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#この世界で私がやりたいこと ①これまで

目次
1.これまで
2.POOLOでの1年間
3.これから
4.終わりに

※POOLO卒業制作「テーマ;この世界で私がやりたいこと」として書くもの

1.これまで
:せっかくの機会なので、POOLO期間やこれからだけではなく過去も振り返ってみたい!ということで少々長くなりますが書いてみます。

<生い立ち>
・幼少期
長女として、東京の下町に誕生。1歳半違いの弟がいるので、物心ついた時から「お姉ちゃん」。弟はわりとやんちゃ系だったので、わたしは優等生お姉ちゃんキャラで生きてきた。顔は小さいころから父に瓜二つと言われているけれど、性格は年々母に似てきていて、おおざっぱ、テキトー、争いを好まない平和主義。昔はもうちょっと生真面目だったと思う。自分の思っていることをなかなか口に出せず我慢してしまうところがあった。(優等生コンプレックス)

・小学生〜大学生
母は自分の通っていた私立中学に入れたいと私を受験コースへ導いたけれど、結果的には、母の出身校ではない私立の中高一貫校に入学。自分の思っていることや感情を押し殺して周りに合わせるところは変わらなかったけれど、仲良くなれた友達には自分らしくそのまんまでいることができるようになった。
その後、大学受験をして都内の私大に進学。商学部で会計やマーケティングを専攻、サークル活動で体を動かし、カフェでバイトをしたり、テレビ局でバイトをしたり、恋愛したり、それなりに楽しく過ごした。

・就職
色々あり、9月卒業。翌年の4月から商社の経理専門職として働くことになった。
2011年入社なので、今年でちょうど10年目。途中何度も辞めようと考えたけれど、結局まだ同じ会社で働いている現在。

・結婚、出産
2017年に結婚、出産をした。自分の想像していないタイミングで色々やってくるものだなとつくづく感じる。でもこの経験は、自分のこれまでの価値観を変えるものだった。


<旅との関わり>
私は一人旅もしたことがないし、バックパックで世界一周もしたことがない。
なので、旅との、と言っておきながら、世界との関わりになる。

初めての海外は中学2年生の時。学校のプログラムで、オーストラリア(メルボルン)への2週間のホームステイをした。英語はそれなりに学校で勉強してきたはずなのに全然伝えられない!簡単な単語しか出てこない!フラストレーションを抱えながらも、見るもの全てが刺激的で、同い年の子がとても大人びて見えて、憧れたのを覚えている。そこから一気に、洋楽、洋画に興味を持ち、帰国後も、英語の授業だけは前のめりで学ぶことになった。 

そして次の海外は高校2年生の時。高校の卒業旅行で中国(北京、西安、上海)へ行った。当時は空気がとても悪く埃っぽくて、空港に着いた途端、息苦しくて、そこからずっとのど飴が手放せなかったのを覚えている。並んでても後ろから追い抜かされるし、信号もあってないようなもの。みんなお構いなしにズンズン渡っていく。私たちを見ると積極的に声をかけ、物を売ろうとしてくる人たち。でも、現地の学生と交流した時には、彼らはとても優しかったし、歓迎が暖かかった。ああみんな道で追い抜かしたくて追い抜かしているわけではなく、追い抜かさないと生きていけない環境なんだな、と思うと同時に、現地の人達の生命力を感じて、あぁ私は日本でぬるま湯につかっているんだ、、と当時思ったのを覚えている。

その後、大学時代にバンクーバーに1ヶ月間、ロサンゼルスへ2ヶ月間語学留学(ここで感じたこともたくさんありますが割愛)、旅行ではこれまで、アメリカ(ハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコ)、グアム、韓国、台湾、香港、マカオ、タイ、ベトナム、フランス、へ行った。


<旅(海外へ行くこと)の魅力>
1:解放される感覚
小さい頃から自分を出せずにいた私だけれど、海外に行くと、解放された感覚があった。授業中でも平気でトイレに行っちゃう子がいたり、ボールを頭に乗っけながら先生の話を聞いていたり。街ではラジカセ(死語?)を持ってガンガン音楽を慣らしながら歩いている人がいたり、ゴミ箱からいきなり出てきて通りすぎる人を驚かせたり(これは多分やばい人)。とにかく私の目にはみんな自由に見えた。「みんな違う」が前提にある。人と揃えようと思わない。いかに人と違うか、が魅力なんだと言わんばかりに、というかそもそもいい意味で人に興味がないというか。それぞれがまったく違う方向に尖っていて、でもだからこそ、空が綺麗だね、とか、お腹がすいたね、とか同じ感覚を持てる瞬間を大切にしている感じがした。日本で周りの目を気にしてみんなと同じでいなきゃ目立たないようにしなきゃと思っていた学生の私には衝撃。でもそんな経験が当時の私には救いになったのだと思う。

2:視野が広くなる感覚
オーストラリアにホームステイした時、シャワーの水が全然出なかったこと。車で移動中、見渡す限り赤茶色の土が広がるばかり。雨が全然降らないから、そこでは水がとてもとても大切な資源なのだということを知った。土が赤いのは水分が足りないから。日本でシャワーを浴びるときはまったく気にしていなかったけれど、それは日本が水という資源に恵まれているからだった。中国に行ったとき、卒業旅行だったので、みんな制服を着ていたのだけれど、当時中国では露出している人がいなくて(共産主義の影響、当時は保守的な色、スタイルの服がスタンダードだった)、短いスカートを履いている私たちは歩くたびにじろじろ見られたこと。カナダやアメリカにホームステイした時、若い女性が一人で夜道を歩くのは危ない、絶対にしてはいけないことだった。昼間でも必ず大通りを歩き、路地裏には絶対に入らないこと。日本で当たり前と思っていたことは、一歩外に出ると当たり前じゃないことを海外に行くたびに思い知らされた。当たり前ってなんだろう、そんなことを考えさせられたし、そんなものつまらないものだと思った。世界は広い。まだまだ知らないことがある。といつも教わった。まさに価値観をスクラップ&ビルドされていく感じ(シンニホン語を使ってみる)。

3:未知への好奇心、五感が研ぎ澄まされる感覚
海外へ行くことは非日常。思いも寄らないことが起こり、その度に自分のサバイブ力を試される。そして自分の想像を遥かに超えるものに出会える瞬間がある。中国で万里の長城を目の前にしたとき、その歴史と圧倒的な迫力に言葉を失った。中国のダイナミックさがその一瞬で体にズーーんと入ってきた。とても太刀打ちできる相手じゃない感。フランスで凱旋門の上から、夜の街並みを見たとき、この景色は間違いなく自分の人生で忘れられないものになると思った。ルーブル美術館で世界史の資料集で見た絵画を目の前にしたときも。街には高い建物がなくて、空が広い。空が近い。ああここで芸術は生まれたんだという納得感。なんというかいつも頭じゃなく体全体で感じている感覚があった。日常から出て、非日常の空間に身を置くことは、自分の体の感覚を呼び覚ますスイッチみたいな感じがする。やっぱりいつでも大好きな瞬間。

というわけで私は海外へ行くことが大好き。
そんな中、POOLO1期生の募集を知った。

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