見出し画像

平沢進「SIREN」解剖

皆さんこんにちは、海底潜水艦ノ馬です。
一回目の投稿は、アルバム「SIREN(セイレーン)」について書いていきます。ソロ・アルバムの中でも比較的世界観が分かりやすいとされる(?)故にか、このアルバムについて詳細に書かれた記事はあまり見ないような気がします(全く無いわけではないですが)。今のところソロで一番これが好きだという事もあって、今回の題材にすることとしました。
歴が浅い未熟者ですが、少しでも楽しんで読んでもらえればと思います。それでは、本題に。

はじめに


この記事では「SIREN(セイレーン)」について、既に何らかの形で発表されている情報をもとに、私なりの解釈/論評を提示しながらアルバムの世界観や魅力を紹介していく。平沢本人のインタビューなどを参照するが、必ずしもその真意を汲み取り切れているかは保証できない。あくまでも一つの解釈の形として読んでくださると幸いだ。

「SIREN(セイレーン)」の世界観

神話的空間と都市空間の描写
人魚は、このアルバムの重要なモチーフである。
平沢いわく、サイレンを題材としたアルバムを作りたかったが悩んでいたという。しかしふとSIREN(セイレーン)とSIREN(サイレン)の綴りが同じことに気が付きこのアルバムの構想に至ったそうだ。セイレーンといってもギリシャ神話のそれではない。タイの詩聖、サントーン・プーの『プラアパイマニー』人魚伝説と、人魚を題材にしたタイの芸術、踊りなどがインスピレーションを与えている。タイにはこの伝説に登場する人魚の像があるが、見た目は我々が想像する半人半魚そのままだ。

僕はこじつけの名人でありまして(笑)。サイレンにまつわるアルバムや何かを作りたかったんですが、なかなか題材が見つからなかったんですよ。
タイ生活が長い…というと大げさですけど(笑)、前回のタイ・ショックをまだ引きずっていて、タイにいた時のショックとか、タイの友達との付き合いから感じる感触から、タイのあのソプラノ・ボイスがいつもイメージにあるような状態が続いているんです。
そういうことを心に抱えつつ、ある時タイにある古い話の人魚の話を友達に聞いて、タイの美術…人魚を見せてもらったり、人魚の話を踊りにしたものを見せてもらったんです。そうしてるうちに、そのいくつかが絡み合ってきた。そしてある時、セイレーンとサイレンの綴りが同じだということに気がついたんです。

引用:雑誌「KB SPECIAL」1996年9月号No.140.

人魚という伝説上の生物が具体的なモチーフに据えられていることで、ユング心理学/ニューエイジなどに影響を受けた平沢の詞から連想される異世界的なイメージを、聴き手が神話的空間の描写として捉え直すことができるわけである。もちろん、平沢がある程度神話的な世界観を意識して詞を書いた可能性もある。セイレーンといったモチーフもユング心理学と結びつけやすい。ユング心理学においてセイレーンはアニマ(アーキタイプの一種。女性性)の象徴であり、セイレーンから「海」も連想される(海もユング心理学に関係があると思われるが、浅学なので言及は控える)。

著者には音楽的素養がほぼ無いので、アルバムのシンセ・サウンドがどのような理屈で海や神話的空間を表わすに至るかについては言及できない。詩的に表現するならば、まるで電子音の柔らかい海のなかで、きらめく泡沫が生まれては消えるようなサウンド、海に揺蕩うようなサウンド、と言ったところだろうか。

ここまではアルバムの神話的側面について触れた。しかし、アルバムにはもう一つのイメージ―女性原理(ソプラノ)が響く都市空間―がある。平沢はアルバム制作時、タイに度々足を運んでいる。そこで彼はこのような感覚を得た。

セイレーンという女神は、災いが近づいた時に叫んで知らせるという。おそらくサイレンという言葉は、セイレーンにあるんじゃないかと気づいて。そこからサイレンと、神話的なモチーフであるセイレーンとが…例えば、都市の中にある神話的感触としてのサイレン、東京のような近代都市では感じられにくくなった女性の原理的な感触、あるひとつの都市や空間を形作るもとにあるようなもの、そこにタイのソプラノ・ボイスが自分の生活空間のなかに両方の感触が入り混じってできたアルバムです。

引用:雑誌「KB SPECIAL」1996年9月号No.140.

著者も分かりやすく神話的空間を描いた曲(「サイレン(Siren)」「Siren(セイレーン)」「Mermaid Song」など」)とそうでない曲があるなと感じていた。このそうでない曲が何を表わしていたかというと、タイ、バンコクから平沢が感じ取った情景なのである。「Nurse Cafe」とは平沢がSP-2と過ごしたバンコクのカフェのことであるし、歌詞に登場する「バス」「雑踏」「通り」「街頭」など、都市を連想するような要素が含まれている。

サイレンがもたらす効果―神話的空間と都市空間の交錯―
以上では人魚というモチーフがもたらす神話的空間の展開と、平沢の体感したタイ王国の情景がアルバムに込められていることを語った。では、ここにもう一つのモチーフ、サイレンはどう関わってくるのか。正直、ここまでの話だと「モチーフは人魚とかタイ王国だけで良かったのでは…?」と思う人もおられるかと思う。いやしかし!それだけでは作品は完成しないのだ!魅力に関わる部分なので声を大にして言いたい。

このことについて語るには、インタラクティブ・ライブ「架空のソプラノ」を紹介する必要がある。大筋のストーリーは、「平沢が緑の神経網という世界との関連を取り戻すために、あの男(ウィワット・タラサンゴップ)に会いに行く」というものである。ライブでは、平沢とウィワットの以下のようなやり取りがなされる。

「私を訪ねに来るキミよ」「この音は何だ」
「音じゃない…」「声だ」
「私を関連の大海へと沈めるセイレーンの架空のソプラノ」

インタラクティブ・ライブ「架空のソプラノ」より

このやり取りの最中には、Siren(サイレン)のイントロが鳴り響いている。つまり、サイレンとは都市に流れるセイレーンの声、神話世界から届く架空のソプラノ・ボイスなのである。それは平沢がタイで感じた情景であり、我々が街中でサイレンの音を聞く時、あるいはアルバムを聴くとき、それを追体験することができる。神話的空間と都市空間の交錯、それはサイレンの音(声)によってはじめて表われてくる。サイレンとセイレーンを巧みに結びつけることによって、神話的空間と都市空間の交わりが表現される…センス良すぎないか平沢進…!!!(筆が滑った)

ディスコグラフィにおける位置


このアルバムはタイ・ショックのさなかに制作され、アルバム「Sim City」と同様タイ王国から強い影響を受けている。タイ・ショック以前からも平沢は「女性性」というものについてある種のこだわりを持っていたわけだが、SP-2との出会いによってそれが作品として分かりやすく表現されるに至った。アルバム「SIREN(セイレーン)」が特異なのは、やはり女性性というテーマに人魚とサイレンを持ち込んだことにあるように思う。「WORLD CELL2015」あたりまで続いたテーマである「全き人格の回復」や、核P-model~現在の平沢の楽曲に見られる陰謀論めいた世界観とは一線を画している。残念なのは、「救済の技法」からあまりその影が見られなくなったことだ…著者としては寂しい限りである。「Switched-on Lotus」のアレンジくらいかもしれない。

おまけ―神の声としてのサイレン―


ホラーゲーム「SIREN」をご存じだろうか。有名なので知っている人も多いかもしれない。なんと、このゲームとこのアルバムにはある共通点がある。それは、サイレンが「声」であること。しかも、それは「神の声」なのだ。ゲームでは、鳴り響くサイレンは神「堕辰子」の叫びなのである。そもそもサイレンというのは、「何かを知らせる」時に鳴る。それは世界が非日常のものへと変貌していく前触れ(例えばそれは災害であったりするわけだが)であり、警告である。ゲームでサイレンが鳴る時、舞台である羽生田村は異界へと取り込まれてしまう。それはまさに神話的な異世界への接触であり、交差だ。この世界観は上での解説と通じるものがあるように思う。サイレンの音を聞いた時、我々は恐怖、不安、怯えといった感情を持つ。両作品とも、その感情を「神や別世界の存在への畏怖、それらが迫りくる恐怖」にうまく繋げているのではないか。ちなみに、アルバムの方がゲームよりは先だが、ゲームがアルバムから影響を受けているかは分からない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?