「自分をフル活用する」① parasolと芦田塾から。
昨日、2023/01/28、parasolと芦田塾をハシゴした。
parasolはアート体験を軸に、子供と保護者が集えるフリースクール、芦田塾は運動・遊びを軸に子供が集える塾だった。
なんか、よかったな。何が良かったんだろ。とりあえずparasolについて。
1.子供、勝手に学ぶ。
別に誰に教えてもらうわけでもない。物を触りながら、探しながら、勝手に、描きたい物を描いていく。「教えなくてもいい。」ここに魅力を感じたのかもしれない。
ナルカワ、小学生の頃から勝手になんでもやってた。好きなことを好きな時にやってた。その中で本は多分すっごい好きだった。図鑑を読んだ。物語を読んだ。知らない物を知るのが楽しかった。
知的好奇心はみんな持ってる。そんなことはみんな知ってる。でも、いつのまにかそうじゃなくなる。教え込むことになる。いつから、いつから?
いやでも、好き勝手やるのはいいことばっかじゃない。失敗する。
小学生、たしかずっっと怒られてた。怒られない日があればラッキー🤞って思うくらい。何で怒られてたんだろ。物壊した時とかかな。あとよく喧嘩してたな。殴ってた。よくねぇ、よくねぇ〜。そういうのはよくないな。
でももっと良くないのはなんもわかんないまま親の言うこと聞くことだと思うんだよな。Nくん。あいつマージで嫌いだった。てかN母がやばかった。子供可愛い可愛いだから、ぜーんぶ子供の言うこと信じる。なんだあれ。
「お宅の子にうちの子がいじめられてるんですけど!?」
電話かかってきたな。あれなんだったんだ。
母「うちの子はNくんにデブって言われたからやり返したって言ってますけど?」
N母「あんたそうだったの!?なんも言ってなかったじゃない!?!?!?」
そらそうだろ。いくら子供でも意味なく喧嘩しねーわ。なんだあれ。腹立ってきた。話ずれたな。
とりあえず子ども、勝手に学ぶんよ。なんかそれがデカかった。parasol。
きっと人間関係なんかも勝手に学ぶ。最初は打ち解け辛そうにしてた子供も、共通の話題が見つかるとどんどん話す。勝手に話す。あれはすげえ。いつからあの会話は無くなったんだろう。その点ナルカワ、会話においては多分まだ子供ではある。いい意味でも悪い意味でも。子供との接し方上手いって言われるのって「大人として」の関わり方が上手いんじゃなくて、「子供だから」の可能性あるな。
ナルカワ、大人になれてないから子供好きなのかな。かってにまなぶしなぁ。
2.結局、保護者ゲー?
ナルカワ子供時代、基本的に好き勝手やらせてもらってた。(らしい。ボランティアの帰宅後、母と話した。)イオンチアーズクラブって言う子供向けの活動提供しとる場所とか、公民館の料理教室勝手にぶちこまれてよく分からんまま楽しんでた記憶ある。人間に物怖じしない性格はその頃にできたのかもね。
でも、これって母上が体験させる主義だったから。
駅の階段を一段飛ばしで駆け上がるメガネの男の子。背中には塾指定の青いリュック。
これはparasolから芦田塾に向かうまでに見た光景。さっきまで絵を描いてきゃっきゃしてた小学生もいれば無表情に塾へ向かう子供もいる。
別にどっちが正しいってわけじゃない。きっとそれぞれに違った生き方があって、違った将来を歩んでいくんだろう。それは悪くない。まったく。
でも、それは子供が選んだのだろうか。塾へ行くのも、アート体験に行くのも。貴重な土曜日の午前、子供たちはどのように過ごすのだろうか。何を幸せに思って生きているのだろうか。
parasolに行くのも、塾に行くのも、そうさせる親がいるからだろう。(もしかしたら子供が行きたい!って言ってるかもだけどさ。)
これはナルカワの持論でしかないけど、選択肢は多い方がいい。居場所でも、過ごし方でも。依存先はたくさんあった方がいい。しんどいときに潰れなくて済む。それから、視点が増える。すると想像力がつく。(つくのかな。今度考えよう。)
だとしたら、保護者が集える場所も必要だ。
ナルカワ、3歳差と8歳差の妹がいる。二人分の子育てを見てきた。母上、それなりに悩んでたと思う。
ナルカワ割と悪ガキだったし。何回呼び出されたか分からん。低学年の頃は精神科通ってたし(死について考えてたらしんどくなっただけ)肥満児だったし?色々悩んでたと思う。
それは妹二人にとってもそう。今でもそうなんじゃないかな。何が正しいのか分からない中子育てをしていた。
これって問題二つあって。一つはやっぱり正解なんてわからないこと。多分子育てで正解ない。人生に正解無いように。(無いよね?あったら教えてよ。)でもわからないなりに共有できる場所は必要だと言うこと。
私たちの兄弟は不登校とかいじめとか、深刻な支援が必要だった経験はない。その点で言えばいくらか幸福だったのかもしれない。でも、それでも悩んでたってことは世の中もっともっとしんどい保護者いるんじゃ無いかな。
parasolは立ち上げが大学教授だから不登校支援の相談とかもしてるらしい。これってすごいと思う■フリースクールに行政支援がつくことは多いのかもしれないけど。でも、心理的なハードルが低いところで相談できるのはすごく、すごく、いいんじゃ無いかな。支援が必要じゃなくても、軽く話し合える場所があったらいいよね。■でもプライベートだし、そんなぽんぽん話せる環境作んのは難しいよな。どうやって形成するんだろう。その環境
二つは保護者に休息の時間がいること。
子育て、死ぬほど忙しい。
母上の口癖「こたつに入って手の届く範囲にお菓子もご飯もテレビのリモコンも置いておきたい」
多分これナルカワが小学生くらいの頃から言ってるけど達成されたことない。多分。それくらい保護者って時間無い。すごい大変。
parasolでは子供がアート体験してる間本を読む保護者がいた。もちろん子供と一緒にアートしてる人も。他の保護者と話してる人も。一人でぼーっとしてるお父さんも。
家にいたら家の雑事が気になって集中できない。これは学生だけじゃ無い多分。家でもなく、職場でもなく。サードプレイス。落ち着けるどこか。安心して依存できる何処か。そんな居場所をきっと、子供も保護者も必要としている。
3.子ども、かわええ〜。でも教わることしかない。
こども、かわいいんですわ。結局ね。芦田塾終わった後気づいたけど、ほっぺたの上の方が痛くなってた。多分ずっと笑ってて表情筋固定されたんやと思う。子供と接してる時、もっと言ったら子供と一緒に混ざっとる時、時間忘れてる。勝手に笑ってる。
いや、もちろんそれだけでは無い。なんて声かけたらいいかわからん時とか、子供同士うまく混ざり合えてない時とか、全員に目配れやんとか、そういうのはある。でも、素朴に、子供といる時は楽しい。これだけは確か。結局子供と関わってたいんやろな。
「21歳が小2に教えられとるやん!」
これ、parasolで小2に言われた。確か「失敗なんてのはない、自分でいいと思ってたらいい。あったとしても嫌やなって気持ちだけ」みたいなこと言われて「たしかに!!」って激しく納得してたら言われた。おもろい。子供から学ぶことって多すぎる。
アイデアが柔軟すぎる。使える物全部使おうとする。アナロジーもすごい。で、勝手に哲学的になる。哲学的と言うか、いともかんたんに本質をついてくる。
いつのまにかナルカワが「センス」として括ってた感性は子供が持ってた。きっとセンスを追い求めた時に人間のセンスは終わる。子供みたいに、思ったように生きてる時にきっと、いわゆるセンスは生まれてくる。
、、
また話ずれた。とりあえず子供にはかかわってたい。それだけ。
なんか、ほとんどparasolの感想文になっちゃった。でもこれ本心やしめっちゃ考えた。
2月、行ける日にはparasol行かせてもらおうかな。とても楽しい。それだけ。
ここで難問です。おいナルカワ、お前、子供教えようとしてないな?教育学部にいながら、教育しようとしてないな?子供と遊びたいなーとか、子供と話してたいなーとか、そう言うの考えてないか?
勉強、教えたいんか?本当か?
僕はわからんくなってきたよ。多分子供と好き勝手してたい。その場で。そんであわよくば。子供達の居場所になりたい。保護者の居場所になりたい。
そんな気持ちを抱えながら。また問題があります。
また次回!
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