2022.3.13 開祖とは
私が開祖になりたいと思ったのは、大学3年生の頃。
就職活動を勧め、自己分析を進めていく中でたどり着いた。
自己分析ができる心理テストのようなもので、遊んでみたが、どのサイトでも、指導者や開祖が出た。
開祖が向いているかもしれないということを意識し始めた。
ただ、開祖とは何か、ここで思考の整理をしておきたい。
まず、開祖とは、「ある宗教の教えを最初に説いた人」のことである。
この概念は、多くの人が知っていると思う。
また、「学問、芸術などの一派を始めた人。また、事業を最初に起こした人。」との概念も存在する。
私の考えは、両方の概念を足して割ったものに近いのかもしれない。
☆
私には、好きなブランドがある。
サルバトーレフェラガモやジミーチュウ、セルジオロッシなど……。
ここには書ききることが出来ないほどあるが、多くのブランドには創業者の名前が付けられている。
日本のアーティストで考えると、「ハナエモリ」や「タケオキクチ」などである。
あるブランドが好きな人は、全身一つのブランドでコーディネートしたりする。
私も、フェラガモの靴に、フェラガモのバッグと財布。
髪が長い時は、バレッタも愛用していた。
一つのブランドに熱狂し、そして愛用していくのである。
これも、私は一つの宗教だと考えている。
いうなれば、私はフェラガモ信者だ。
最近、広辞苑には「沼」という言葉が追加されたそう。
世の多くの人には、「推し」と呼ばれる存在がいるだろう。
その人をこよなく愛し、追いかけている。
「推し」は「神様」であり、唯一無二のその存在を、尊ぶ。
これも、一つの信仰の形ではないだろうか。
ただ、私はそのような存在でないことを自覚している。
「推し」として紹介される人物は、誰もかれもが才能に満ち溢れている。
光り輝くその才能を前にしては、私は足元にも及ばない。
私は神ではないことを身をもって実感しているのである。
☆
開祖は、神の存在を見つけ、その教えを伝え広める存在であると考える。
現在、私は、神の存在を探し求める開祖なのである。
これからも、開祖の導きのもと、新たな才能を見つけていこう。
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