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短編小説 蚊取り線香
わたしは夏が嫌いだ。会社帰りの夜道を恨めしく歩く。
止まらない汗、照りつける太陽、乾いていく喉、寄ってくる虫、それに対応する蚊取り線香、蒸し暑い夜道。
どれをとっても憎たらしい。
家に帰るとエアコンの涼しい風と妻が迎えてくれる。ここは天国だ。
妻とは結婚して5年が経つ。
いい加減アパートを辞めて戸建てを買ったり車を買って外に行きたい。
家事で苦労している事を微塵も感じさせずに妻は毎日私の世話をしている。私が家事をしようとすると止めてくるのだ。
今は日を跨いでいる。朝早くに起きて支度をし私を玄関まで送り届け、こんな遅くまで待っていてくれている妻には感謝しかなく。
せめて私にできる事は転職の勉強を毎日2時間だけだがしている。この長時間勤務に対する報酬は割に合わないのだ。
いつも気がつくと私の後ろで蚊取り線香を妻が焚いて置いておいてくれる。ありがたい。
妻が用意する蚊取り線香は大体3時間は持つと言っていた。
私はいつもそれを目安に勉強をしていた。
ある日後輩が大きなミスを犯し、責任と取らねばならなくなった。つまりクビだ。
後輩のせいでクビにはなったが、私はこの生活から解放された少しの安心感もあった為恨みなどはなく、泣いていた後輩にはなにも責めなかった。
これも一つの機会と考えよう。妻には帰ったらすぐ言おう。
思ったよりも重い足取りはなく、私は家に帰って妻に伝える。
妻は笑って頑張ろうと言ってくれた。
今日は何もせずに休んでくれと言われ、今日は勉強をせずに寝る。
いつもの蚊取り線香の匂いがした。
あれから数年後、また嫌な夏が来た。
私は再就職をしてうまくいき、それなりに生活も豊かになったのでアパートを引っ越す事にした。
物置を漁っていると懐かしい蚊取り線香が出てきたがどれも切れ端ばかりであった。
分からなくて妻に問うと妻は恥ずかしそうに
「当時3時間の勉強をさせたら持たないとおもったので、蚊取り線香を半分にして早く休むように促してました。残りはこうやって取っておいて後日使ってました。」
思わず私は笑ってしまった。
そういえば最近は電子式が買えたり、蚊帳などを使っていたので気にしてなかった。
昔の道具は使い方次第で優しさが入るものだ。
私は蚊取り線香の切れ端に火をつけて皿の上におく。夏は嫌いだが蚊取り線香の匂いは好きになった。