死は救済か。

はい。死は救済です。少なくとも今の私にとっては。

、、、待ってください。違います。急いで0570-064-556にコールした方はとりあえず受話器を置いてください。スマホでもいいです。そして本当に「死は救済」と思っている方。あなたは今すぐ0570-064-556にコールしてください。真の意味で死には救済はありません。(自殺相談ダイヤル)

 最低な書き出しで始まりましたが。死は救済なんです。では、何の死でしょうか。今私が言いたいのは「時間の死」と「可能態の死」です。「生命の死」ではありません。なぜこんな死について考えるようになったのか。

 以前私は、「締め切りを守ること」に関してノートに書きました。締め切りを守るとは「責任を持つこと」であると。例えば現在で言えば期末レポートに追われている方がいるでしょうか。
 これ、そもそも考えたら、「私にとって」の締め切りなんてないんですよ。レポートは書きたいときに書けばいいし、出せるときに出す。もし出さなくても単位は落とすけど来期に取り直せばいい。厳密に締め切りは自由なんです。
 では誰に締め切られるのでしょうか。たぶん社会です。ここでの社会は「私が見えている範囲」での社会です。「締め切りを守れないやつは社会不適合だ」なんていうつもりは全くありません。ただ、身の周りには締め切られます。
 例えば単位が取れなくて留年してしまったら。「卒業できた世界」をなかったことにしてしまう。卒業出来たら何かがあったかもしれない。こんな壮大なたとえ話じゃなくてもいいです。「友達に返信を忘れていたらいつの間にか遊びの予定がなくなっちゃった。」でもいいです。

 とりあえず、締め切りを守らなければ、「なかったこと」にはできるのです。締め切りと、締め切りを守れば見えていた世界を。そしてこれは善でも悪でもありません。留年中に人生を変える出来事があるかもしれないし、遊びに行ってたら交通事故で死んでいたかもしれない。ただ、ただ、「なかったこと」に出来るだけです。これが締め切りによる「時間の死」です。生きていたら生きている分、この時間は同時進行で死んでいます。

 私は以前、この「なかったこと」に出来ることが非常に怖いとか、無責任とか、そういう風に捉えたいたんですね。でも最近状況が変わりました。

   皆さん、「完璧主義」ですか?

 私は割とそうです。完璧主義の人はたぶんとても多い。そして完璧主義な人はその完璧性を追い求める自分が嫌だったり、完璧性をあきらめるために本を読んだりしている。そして永遠に完璧になれない自分に嫌気がさしている。そして気づきました。ここ、「永遠に」が超絶大事概念ではないか??

 可能態の話をしましょう。私たちは完璧を追い求める中で気にしているのは「完璧ではない自分」と「完璧な(未来の)自分」とのギャップです。たぶん。つまり自分の「可能性」に苦しみを覚えるわけですね。そして、「未来に期待を抱いている状態」が「可能態」です。
 さぁここで「締め切り」の話。人間、「締め切り」が来ればその時点でいったん「可能態」に死が来ます。

 「落単した!!」そんなあなたにはもう二度と「全単位取得の真面目大学生」の称号は得られません。(そんなもの欲しい人がいるかはわかりませんが。)あなたの可能態の中の「全単位取得の真面目大学生」は死んだのです。

 これ、嫌なことでしょうか。私は最近これがむしろうれしいのです。
かなり直近の出来事。私は二つの自治体の教員採用試験を受けています。一つは本命。一次試験は大成功でした。これから二次試験に向けて頑張ります。問題は第二志望でした。試験当日はかなりの体調不良で試験文はほとんど頭に入ってきません。まだ採点していませんが恐らく合格点ギリか、下回っているでしょう。私は今「第二志望教員採用試験を余裕で受かる」可能態が死んでいるのです。
 でもこれですっごい気が楽になったんですね。元来私は優柔不断な上に完璧主義。第一志望も第二志望も全部とって勝ってやる!と思ってましたが、かなりストレスになっていました。(体調不良の原因の六割はストレスなきがしている。)でも、可能態が死んだ今、私はせっせと面接練習に卒論に取り組めているのです。

 やはり「死は救済」だったんです。「締め切り」に追われる中で「現在の時間の死」は常に起こっています。そして「締め切り」が来たとき、はっきりと「可能態の死」が訪れるのです。

 苦しい。試験がある。苦しい。今が苦しい。苦しい、お金がない。
 
なんでもあります。仏陀から今に至るまで、四苦八苦は変わりません。ただ、現在は仏陀が四門出遊した時ほど劇的に苦しいことは少ないでしょう。

「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」

芥川龍之介の遺書より。

 ただ、ぼんやりとした不安で苦しんでいる人、いるんじゃないでしょうか。
 大丈夫です。今あなたは現在進行形で「時間の死」を迎えています。そしてそのうちその「将来」も死を迎えます。可能態は将来への夢なので。ただ生きていても、「なかったこと」になるだけです。

 さて、冒頭に戻りましょう。自殺相談コールをした方、あなたは現在進行形で救済されています。そして現在進行形で「生」に「過去」が与えられ、それは「記憶として形」になります。形になったものはもう変わりませんし、そこから変える必要もありません。今のあなたはそれ以上でもそれ以下でもない今のあなたです。

 そんなあなたに、死の救済を。でも芥川みたいに死ななくてもいい。すでに救済は受けている。

 救済を受ける中で、あなたはただ、今目の前の死にゆく「時間」と「私」に誠実に生きればいいし、そうするしかない。そうせざるを得ない。そして、物理法則にそうさせられている。


あなた は今、しにゆく 私 に向けて



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