理科大演劇部ラムダの話をしよう。そして、大学での演劇の話を。(4)
【第四部】排気口、春公演、その先。
自分の演劇観が変化するきっかけになったのは、排気口との出会いだった。今まで自分が触れてきた、つかこうへいさんの作品、殺陣やアクションを中心とした勢いに溢れた激しい作風。こういった自分の演劇哲学に、新たに1つ面白さの哲学が追加された感覚。面白い演劇って、いろいろな形があるんだと、本当に心の底から思った。古の諺のような、そんなありきたりな言葉を本気で思わせられるくらい。それくらいの衝撃を受けた。
これは一種のカルチャーショックであり、自分が演劇をやる中では経験しないものだと、それまで思っていた。その当時、第二部で書いたように、自分は大学の演劇で何を目指すのかに非常に悩んでいた時期だった。だからこそ、排気口との出会いによって、自分の中で道が大きく開けたように感じた。
「排気口のような作品、作風を自分でできるようになりたい。」
目標が定まった。目指すべき道が見えた。そう決めてからというもの、自分の大学演劇での目標が決まったことで、活動にもこれまで以上に身が入るようになった。そして、春公演の台本作業にとりかかり始めた。自分の理想を追い求めて。
台本作業は、楽しいようで本当にしんどいものだ。自分のアイデアを掘って掘って掘り返して、ようやく出てくる、金塊と思える言葉を紡ぎながら展開を重ねていく。されども、時にそれは、ただの泥水のようなアイデアで、見た目も味も形も汚い、ちんけなものだったりする。春公演もそうだ。自分の中での悩みだったものを、投影しようとしていたんだから。でも、本当に現在進行形で悩んでいるものは、台本にできなかったりする。自分自身で折り合いがつかないと、どうしても救われなくなってしまう。わがままな葛藤を続けていた。一つの集大成と位置付けたなら、これまでの3年間で生まれたものを書きたい、とも思っていた。そんな中、自分が見つけたテーマは、"変わっていく周囲と、変わらない自分とのギャップ"だった。
周囲っていうのは、人の話だけじゃない。もちろん、人が変わっていくのを肌で感じることだってある。それを感じると、大体寂しくなる。中高演劇部時代の同期とかと話していると、「あの頃は同じように芝居を作って、同じように過ごしてたのに、こいつも今は違う人生を生きてるんだなあ……」としみじみ。当たり前なのにね。この台本を書くきっかけになったのも、中高演劇部の同期と飲んでいるときだった。
「人間関係って、変遷していくのが当たり前で、その時その時の関係を大事にしていこうと思うんだ。」
という彼が放った一言が決め手だった。この作品のベースを作った言葉だった。
こうして台本作業が始まった。始めは単調にならないように、登場の仕方がワンパターンにならないように。ネタをいれよう、笑ってもらいたい。始めのほうに渾身のものは持ってこない。まずは、この芝居が笑っていいものだと分かってもらうために。全体の2/3から7割は大きな意味を持たせずに、終盤で台詞が響いてくるように。台詞を頭からつま先まで聞いてくれるなんて思わないように。時間を振り絞って書き続けた。
台本作業が終盤に差し掛かった頃。結末を、普通にというか、シンプルというか、少し幸せな感じに、ハッピーエンドっぽくしようとしていた矢先だった。かつての自分が書いた台本も、同じような結末だったことを、湯舟に揺られながら思い出していた。2019年都大会公演@東京芸術劇場シアターイースト『秋暁のロンゲストスプリンター』の時の話だ。今までの自分と違う作品、作風にすることを、一つの軸として始めた作品なのだから、ここでも違う方向にしたい。何か違う結末を迎えたい。そうしてまた、原点に戻ろうと思った。自分の心を探し始めた。
実際に悩みを抱えているときに、誰かのおかげで人が救われることってあるのだろうか、って考えてみたりする。誰かと話して、救われたように思えても、麻薬やタバコのような一瞬の快楽で麻痺してるだけで、自分で答えを見つけない限りは、一生トンネルの中で彷徨い続けるんだろう。最後は、自分で自分を救い出さなければいけない。そんな意味も込めて、EDを作った。
希望を見出して終わったはずの世界が、すべて妄想だったら。救われたと思っていたのに、救われていなかったら。悲しげな終わりに、光を見出すことができるのか。そんなことを思って、書き上げて、気が付いたら本番も終わっていた。
この作品は、公演に来てくれたお客さん、中で携わった関係者に、何を語りかけるのだろうか。『二十九、三十』が流れて、時が止まったような閃光が差した時。『Now And Then』の雄叫びで、夕陽に飲まれるような嘆きがこだましたとき。『夜明けと蛍』のように、こぼれ落ちる涙のような雫を見たとき。不気味な『Reckless』で現実に引き戻されたとき。静かな冬が終わりに近づいて、背中合わせの過去に、「また会おう。今は、さようなら。」と、自分には確かに聞こえていた。OPのメロディーが乗せてくれていた。ラムダでの3年間を物語っていると、感傷に浸っていた。
【おわりに】
これでひとまず、ラムダでの振り返りを終わろうと思う。これからは、裏方での関わりがメインになるだろう。台本は書くが、演出は条件が揃わないと難しい。ましてや出演なんて……ともかくこれからは、後輩のサポートをたくさんしていきたい。これからも演劇業界に携わるために、研鑽を怠らないように。
本当はタイトルに【ラスト】とか、【終】とかつけようと思っていた。でも、やめておこう。これからも続くラムダの未来のために。いつまでも走り続ける自分のために。いつの日か描くエピローグが、さらに美しいものになることを期待して。素敵な糸で括られた、話の結び目を縛るのを保留しておきたいと、今はただ思う。
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