこれが向けられるのは芸人などの肩書がすでに面白いに関係するなにかである場合。また、その条件の下、これを向けるものが酔っていたりなど、正常な判断ができない状態である時のみ起こる。つまり普通に生活していればまず起きないものだ。
そしてこの「なんか面白い事やってよ」。何がこれほど悪質かと言うと、まず"面白い事やってよ"の部分だ。そもそも面白い事を見ると人は笑い、幸せな気分になる。つまり面白いは人にとってプラスになるものだ。そのため面白い事をしてくれる人やものには敬意を払わなければいけない。その前提の下もう一度見てみよう。"面白い事やってよ"。そう。面白い事をしてもらう立場の人間が何故か命令している。そんなことありえない。面白い事してもらう立場は必ず上の立場になれない。はずだ。
つぎに"なんか"の部分だ。面白い事を生み出すのは至難の技である。その至難の上に面白いがある。だからその至難である部分をできるだけ簡単にしたほうがいい。なので大喜利でもお題などを与えることで面白い事をする側をできるだけ助けなくてはならない。その前提の上でもう一度見てみよう。"なんか"。そう。"なんか"だ。何も助けてない。なんかとそのテーマすらも相手に任せる。なんとも投げやりだ。読者諸君は大喜利で「なんか面白い事を言ってください」というお題を見たことがあるだろうか?
あるわけない。あったら私が注意しにいく。
これが「なんか面白い事やってよ」がどれだけ悪質かを語る全てだ。
しかし、今それが私に向けられた。恐怖だ。私は考えるより先に2人の友達に助けを求めようと、視線を送った。だがその時苦楽を共にした私の友人達は私に冷たい視線を送った。そして
友人「おい、(私の名前)。言われてるぞ。なんか
やれよ」
はっ!?!?!?!?!?!?!?!?
友人達が私を裏切った。衝撃が走る。そして私は彼らを睨んだ。しかし彼らの冷たい視線の奥。その瞳の奥に悲しみの感情があるのを私は感じた。そう。彼らもまたこの女子達の餌食になっているのだろう。しかも毎日。彼らは今の私の苦しみが分かっている。しかし私を助けようとはしない。助けた瞬間標的が自分に変わるかもしれないという恐怖があるからだ。彼らは動けなくなっていた。
俺らは助けられないけど頑張ってくれ
そんなメッセージを彼らの目から感じた。
女子C 「ねぇはやくなんかやってよ〜」
私の冷や汗は止まらない。この辺りからほとんど記憶はない。うっすら記憶にあるのは私がなんかおもろい事をしたということだ。そしてそれがめっちゃくちゃスベったのはその後の沈黙から悟った。そしてスベった後ある女子が
女子B「おもんな」
おもんな?!?!?!?!?!?!?!?!?!
え、今おもんなって言った?無理難題を突き付けてそれができなかった人に「おもんな」。最悪の流れである。もうイジメじゃん。これ。ある種のイジメじゃん。
女子B「え、めっちゃおもんなかったよね?」
女子D「今のはスベったなぁ〜ほんまに」
追い打ちの「今のはスベったなぁ〜ほんまに」を食らって私はもう限界だった。ちなみに、「ほんまに」や「おもんな」などと言ってる彼女らは産声を上げてから今まで関西で生活したことないが今関西弁を使っている。
こうして地獄のバスは続いた。早く降りたかった。早くリハビリのお兄さんに体だけじゃなくて、この傷ついた心を治して欲しかった。憔悴しきった私は気を失う前になんとか目的のバス停に着き下車できた。窓から手を振る女子達に、声が聞こえないことをいいことに私は、ここでは到底言えない悪口を彼女らに向かって言った。ニコニコしながら。一緒にバス乗れて楽しかったよ!みたいな顔で。
スクールバスが過ぎ去っていくのを見つめながら、危機が去ったことがわかり、なんとか安心できた。
1日の終わりにどっと疲れた。