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平沢進楽曲からみえるファ厶ファタル像~アルバム「SCUBA」から「SIREN」まで~

 皆さんこんにちは、海底潜水艦ノ馬です。またまた懲りずに「SIREN」関係のお話です。ガンガン私の解釈をぶっこんでいきますので、何卒ご了承ください。あくまで私の解釈であり正解ではありません。非公式です。
こういうのもアリかな、というスタンスで楽しんでもらえると幸いです。
 ちなみにこの記事の表題に使用しているイラストは、midjourneyでAIが自動生成したものです。打ち込んだワードは「Siren of Thailand holding a lotus」。筆者の好みがバレますね…(笑)

それではどうぞ。

はじめに


 今回は平沢進の一連の作品を、アニマ、さらに「宿命の女ファムファタル」といったキーワードをもとに解釈していく。まずは彼の楽曲におけるアニマの表れについて言及する。その後ファムファタルという概念との接続を試み、最後に平沢進の創造した一種のファムファタル像について考察していく。結果、彼の創ったファムファタル像も、ファムファタルの文化史に組み込んでも良いんじゃないかな…ということまで言えたら、という感じだ。
 なお、「タイショック」「SP-2」については説明を省く(力尽きた)のでご容赦いただきたい。

1.アニマとは 

 「アニマ」とは、ユング心理学の用語である「元型アーキタイプ」の一種である。ユングによれば、人間の心の構造のなかには「集合的無意識」があるという。その集合的無意識がイメージとして表れてきたものを元型と呼んだ。
 元型は個人で異なるものではなく、人間が先天的かつ普遍的に獲得しているもので、いくつかの分類が可能である。元型は主に神話や物語に登場する人物やモチーフとして、例えばアニマはギリシア神話におけるセイレーンのように描かれる。



2.平沢進の楽曲におけるアニマ

「SCUBA」


 1984年に発表(カセット版)。「ANOTHER GAME」ではα波を取り入れるなど心理学からの影響が見られたが、「SCUBA」ではよりユング心理学の色が濃く反映されている。
 平沢進はP-MODELから一貫して「他者とのつながり」をテーマとして持ち続けていたわけだが(この事に関しては、私がここで詳細を述べるよりも他リスナーの考察を参考にしてもらうのが良いかと思う)、ユング心理学がそれに1つの解を与えている。それは「無意識というレベルでの他者とのつながり」である。一見すると個人と個人、他者とはつながりを持てず孤立しているように思えても、無意識(集合的無意識)という深い海底の部分ではつながっている。そして、無意識へアクセスし他者とつながるために「眠り」が必要なのだ。

仲深まる程に消える口数
夢の合図と秘密で息をつく
あと幾つの現を思いながら
溶けた海の底でキミに会えるか

平沢進 SCUBA「FROZEN BEACH」

鳥になり 獣になり ボクのままでキミになる
おやすみ これすなわち こんにちは

平沢進 SCUBA「REM SLEEP」

 この段階ではまだ集合的無意識や眠りといったテーマを扱うのみという感じがあり、アニマ的世界観が打ち出される一歩前というところか。
 後述するが、「FISH SONG」の歌詞に出てくる「インカ」というキーワードはある時期まで引き継がれていく。


未発表アルバム「モンスター」
 
未発表のアルバム。「Monster a go go」ほか収録予定曲はソロアルバム「時空の水」他に収められた。1990年の戸川純との対談では、このアルバムについて以下のように語っている。

今、P-モデルは休止中なんだけど、活動中に出す予定だったアルバムのシンボルとして「大きくて大きい古くて古い太古の女性性」というのがあって、その巨大さをして「モンスター」というタイトルにするつもりだったんだ。もちろん肯定的な概念のね。

『宝島』1990年3月号 対談平沢進×戸川純
「戸川純って太古の女性だね!?」

 平沢進は太古、原始から存在するアニマ(女性性)をモンスターと表現するつもりであったようだ。「SCUBA」では集合的無意識や眠りが主要なテーマであったが、以降は明確にアニマが世界観に加わってくる。

「サイエンスの幽霊」

 1990年に発表。このアルバムでは過去作に引き続き「科学と祈りのはざま」というテーマがある。以下、公式サイトから引用。

“マッド・サイエンティスト”をキー・ワードに「科学と祈りのはざま」でリアリティを掘鑿する。神話と科学、夢と現実、女性と男性、太古と未来、コンピュータと精神といった一見矛盾するかのような対極的概念が音楽によって統合。ソロ作品としてはテクノ・ポップ的要素が強いが、ノイズもストリングスもアンデス民謡もウェスタンも一体となってひとつの音楽世界を形づくっている。

平沢進ディスコグラフィー・サイエンスの幽霊|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site
※太字は記事の著者によるもの



 先に紹介した戸川純との対談では、両者とも自身の感覚に忠実になって曲を作ったらインカ節が炸裂した、ということが語られる。これは1990年の対談であるから、このアルバムの発表時期ともちょうど重なるのが分かる。
 「FGG」は、このアルバムにおいて最も平沢氏のアニマ的世界観を表していると考えられるが(なんたって歌詞にアニマと出てくる)、筆者もこの曲はインカっぽいと感じている。試しにアンデス民謡と聴き比べしてみて欲しい。「FGG」はソロアルバム「SWITCHED-ON LOTUS」でアレンジが収録されている。そちらも良いのでぜひ。
 ちなみに、戸川純の「諦念プシガンガ」はアンデス民謡の「EL BORRACHITO」に歌詞を付けたものらしい(Wikipedia情報)。

「SimCity」

 1995年に発表。アニマはP-MODEL活動時から彼のインスピレーションの大いなる源泉であったが、それが顕著に表れたのがソロアルバムの「SimCity」だ。いわゆるタイショックの影響が色濃い作品である。タイショックによって、これまでのアニマ的世界観に「タイ」という要素が加わった。インカサウンドは鳴りを潜め、アジアンテイストなサウンドへと切り替わっている。また、タイで出会ったSP-2はジャケットやコーラスとして参加している。

 平沢進はSP-2との交流の中でこのように語っている。

注意深く見ていると、彼女らが女性的に見える要因である仕草や行為、考え方は、本物の女性には見られないものが多くある。おそらく彼女らが女性性の成就において参照しているのは、”女性”あるいは”母”の原始心像のようなものだろう。それは、形や行為に現れる前の普遍的な原理であり、社会や時代の影響を受けずに生き続ける人類共有の記憶のようなものだ。カトゥーイは、その原始心像の表現のために一生を費やすのであり、社会や時代の価値観によって定義された”そう在るべき”実物の女性をコピーしているのではない。

SP-2 – ページ 45 – Phantom Notes|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site
※なお、「カトゥーイ」は原文ママ

 つまりSP-2はジェンダーとしての女性性ではなく、「”女性”あるいは”母”の原始心像」つまりアーキタイプ(そしてそれは平沢にとってアニマであった)を体現しているのである。

平沢進「Sim City」のジャケット


 そしてこのアルバムのジャケットを飾るのは、黄金の装飾に身を包んだSP-2のMiss.Nである。これまで、アニマという抽象的な概念は歌詞やインカサウンドなどを通じて表現され、視覚的なイメージをあまり獲得していなかったように思える。が、このアルバム以降原始心像アーキタイプを体現しているSP-2がアニマ的世界観のシンボルを担うようになったのではないか。
 

「SIREN」

 1996年に発表。前作に続きタイショックの影響を受けた作品である。SP-2やタイの街以外に「サイレン」と「人魚」がモチーフに据えられており、神話的空間を展開する。前作のSP-2に加えて人魚というモチーフが獲得され、より一層アニマ的世界観を押し広げた。

ハーバート・ジェームズ・ドレイパー
《ユリシーズとセイレーンたち》

 さらに、人魚ならではの「誘惑」という要素も歌詞に加わっている。セイレーンはその歌声で船乗りを誘惑するのだ。

花を手に人よ来てあの声に身を投げよう

平沢進 SIREN「Mermaid Song」

 このアルバムをもって平沢進のアニマ的世界観に一応の完結をみることとなる。なお、このアルバムについては別稿あり。こちらも読んでみてもらえると嬉しい。


3.ファム・ファタールとは何か

 ファムファタルとはフランス語で「宿命の女」という意味。この言葉が生まれたのは19世紀デカダンスの時代だと言われている。例えば「サロメ」は代表的なファムファタルとされ、オーブリー・ビアズリーの挿絵やギュスターブ・モローの絵画などが有名である。

ビアズリーによるワイルド訳『サロメ』の挿絵。
ヨカナーンの首を見つめるサロメ。
ギュスターヴ・モロー
《出現》


 人魚もファムファタルの1つであり、19世紀芸術では人気の題材だった。上で挙げたドレイパー、モローほか、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスやロセッティ、バーンジョーンズなどラファエロ前派や唯美主義の画家が好んで描いている。
 ファムファタルにも様々なタイプがいる。男を「誘惑」し、好色で、ある時は破滅へと導く典型的な魔性の女だけではない。ファムファタル像を定義づけるのは一筋縄ではいかないが、松浦暢『宿命の女―愛と美のイメジャリー 』ではファムファタルの共通点としてアニマ的な女性像が挙げられている。

〈宿命の女〉は、まさに男のえがく理想の女性像、ユング流にいえば、アニマ、男の内奥にひそむ女性部分、まだ活性化されていない精神の無意識の未分化部分をえがきだす心の像といえよう。

松浦暢(1987)『宿命の女―愛と美のイメジャリー 』平凡社


4.平沢楽曲におけるファムファタル像

 アニマを表現した結果としてのインカは、その後タイの都市へ場所を移す。タイで出会ったSP-2は、平沢進のアニマへの憧憬とアニマそのものを具現化した。ファムファタルは「男性の映し出したアニマ的な心像」であるが、平沢進にとってそれはSP-2だったのではなかろうか。そして人魚というモチーフ―アニマの典型でありファムファタルである存在―が平沢進楽曲におけるファムファタル像を補完した。
 彼はアニマと人魚をその世界観に導入したことによって、図らずも作品とファムファタルという概念との接合を果たしていたのである。
(筆者の知る限り、彼からファムファタルという言葉を聞いたことが無い。もしあったら教えてください…。)

 ファムファタルは魔性の女とも言われ、誘惑した/された男性を破滅へと導くことが多々ある。そういった「男性を破滅させる」という特徴は平沢氏の楽曲に見られるファムファタル像にはあまり当てはまらない(ファムファタルが全員男を破滅させる訳でもないし、しかも彼は別に破滅していない)。それよりはむしろ、さらにファムファタルの本質的な要素である「誘惑」―いざないと言ってもいい―が適当だろう。それは平沢進が人魚というモチーフを選んだからでもあり、彼自身がSP-2に「魅了された」からとも言える。アルバム「SIREN」では、ここではない何処かからの―神話的世界からの―セイレーンの声(サイレン)が描写されるが、まさにそれは「誘惑」する人魚の声であり、平沢進にとって原始へと「いざなう」アニマの声であった。

風に競えよ なお行く鳥
陽は落ちて 
遥かアニマの声なき声 いまに来て

平沢進 サイエンスの幽霊「FGG」

5.まとめ

 平沢進はそのアニマ的世界観の展開の中で、1つのファムファタルを創り上げた。それは我々を「ここではない何処か」へといざなう存在としてのファムファタルであり、超人的・神話的な存在である。そして、そのイメージは、美しい黄金の装飾を身にまとったMiss.Nと人魚の融合によってあらわれてくる
 また、プラアパイマニー人魚伝説の鬼女ピースアサムットゥをファムファタルとして捉えるなら、平沢進は実際にファムファタルを元ネタとして「SIREN」を創作したともいえるのであり、ファムファタルの文化史の中に十分位置づけが可能なのではないだろうか。


※最後はちょっと言い過ぎな気もするが、そうだったら面白いな。
※元型やアニマについてもっと掘り下げたい。また、力尽きて「Virtual rabbit」や「AURORA」については割愛した。

補足
 この記事では平沢進のアニマ的世界観とファムファタルを接続するという事をやった。今回はメインで言及はしていないものの、手放しにしてはおけない部分も存在することを一応指摘しておく。
 ファムファタルには相反する2つの評価が与えられており、その1つは、それがミソジニーを反映したものであるというものである。そして、平沢進の女性観にも一部共鳴するということである。平沢進が自身の体験と共に感じた「女性」という存在への畏怖の念や神秘性は、戸川純と共演している番組(?)で語られている。2022年8月現在も探せば確認できるので、各々で確認と判断をしていただきたい。


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