ヒューマニティーは死んだのか?『夜と霧』と希望について
私の大事な一冊
今まさにパレスチナでホロコーストが行われているからこそ、そしてクリスマスという今日だからこそ、どうしても紹介したい
それがヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』
第二次世界大戦のさなか、ヒトラーによる大量虐殺が行われたアウシュビッツ収容所で、そこに収監された人々や、看守の生き様と人間性を、精神分析医の視点から克明に記録した名著
出会ったのは高校2年の頃だったと思う。
豪州への留学から帰国して、現地のアジア人差別やアボリジニに対する不当な偏見を身をもって体験していた自分にとって、
「人種差別」は大きなテーマだった。
そんな時に、確か母か社会科の先生に勧められて読んだのが『夜と霧』だった。
名著ということで読み始めたが、
どんどん引き込まれていったのを覚えている。
人間というものが、いかに残酷でむごいか、なんと汚く脆いのか
アウシュビッツで人間の醜いところがどこまでも露呈していく、その様が描かれていた。
しかし私が感動したのは、
人間がそんな極限状態でも失わない心の美しさも描かれていたことだった。
どんなに苦しくても、互いを助け合おうとする人々、どんな残酷な仕打ちを受けると知っていても、隣人ではなく自分が引き受けようとする善の精神、そして過酷な状況の中でも決して失わない希望
フランクルはキリスト教徒の人々が、いつか必ず助かる日が来ると、いつか解放され幸せな日常を送ることができる日が来ると信じる姿を描いている。
祈り、希望、信じ続けることの強さと美しさ
ただその中にどうしても忘れられないエピソードがある
希望を胸になんとか生きていたキリスト教徒たちが、あるとき突然皆バタバタと息を引き取った時があったという
それがクリスマスの翌日だ
クリスマスが来れば、きっと、クリスマスを越えれば助かるかもしれないと、自分たちを支えていた希望が、その日、崩れ去り、人々が亡くなっていったという話だった
私たちが今日、自分が愛する人と食事ができること、或いは1人で好きな映画を観ていられること、あるいは懸命に仕事をしていられること
それは全て奇跡に近い、ありがたいこと
同時に私は思う、いまパレスチナではそんな日常を取り戻す希望を失いかけている人々が、たくさんいるかもしれない
私たちができるのは、彼らに「あなたと私は共にいる、私たちがどうにかこの虐殺を止めるから、だから希望を捨てないで」と伝えることではないか
あなたのその声はきっと、小さなことではない
とてつもなく勇気のある、強く、美しいことだと思う
アウシュビッツに収容された人々には、誰もそんなことを伝えることはできなかった
でも幸い21世紀の今は、SNSがある
彼らに連帯を示すことができるのだから、しないわけにはいかないじゃないか
そう私は思う
フランクルがこの本を通して残してくれたのは、後世の私たちへの祈り、そして希望を失わずに生きる勇気じゃないだろうか
私はあなたと一緒に、それをしっかりと受け止め繋いでいきたい