合氣の原理研究会第二回①
第一回目の体操の振り返りからスタート。
玉々→扇子回し→鳥と亀→花と蕾
玉の中心を廻す理由。
合氣体操から合氣の原理へ。
手の立体感、繊細な感覚へ。
自主練習での課題。
相対稽古での課題。
先生の練習会での課題。
合氣の原理というテーマに向かって
それぞれの課題から必要な感覚、共通項を学ぶ。
☆取り手 受け手 別々に考えない。
関係性は同じであり、
どちらから物事を見るかで違いが生まれる。
一緒の空間にいる。
(この辺りの考え方は弁証法を、参考にすると良い。)
視野を広くもつ。そして、お互いに発生する共通点に気づく。
○自主練習において
モノに触れ、急がず、関係性が産まれて馴染むまで待つ。
脳が鎮まってくる。
そこから関係性が更に産まれてきて色々発展する。
この辺りは、モノだけでなく
日常での人間関係や自分自身の感じ取り方、モノの考え方にまで影響する。
繊細に色々な気遣いのレベルにも関係する。
一つの練習に慣れてくると
脳で先にイメージを作り出してしまい
カラダでの実感を疎かにしてしまう時がある。
この辺りに注意をしながら
一つのやり方で色々な方法を試してみると
実感を伴った新鮮な今の繋がり
原理や共通項を見つける手段にも繋がる。
○玉々から卵型ボールへ
球の芯を捉えるような手の繊細な感覚が産まれてきた時
立体的な手の感覚、玉の芯がありながら
腕の無駄な緊張を弛めると手を通して
腕がニュートラルなポジションに決まる。
手の感覚だけに頼ったり、腕だけを意識して、どちらかに偏ってしまっては、完全なニュートラルポジションにいかず、弛める感覚が中途半端になる。
手の球の感覚がありながら、腕全体とバランスをとっていると
手から腕に繋がる通り道がでてきて、
下からの動き、肋骨や股関節などが動けるバランスになり、中を更に使える、相手とぶつからない動きとなる。
持たれている手がぶつからないから
相手の首までチカラの流れが伝わる。
現実の身体の吸い込みや反作用、チカラのベクトルと、
意識、方向性のベクトルは、二つの流れが違う。
実際にカラダで処理が出来てレベルがあがると、
意識のベクトルが使える。
カラダが使えてないと意念だけでは妄想になりやすい。
カラダが使えてから本当のイメージが産まれてイメージが使えて自然なバランスで産まれ気づき観えてくる。
○tocaを使って卵の中を動かす
あらゆるバランスや様々な感覚が育ってくると
色々な共通項や条件が揃い
体操が技になる。
動けば即ちわざとなるカラダ創りから
カラダの中から様々な動きが産まれてくると
何も考えなくても掴まれたときに、身体で勝手に処理できる、余裕から意識のベクトルを観察できる余裕が生まれる。
○花と蕾
肋骨が動く手の立体と連動して、しまって上がる。
掌、手の甲、五指、労宮の奥が動き、キッチリ手の形ができると、更に立体的にカラダが纏まりの中で繋がる。
肋骨のイメージは、全体。
とくに、思っているよりも、後ろの意識が薄くなる。
急がない。
しっかりバランスを取り続ける。積極的に待つ。
技で投げた後は、
体操がさっきよりしやすいかを必ず検証する。
お互いに繋がりが産まれると、身体も意識も変わる。
この辺りは、原理を意識することにより
お互いの認識が深まる。
投げた側が上手く身体を使えたと思っても投げられた側が固まっていたり
また、投げた側が固まっていたり色々な視点や見方があるが、
投げられた側が動かしやすくなれば、
投げたほうが、身体を色々使えたという見方も出来る。
お互いにどう感じたかを感じ合ったり時に話あったり
答えを求めずに、何が起きたかを検証する。
両手で掴まれたら
掴まれた手の相手の手の中心、重みの奥が更に乗る場所を両手それぞれ、左右で探し、その両手の間の中心の芯から、相手の首へ入れる。
投げた後も軸で引っ張ってまたあげてこれるように、
投げ落とさない。
落ち切る前にあげる。
繋がりを感じ付け続ける原理。
合気上げは、ロッキングチェアで重心をズラす。
無理浮かせようとしない。結果的に浮く。
相手が体操をしているような動きで操られる。
鳥と亀みたいな移動。
掛けられた方は身体が繋がる。
なんの目的で技をやるかが大切になってくる。
斬る操作は、刀が大切。
真剣を触り、色々な刀に触れ、稽古した実体験が、フェルデンクライスのようにイメージに投影される。
あくまでも身体から沸き起こってくるイメージが大切。
②に続く、、、