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コージーパウエル〜天国へ渡った渡り鳥ドラマー
コージーパウエルを初めて知ったのは第二期ジェフベックのアルバムだった。
「ラフ&レディー」のジャケに写った若き頃のコージーの顔はジェフベック先生とまったくそっくりであった。
ジェフベックは即座にコージーをドラマーにして第二期ジェフベックグループを出発するのだが、このバンドは黒人音楽とスワンプサウンドを取り入れ、しかも後のジャズフュージョンさえ通じる音作りをやっていた。
あまりにも先駆け的な音で当時は受け入れられず成功しなかったが、現在は評価が高い。
○第2期ジェフベックグループ〜今宵はきみと
ボブディランのカバーがレゲエ調にアレンジされたナンバー。若い頃のコージーはジェフベックにそっくりだ。
一般にコージーはこのあとレインボー、ホワイトスネイク、ブラックサバスとハードロック&メタル関連のバンドへの参加が多く、そっち系にカテゴライズされるが、これは疑問に思うところ。
彼の最初のソロアルバムとセカンドアルバムはフュージョン系のナンバーをかなりやっており、音楽的にはかなり自由度が高かったのではないだろうかれ
○悪魔とダンス
コージーのニックネーム、オクトパスの通り変幻自在に操るドラムスティックが炸裂するインストナンバー。
筆者がコージーを観たのはレインボーの初来日公演だった。
リッチーブラックモアが結成したこのバンドはコージーパウエルなしでは考えられない
○レインボー〜スティル・アイム・サッド
コージーのドラムソロを挟んでのヤードバーズのカバー
ほとんど別の曲に思える。
筆者は実際1977年の初来日公演でコージーパウエルを観たが,今まで観てきたなかでも数えても良い最高のドラムプレイだった。
特にチャイコフスキーの「序曲1812年」に合わせての熱演はハードロックバンドに影響を与えただろう。
最もインパクトを与えたレインボーだが、コージーはこのバンドに固執することはなかった。
これは筆者のあくまで私感だが、彼はゲイリームーアと似た音楽嗜好を持っていたのではないかと思うのだ。
ギターとドラムという違いがあるにせよ、まずハードロックとフュージョンに大いに影響を受けていることた。
偶然にもゲイリーはコージーパウエルの初期の2枚のソロアルバムに参加しているし、コージーの作った曲、「ザ・ローナー」をカバーしている。
○ザ・ローナー
元々はジェフベックがやることになってた曲だが、都合で参加出来ずクレム・クレムソンが弾いている。
なおジェフベックは次のアルバム,サンダーストームでヤンハマーに書いてもらった曲で参加となる。
コージーとゲイリーはELP関係でもコージーはエマーソン・レイク・パウエルとして、ゲイリーはグレッグレイクとのデュエットアルバムをそれぞれ製作している。
そしてコージーの最終局面はピーターグリーンのグループへの参加である。
○ピーターグリーン&スプリンターグループ
コージーの抑えの効いたドラミング。
ピーターグリーンをサポートするグループのプレイにも注目。
コージーはおそらくハードロックの固定観念を捨て去りたかったか、ルーツに戻りたかったのか、それともカーレーサーとして転身を本気を考えていたのか、今となってははっきりしない。
それよりも交通事故で命を散らしたのはロック界において大変な損失であったといえよう。