アル・ディメオラ〜スパニッシュ系サウンドの魔術師
私は本当はフュージョンという言葉は好きではない。
元々はこの手のものはジャンルが特定出来ない境界を越えた音楽、クロスオーバーという名前が先行していた。
1970代前後から始まったジャズの革新は過激であった。
楽器のエレクトリック化、リズムの自由化、ロックやクラシック、民族音楽を取り入れた音楽は融合というより、格闘だった。
ギターとキーボード、或いはベースとドラム、それぞれが奏でる楽器が自己主張して切磋琢磨していた。
その代表的なバンドの一つがアル・ディメオラがリードギターとして参加したリターン・トウ・フォーエバー(以下RTF)である。
○RTF
若干二十才にしてデビューのディメオラの堂々たるギタープレイは既に完成されていた。
そして1976年発表のソロデビューアルバム「白夜の大地」で脚光を浴びる。
若干22才と思えぬ風采とギタープレイは無論のことだが、スパニッシュなフレージングを凄まじく弾きまくるディメオラに多くのジャズやロックファンが引き摺り込まれた。
なおこの作品の組曲にはあのジャコ・パストリアスが参加して盛り上げている。
○魔法使い
フルピッキングで弾きまくるディメオラのスパニッシュなフレージングに圧倒される
そして2ndアルバム「エレガント・ジプシー」はディメオラの特徴であるスパニッシュ系サウンドをふんだんにフィーチャーした作品であった。
中でもレース・ウイズ・デビル・オン・スパニッシュ・ハイウェイと地中海の舞踏は今でもライブでハイライトとなってる作品。
前者はハードロックやメタルなどのロック系にもかなりの影響を与えた。
1981年の初来日公演で生で見たが、ディメオラはステージから降りてギターを弾きまくった。
当時レインボーでの観客死亡事故でロックのライブはかなり規制されていたが、ジャズは規制外。
観客は総立ちになり、会場は盛り上がってカオスと化した。
○レース・ウイズ・デビル・オン・スパニッシュ・ハイウェイ
ハードロック&メタル系ギタリストにも影響を与えた鬼のフルピッキング奏法。
ライブではこの曲の終わりにジャンピング・ジャック・フラッシュを決めていた。
後者はパコ・デ・ルシアとのアコギでの共演。私にフラメンコ音楽の楽しみを教えてくれた名曲である。
○地中海の舞踏〜広い河
再会ライブから。
ディメオラは広い河からヒントを得てこの曲を書いたのだろう。なおライブでは広い河へと繋がる。そしてパコ以外にも多数のギタリストと共にこの曲を共演している。
なおジャズのテクニックを取り入れた後年のパコの弾きぶりは神がかっている。
エレクトリックとアコースティックでのパイオニアとなったディメオラは速弾きだけではない音楽の存在感をアピールするため、スペイン音楽からさらに強めて自らのルーツである地中海音楽やプログレ啓サウンドへと拡大して行く。
○アドバンテイジ
ディメオラ版フリーウェイジャムか?ヤンハマーか加わると,どうもあの雰囲気がサウンドを変えてしまう。
ジェフベックとの共演で名高いヤンハマーは、初期からキーボードやドラムで参加していたが、1982年のアルバム「エレクトリック・ランデブー」ではほぼ全面的に参加し、ディメオラのロック的側面を打ち出した。
○ジュエル・インサイド・ア・ドリーム
幻想感が溢れるディメオラのギターとヤンのキーボードのコラボ曲。
速弾きだけに飽き足らず、音楽の可能性を追求するディメオラは中南米音楽を中心とする音楽グループ、ワールドシンフォニアをスタートさせる。
その後は若き頃影響を受けたビートルズのソロアルバムを発表したり、アコースティックに重きを置いていたが、ここ近年はエレクトリックでの活動も積極的に行なっている。
○ソング・トウ・ファラオ・キングス
第二期RTFの曲群の中でも重要曲。リーダーのチックコリアも後にセルフカバー、ディメオラもセルフカバーしている。
精力的に活動して来たディメオラだが,昨年心臓発作を起こして倒れる事態が起きた。
しかし静養後再びまた活動を開始している。
あの鬼フルピッキングは今も健在、末永く活動を続けてほしいものだ。
では最後にジョーサトリアーニ、スティーブヴァイ、スティーブモーズ?が組んだG3にゲスト出演した映像を貼り付けます,。
○ロッキン・イン・ザ・フリーワールド
スティーブヴァイはディメオラから強く影響を受けており、何度も共演を果たしている憧れの存在。ディメオラはここではニールヤング のナンバーを自慢のフルピッキング奏法でG3を迎え撃つ。