理科大演劇部ラムダの話をしよう。そして、大学での演劇の話を。(1)

【第一部】入部とオンライン劇

自分が劇団羅夢駝(以下ラムダ)に入った理由は単純だった。理科大に進学することを決めたからだった。演劇を続けることに決めたのは、高校の卒業公演があったからだ。

自分が高校を卒業したのは3月10日。その後、高校演劇部の卒業公演として、第29回はいすくーるドラマすぺしゃる@俳優座劇場に出演することになっていた。4月まで約1カ月間の稽古が始まった。その1カ月は本当に楽しかった。たったの1カ月にもかかわらず、受験の1年より何倍も密度が濃くて、かけがえのない時間だった。コロナにより前年の同大会が中止になり、卒業公演ができなかった前の同期、そして今の同期。後輩たちと同期10人で行った卒業公演は最高だった。自分を育ててくれた獨協演劇との別れだった。

自分はそれまでで既に演劇を1年間離れる機会が、留学、受験と2回あったので、芝居が自分の人生において占有する割合がとてつもなく高いことを実感していた。卒業公演も楽しかったし、演劇が本当に好きになっていた。だから、大学でも演劇部にはいることに何の疑いもなかった。そうして4月中旬に入部を果たしたわけであるが、当時はコロナ禍中のコロナ禍であり、飛沫の温床である演劇をという文化的な課外活動を、研究に重きを置く理科大が許してくれるはずもなかった。

オンライン新歓を経て、オンライン新入生公演『ヒーローたちの出発』が行われた。当時の自分は俳優座劇場公演を経て勢いづいている時期だった。多少なりとも歴もあった。そして自分のやってきた演劇への圧倒的な自信が(視野の狭い自信)あった。今思えば、「1年生がこれ言ってきたら少し面倒くさいな」と思うような発言もしていた。そのくらいモチベーションに溢れていた。
自分の部屋でパソコンのカメラから消えるように頭を下げてみる。家の中にも関わらず大声で叫ぶ。今思えば滑稽な話だが、当時はそうするしか芝居をやる術は自分たちにはなかった。傍から見ればYouTuberみたいなものだった。

しかし、難しいこともたくさんあった。活動後にすぐにzoomを切ってしまうから人間関係が広がらない。通話と一緒にみんなのモチベーションも切られているような気がした。「ブツッ」という音が耳を劈くように聞こえていた。
部員との関係を広げようとオンラインで麻雀が始まった。でも何かが違った。やはり人間関係を広げるためには活動の帰り道でくだらない話をしてみたり、プライベートに踏み込む時間が必要なんだ。当時はその時間が全くなかった。だから人が抜けていった。一人、また一人と抜けていった。新入生公演が終わると、途端に部活の連絡は2週間以上はいらなくなり、次への進行をしようにも1年生の自分には何もできない。もどかしかった。


そんな中で理大祭公演(当時はオンライン開催で、9月)『カタシロ』が始動する。当時4年生の先輩が動いてくれた。嬉しかった。自分の役柄もそれまでとは違い、激しく演じるような役ではなかったし、何か成長や変化をもらえるとも思っていた。確かに間違いではなかった。何かを掴んだ実感もあった。しかし、所詮オンラインはオンライン。ラジオドラマのような雰囲気が色濃く、演劇とは言い難かった。本番は声の収録だけなので、台本を見ても全く問題がなかった。演技はしているが読んでいる。自分の身体表現ができない。雰囲気が伝わらない。そんなものが演劇と呼べるのかと、憤っていたし、物足りなさがどうしても消えなかった。でも、それに抗う手段も力もなかった。気づいたら、また部員が一人、もう一人と消えていった。

その後は冬公演が行われたが、自分は少ししか関わらなかった。先輩に誘われて外部公演に出ていたからだ。劇団だばし旗揚げ公演『ぽんたの鉄拳!~ブラックナイト番外地の陰謀~』だ。これに出演し、約9カ月ぶりの有人観客公演。たまらなく大変だったが、本当に楽しかった。何より、初めて会ったスタッフさんや関係者さんと打ち解けていくことができて、ラムダの人たちより距離が縮まっていた。自分が求めていたものだった。演劇は生ものなんだと再認識した。
ラムダで繋がってる縁が完全に切れないうちに、首の皮一枚でも繋がってるうちに、対面での活動を行うことが必要だった。

後期期末試験が終わり2月。金町に集まり話し合いが行われた。先輩からは、「劇団をたたむことも視野に入れた方がいい。」という意見がでた。阻止しなければならなかった。劇場での仕込み練習と春部内公演を打つことに決めた。『銃と正義とおかまバー』だ。

仕込み練習は、運搬の流れ~照明の吊り方や考え方などを教えてもらった。前々から多少の知識はあったが、音響スタッフしか中高で触れていなかった自分は、この時が初めての照明吊りだった。

春公演は教室が使えないから学校の隣の公園を使った。昼12時に集まるはずが、30分遅刻して始まり15時まで練習。3週間ほどつかって30分劇を作った。本番は音響が欲しいのでスタジオを借りた。出番が終わったら画面からはけて音響をやる。照明なんてないから明暗転のみ。そんなラムダ再始動の本番だった。少しだけ、一歩。いや、半歩にも満たないかもしれないが、新しい門出を迎えられた気がした。

そうして1年生が終わった。2年生になり、大きく風向きが変わることになる。


(続く)   2024年3月2日  髙橋開成


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