それは誰の不安なのか

昨日、お友だちと会って話したときに「不安」の話が出たときに思い出したことを書き残しておきます。
たぶん(ツイッタランドで)何回か同じこと書いてそうやけども。


毎日が「乳児密着!ワンオペ24時!完全マンツーマン!!」みたいな状況だったときのことです。
ホルモンドーピングがあるし、気も張っていたのでそれなりに元気ではあったのですが、授乳とおむつ替え以外に何かをする気力はなく、買い物は最低限で家に引きこもっていました。
目の前の赤子がそこそこ健康なのはわかっていましたし、他人との比較ができる話ではないこともわかっています。わかっているのに漠然と不安でスマホに答えを求めてしまうわけで、かといってツイッタランドはしんどく、「○ヶ月 発育」「発育曲線」「○ヶ月 女の子」「○ヶ月 寝ない」「○ヶ月 母乳(授乳)」みたいな言葉をひたすら検索していました。
それで、知恵袋だとかブログだとかをひたすら読んで、安心したり「チッ役に立たねえ」「まじでこんなやつおるんか」とか思っていたのです。


今思えば完全な産後うつ、あるいはそれに近い状態だったんでしょう。それにしたって「産後うつ」という言葉は知っていたけど、「今の自分」が「それ」だとは思わなかったし、ただひたすら自分と画面の向こうの人たちを比べて「大丈夫」という確信が欲しかったわけです。


で、何がきっかけだったのかは忘れましたが、ある日ふと「何を検索しても、結局自分の安心する答えが出るまでは検索を続けるんやなあ」と気づきました。
訪問済みリンクの紫色の文字を見た時だったかもしれないし、何度となく読んだベストアンサー(毒にも薬にもならない)(有資格者の言葉でもない)を読み返していた時だったかもしれません。
ここに求めてる答えはない、と検索を止められたのは娘が3ヶ月になる直前で、3ヶ月(月齢ね)くらいからツイッタランドに復帰できました。
ポメラを買って、趣味の書きものを再開しました。
DVDを見ました。『超高速!参勤交代』です。めちゃ面白かった。


その後も、子ども、特に乳幼児期の育児にまつわる不安がなくなることはありませんでした。
首すわり、寝返り、ずり這い、ハイハイ、掴まり立ち、夜泣き、寝ない、離乳食、偏食、少食、発語、乳歯、トイトレ、おむつ外れ。
何につけ不安はあるけど、その不安は何の、誰の不安かと考えると、「良い母親だと思われたい」とか「手抜き育児と思われたくない」とかの、体裁や外聞に対するものでした。

ある程度しっかりしてきた今でさえ、「習い事をさせたほうがいいのか」「外遊びに興味がなさすぎる」「スイミングは体が鍛えられるっていうし」「英語は使えてほしい」とか迷いますけど、それも結局「将来困るかもしれないから○○させてあげる」「教育にお金をかけたい(何もしないよりは「大丈夫」なはず)」「○○させなかったから、と言われたくない」みたいな自分本位の不安でしかないのですね。言葉を変えれば「おうちが(お母さんが)しっかりしてるから○ちゃんはようできはる」と見られたい、みたいな。
(もちろん、意思表示をはっきりできない幼児期には、本人の意思にかかわらず親が判断して行動すべきこともあるでしょう。予防接種はその最たるものだと思いますが)


それは本当に自分自身の不安なのか、娘が困ることなのか、
それとも人から指差されるのが怖い/嫌/不安なのか、
なぜ指差されたくないのか、誰に指差されたくないのか、
実際に指を差す人はいるのか、
指差されることで実害はあるのか

全部別のことなので、ここの見極めはちゃんとしたほうがいい、と実感したのでした。
答えが出ないことは保留でいいとも思います。先送りとも言うけど。
どうせ悩みは尽きないんだから、悩みの数は減らしたい。
身軽に生きたい。
そう思うのです。

まったく別件ですが、育児に関する講話?みたいなのを聴きに行ったことがありました。結果として大外れで、ガチギレ案件だったのですけども、その講師のかたは「お子さんが不良になったら困るでしょ? 不良になってほしくないでしょ? ならこうしましょう」という話法で会を進めたのです。

不良て。

寄り道ばかりの人生だった自覚がある身としては、まったくその話に共感も同意もできなくて、ひたすら退屈でした。
リスクの説明ではなく、脅迫形式で話をするやつは信用せんとこ、と思ったのでした。

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