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自己紹介という名目の自分語り【初めてのnote】


イントロ


noteに限らず、大抵の人は(こうやってエビデンス無しに主観でものを語るのが愚者の特徴のひとつである)SNSアカウントを作ったら自己紹介文という名目で自分語りを始める。冷静に考えてそんなものはプロフィールに書いているのだから一切投稿する必要は無いのだが、常に承認欲求という名の他者への畏怖心を抱いてきた人類にとって、それは最早当たり前の行為なのかもしれぬ。

自己紹介などとはよくいったものである。

無意識に承認欲求を満たすことに羞恥心を覚えるのか、人は自分語りという行為を遂行する際に「自己を紹介する」という意味のフレーズを使いがちである。いかにも「お前が俺のことを知りたがっているのだから、仕方なく教えてやる」とでもいうような高慢な態度である。典型的なレスだが、それこそ「お前なんて誰も見てないから」と言い返したくなる。

では何故私がその愚論と矛盾するように、斯くしていきなり「自分語り」を綴りだしたのかと云われれば、大して理屈っぽい答えは返って来ない。noteの自己紹介欄の字数制限140文字に、「自分語り」が入りきらなかったからである。なんだ。人類は他者に承認される事に腐心しているばかりだああだこうだと偉そうに語っておきながら、最も自分を語りたいと思っているのはお前じゃないか。…なんて嗤われても、悔しいことに、非常に滑稽なことに、私はただ紅潮して黙っているほかなくなってしまうのだろう。

さて、中途半端にポエミーな導入は置いておいて、本題の自分語りに入ろうと思う。

1.「海鮮丼」とは何者か?

「海鮮丼(以下私)」は博麗神主ことZUN氏原作、「東方project」というある同人弾幕STG(或いは音楽CD)のいちファンである。哀しいことにSNSに堂々と掲げられる程の偉業を成し遂げたことはただの一度もないから、それぐらいしか私が何者かを表現できる言葉は見当たらない。ZUNさんレベルまでは行かなくとも、いずれ、世間にちょっとした影響を呼んだことがある、ぐらいの爪痕は残してみたいものだ。

東方紅魔郷 〜 the Embodiment of Scarlet Devil.(東方project6作目)

ではリアルでは誰なのかといえば、なんのことはない、中身は何処何時でもいるただの厨二病の学生である。こんな駄文を思いつくがままSNSに書き殴っているようなやつだから、現実でもネット上でも友人は片手で数えられるほどしか居ない。品の無い、知性に欠ける言葉で私を形容するのならば、私は典型的な「陰キャ」である。あなたが「教室の隅でずっと読書をしてた根暗なあいつ」を見たことがあるならば、私はまさにそいつそのものであるというべきだ。

読書をしている根暗といえば、プロフィールにも書いておいたのだが、私は読書が趣味である。好きな作家は京極夏彦先生、司馬遼太郎先生、最近よく名前を耳にする方でいうと浅倉秋成先生あたりだろうか。

また音楽も趣味のひとつである。先述した「東方project」のゲーム内で使用されているbgmをDAW上でピアノでアレンジし、YouTubeに投稿している。これがどうもなかなか面白く、どうすればより良い伴奏を作れるか、どうすればホールで演奏しているような音色により近づけることができるかなど、様々な課題・目標を達成するために画策する事に快感を覚えるのである。

いわゆるDTM(デスクトップ・ミュージック)というやつである

2.noteで何を晒す予定なのか?

私のnoteでは、主に脳裏に過った下らないアイデアや、東方project、京極堂シリーズなどの読んだ本の考察、DTMでの楽曲制作の裏話など、エゴを全面に押し出したエッセイをのんべんだらりと不定期で綴ってゆくつもりである。もっとも何事に関しても飽きっぽい私のことだから、いつ更新を止めてしまうのか判らない。

私がnoteを書き始めることにした理由は、勿論承認欲求や寂寞感・孤独感といったマイナスの感情が齎す心の隙間を埋めるためというのもあるのだけれど、それよりも自分の頭で考えたことをメモ代わりに(まあ本来の"note"の使い方である)記しておきたいというのがある。自分はどうも昔から妄想癖があるのだが、折角良いアイデアが浮かんでも忘れっぽいせいで15分後には頭の中から左様なら、なんてことが頻繁に起こるからである。要は備忘録として、である。そんなことが無ければメモなど必要がないと思うのだが。

また何故アナログ・オフラインの環境でメモするのはダメなのかというと、過去の自分が記した考えを閲覧すると、突如湧出する羞恥心のあまり、ノートを削除してしまうことが度々あるからである。冷静に考えてみれば、未だアウトプットしていない発想を無意識領域の底部に葬り去って仕舞うのは非常に勿体ないように思う。だから、SNSとそのタトゥー的な性質を利用して自分のアイデアの全てを「晒す」ことにすれば、まあ記録を完全に削除することはできまいし、逆にSNSに投稿できる程度にアイデアはただの端書きからエッセイへと、品質が大きく向上するのではないかという淡い期待も抱いているのだ。

3.何を目的としてnoteを書くか?

ではそもそも、矢庭に思いついたアイデアのメモを取る理由は何か。
それは自分でも解らない。というより、無いのだと思う。

正直、iPadに標準でインストールされているメモアプリを使っていた時も、一体何の為にこんなものを書いているのか自分でも判然としなかったのである。厨二病の副作用か。将来見返して雑文の中からなにか発想を得る為なのか。いずれも少しずれているように思う。私の厨二病の副作用、即ち黒歴史といえば小学校高学年から中学校1年生にかけて、ネット掲示板で無闇に攻撃的になってレスバをしていたことぐらいなのだ。ああ痛い。

では将来このnoteを見返して、そこに仕事のヒントを見いだすために書くのか。そんなことは確実にない。だいたい、例えば自分が小学生の頃自由帳に描いていた漫画を見返して、新作品の展開のヒントにする漫画家や小説家など多くない、というよりほぼ存在しない筈だからだ。

理由なんて後からついてくる。いつか見つけた、ネット上に星の数程あるブログの中のどれかひとつにあった文章であるが、正にその通りなのかもしれぬ。まあこれは必死の努力の末、実を結んで結果を出した立派な人の為の台詞なのだと思うが、自分も行動の理由を追うのではなく、謂わば考えるより先に手足が動く人間になりたいのである。

アウトロ

Twitter(現X)よりはnoteの方が備忘録としては断然雰囲気的に書きやすいのは正解だったが、noteは編集画面が見づらく別の意味で書きにくいSNSだ。まだ自分が慣れていない所為もあるだろうが、モバイル上でのデザインももう少し考慮してほしい。

これから恥ずかしいことそうでないこと色々と語ってゆくと思うが、読者にはどうか暖かい目で応援して貰えれば承認欲求が満たされて嬉しくなる限りである。

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