久しぶりに。頭の中を言語化したくなった。
久しぶりに記事を書く。
卒業制作がようやく落ち着いて(まだ完全に終わってないから気持ちは落ち着かないが)色々とやりたいこと、なりたい自分を考えている。
デザインは難しい。
考えて考えて考え続けると、自分のやっていることがわからなくなる。
今日建築雑誌でTatiana Bilbao ESTUDIOという建築家集団に出会った。
そこに掲載されていたプロジェクトで、約117kmの道のりにいくつかの建築を与え、聖巡の動線をつくるというものがあった。
それぞれの建築は摩訶不思議な幾何学でありながらも、意味をもってその土地に建っている。
抽象的でありながらも、きちんとその周辺を創っている。
これが建築が「建つ」ことの責任。
卒業制作を終えて、自分の作ったよくわからないものをいかにして言語化するかに苦労した。同時に自分がどんな建築に興味があるのか深く考えた。
「建築が孤高の存在であること」
つまり、ある人物にしか生み出せない作家性を帯びながらも、責任感をもってその土地の一部となる。
これは一つの答えであり、自分がまだまだ表現できていない部分。
(前述のプロジェクトからはこれを感じた)
今私は分岐点に立っている。
感覚を信じるか、理論を立てるか。
綺麗に解くか、汚く解くか。
これから一生付き合っていくであろう建築について、そして人生の歩み方もまた。