「林ってラップできる?」
遊び心だったのかもしれない。北川の実験的な探求心、即興で応えてみせた林の挑戦心。ふたりの些細なやりとりには確かな共鳴があった。
2022年12月7日、乃木坂46 31stシングル『ここにはないもの』の収録曲としてアトノマツリがリリースされた。アトノマツリは言うなればチルいヒップホップ曲なのだが、「チル」と一口に言っても、この楽曲には二通りの脱力感がある。メロウなコードに漂う微睡みの浮遊感。かたやギターとベースの反復的なフレーズは小気味よく、その軽い足取りとチャカチャカとした賑わいには、どこか「ぞめき」の気分を掻き立てられる。
歌い出しのポエトリーラップでは、北川が溜息をつくような気怠さを滲ませているのに対して、林は明確な発音を通してやや平淡に言葉を述べる。嫉妬に操られる主人公を表現したパフォーマンスを披露するなど、埋没的なイメージを描くことに長けている北川。乃木坂46の歌詞にしばしば登場する”客観的に見てる”主人公を体現するかのような林。無我夢中の主体的な語りと、感情と距離を置いた客体的な語り。異なる主人公像、多面的な語りに、ストーリーテラーとしての両者のスタイルを感じる。
オリジナルラップユニットのパートに続く新メンバーたちのセクション。遠藤・賀喜・弓木の透き通ったささやき声と、それにかかる残響音には、微睡みの浮遊感が宿る。微かな粒を散らし、ベールを纏う遠藤、成熟したシックな佇まいの賀喜、ちょっぴり舌足らずで甘やかな弓木。三者三様の柔らかさをさらりと重ねたサビのユニゾンは、バックコーラスや微睡みのコードとともに、聴く者を甘い感傷の波に漂わせる。
しかし物思いに耽るのも束の間、Cメロに入ると”近づく電車と構内アナウンス”が耳に飛び込んでくる。ATOS接近音とJR構内放送のサンプリングが流れるのと同時に、それまで身体を持ち上げていた浮力は忽然と姿を消す。駅のホームで上の空になっていたところを構内アナウンスにハッとさせられた、そんな日常経験に通ずる覚醒が、景観の特徴以上の情景を喚起する。急に支えを失って落ち着かない気分と、”乗るのか?乗らないか?”迫られる焦りや迷いの同調は脱力に包装され、キャッチ―なグルーヴへと転じている。
山手線を舞台とした歌詞には、環状線の一巡と恋の逡巡が重ねられており、それがヒップホップの反復性ともマッチする。作詞の秋元康は過去に欅坂46『山手線』にて、環状線と恋の迷いを掛けた詞を書いており、また乃木坂46では、アトノマツリと同じくポエトリーラップ曲の『ブランコ』にて、「君を遠くで見ている僕」と繰り返しに纏わる詞を書いている。アトノマツリの詞は、そういった着想がミックスされ、楽曲の特徴に合わせて落とし込まれたものになっている。
もっとも、北川や林のリリックが欲しかったとも思うが、なんにせよ彼女らの活動に新たな場が与えられたことが、当時は嬉しかった。
「ここはどこだと思いますか、皆さん」「葉っぱがありますね」。そこは山手線沿いの路上。JR渋谷駅を舞台とする歌詞同様、アトノマツリMVも主に渋谷駅付近で撮影された。国道246号の向こう側、桜丘口の線路沿いには枯れ葉が舞う。渋谷駅周辺では再開発が進んでおり、この街路も「桜丘口地区第一種市街地再開発事業」の範囲に含まれる。渋谷を舞台とする坂道グループ作品は数知れないが、「再開発」はしばしば、それら作品の背景として存在してきた。アトノマツリMVのラストシーンに登場する四反道跨線人道橋も、2022年8月以来、架替え工事が続いている。
落葉の季節、しかし映像内のメンバーたちは和気藹々と品川方面への路上を練り歩く。「ぞめき」のムードを盛り立てる浮かれた気分のステップ。クールに決めるラップチームと、とにかく愉快な新加入の3人組。さっぱりとしてラフな振る舞いに4期生の「らしさ」を感じるが、この映像では、屈託のない愛嬌を振りまく遠藤さくらの姿が特に印象的だ。大きく手を振りスキップし、歌唱者の背中越しにカメラを覗き込み、歌唱者にいたずらをしかけたりと、終始リラックスした状態であることがうかがえる。物静かでおとなしい印象の強い彼女だからこそ、時折見せる天真爛漫な姿に嬉しい驚きがある。
本作品のすべての映像は、スマホを使用して、メンバー自らの手で撮影された。賀喜はラジオにて、初めて撮影を行う側に立ち、試行錯誤を交えながら挑んだ経験を”思い出がいっぱいできた”と語っている。「“self-making” MUSIC VIDEO」だけでも、この撮影の雰囲気は十分に伝わるが、メンバーの会話や笑い声も吹き込まれた「OUTTAKE VER.」では、自由気ままな制作風景をより感じられるだろう。
衣替えの時期、メンバーのスタイリングテーマは”一切角がないもっと丸いリアルなストリート”。ライブや音楽番組で着るようなアイドルらしい衣装は登場しない。このテーマは、カメラを跨いでメンバーのフリースタイルに焦点を当てた、MV全体のコンセプトにも通ずるだろう。
アトノマツリMVはメンバー自らの手で撮影されただけではなく、大学で映画制作を学んでいる林が編集を手掛け、北川が題字を手書きしていたりと、作品全体が学生の音楽活動さながらのハンドメイド感に包まれている。また、”アドバイザー”として撮影に同行した伊藤衆人は、乃木坂46のMV監督としておなじみの人物であり、メンバーのみならずファンとの距離感も近い。技術的な支援とは別に、氏の存在そのものも、この作品を取り巻くホームメイド感の醸成に一役買っているだろう。
メンバーは演者でありながら撮影者でもあったわけだが、撮影者が複数用意されたことで、演者と撮影者が同時にカメラに収まる「制作中」の場面が出来上がっている。その意味では演者は撮影役《・》を兼ねていたともいえる。メンバーが撮影役でもあるということは、画面内に存在しないメンバーは、カメラを回すために画面外に存在することが意識される。遠藤と弓木が画面外へと姿を消した林に吹き出してしまったと思われる場面など、画面外のメンバーとのコミュニケーションは、カメラの外側への想像をより搔き立てる。
撮影役以外にも演者は、歌唱役はもちろんのこと、遊び役も担っている。場を賑やかし、自由な雰囲気を体現するこの役割は、カメラや歌割りの交換によって表せられるような明確な切り替わりがない。歌唱者の背後でただ遊んでいるときも、にこやかに歌唱しているときも、演者と笑い合いながらカメラを回しているときも、彼女らは他の何者でもなく、ファンにとって馴染み深い姿のままでいる。歌唱役も撮影役もメンバーのラフなパーソナルとしての遊び役に包括されていたともいえよう。やや長めのカット割りも、彼女らの自然体を余すところなく捉える手助けをしている。
この作品では制作者としても4期生の名前がしっかりとクレジットされている。メンバーを囲うように横たわる制作サイドとの境界、「撮る/撮られる」、「編集する/される」といった非対称性は、メンバーの領域が拡大し、専門的な撮影の領域を飲み込む形で、その一部が消去された。メンバーによる画面内外の往復と手持ちのブレた画面は、彼女らによる境界の揺らぎだともいえる。
メンバー間には循環的な対称性が顕れてもいる。メンバーたちはお互いを撮り合い、一方的に「撮る/撮られる」関係を解消する。その解消の過程は、「撮影役」を長いカットの中で目まぐるしく交代し、メンバー間を何周もさせることで行われる。この過程を経て、メンバーは役割交換の輪を結び、集団内にはギブ&テイクの円が描かれる。こうした協働の様子は、観る者にその集団の結束や連帯、円満をより強く印象づける。
作品そのものにしても、制作手法にしても、このMVの周辺は境界の曖昧さに覆われている。「メイキング」を手掛かりに、メンバーの自然体がクローズアップされ、現実と作品の境目はぼやけている。MV冒頭に織り込まれた挨拶シーンは、この「制作中」のコンセプトと曖昧な境界を端的に示しているが、このシーンと似たような効果を持つのが、ノーサイドを歌った4期生楽曲、『I see...』MVのエンドロール内にあるメイキング映像だ。
「山手線」や「祭」など、アトノマツリには4期生楽曲の『I see…』を連想させる要素が存在する。
『制服のマネキン』や『サヨナラの意味』など、乃木坂46の歌詞には、しばしば「電車」が「大人社会」の象徴として登場してきた。「山手線」の場合、その従来の象徴性に加えて、「東京23区」という地理的表象が具体的な路線名によって一つに重ねられている。この、4期生関連の作品に頻繁に登場する「働く街・東京」のランドマークは、メディアとしての「4期生」に通底する上京物語を描くためのアイコンであり、乃木坂46が初期から一貫して生産し続けてきた、グループに支配的な物語の原型により具体的な詳細を与えてリメイクするためのリアルな舞台装置でもあり、さらには素朴で身近に感じられる「4期生」の総体的なイメージを際立たせる役割まで果たしている。
山手線が4期生作品に初めて登場したのは『乃木坂どこへ』だった。このテレビ番組は、まだデビュー後まもなかった4期生たちが、主に山手線の駅がある街を巡り、初めての街ブラロケに挑戦するというものだった。番組公式HPでは、”台本なし!お約束なし!予測不能!”と銘打たれており、"バラエティの「イロハ」「お約束」「固定観念」がなにもない"4期生たちの自由な振る舞いが番組のメインなっていたが、しかしその一方では、バラエティ番組の不条理や人前に立つ自信の無さなどから、4期生たちが涙する場面もたびたび見られた。そこに映し出されていたのは、全国から大都会東京へと集まった無垢な少女たちがアイドルという仕事と向き合う上京物語の一幕だ。
そして、都会で花火を打ち上げるがごとく祝祭的な雰囲気を放つ『I see...』MVでも、秋葉原UDXのデッキを駆け抜けるシーンやラストのダンスシーンにて、山手線が背景を通過する。カフェでの談笑やショッピングなど、街の遊びに興ずる4期生たちの前に現れた黒子の集団。「裏方」によって街中に突如用意されたお立ち台に驚き、気後れするメンバーたちの様子がそこには描かれ———
話が脱線した。モヤモヤとした話題は置いておこう。
アトノマツリはこれまでに何度かライブでも披露されてきた。チルサウンドの目新しさのみをとっても、乃木坂のライブシーンにおいてユニークな存在ではあるが、この演目はサウンドの新奇性に留まらない確かな手触りと空気感を持つ。
北川・林のふたりのみでの披露となった32ndSGアンダーライブ。暗転したステージに微睡みのコードとオレンジの照明が長く伸びる。夢うつつな響きに、揺れる日差しがなぜる黄昏の微振動。程なくして、舞台端にポツリと灯った街灯は、淡い光の下に北川と林の姿を明かした。粗朴な階段に腰をおろし、ゆったりと肩を揺らすふたり。MVのスタイリングとも異なる路上の装い。鎮静のムードのまま、ふたりは語り始めた。北川の独白には相変わらずの気怠さが滲んでいるが、この日は林の口調もどこか物憂げだ。ダウナーな脱力感が舞台に漂う。”自分の気持ちは 何にも変わっちゃいないよ”。林の歌声に侘しさが募ってゆく。”愛の顛末 一人語ろう”、北川が胸を抑えて声を振り絞ると、林のゆるやかな煽りとともに、飾られた人波は静かに、そして軽やかに揺れはじめた。会場をたちまちに包み込む、躍るペンライトの不思議な穏やかさ。色とりどりの光がなす軽快な往復運動によって、原曲では隠れがちなサビのぞめきが一歩前に立ち、気の利いた脱力でそっと素肌をなぞる。グループのライブ的日常の隙間を流れる独特の空気。公園のそよ風とも通ずる換気的なセラピー。堰を切るのではなく、何となく気分を軽く、暖めてくれる。
”ぐるりと回って そのうち元に戻るのかな”。剥き出しの骨が乱雑に組まれた、再開発現場のごとき舞台に音楽は鳴り続ける。”愛の正解は そのうちわかる”。やがてふたりは歩道橋の上にあがった。”好きだったよ 好きだったよ”と、再開発現場を背にして、欄干越しに大きく手を振る姿。渋谷を後にしたMVのラストシーンや、ライブリード曲の一節が頭を掠める光景。”二人はこのまま”。ユニットと同期して波が伸びていき、街は遠ざかる。”何にも変わらず”。”二人はこのまま”。"多分 話しかけてもいいんじゃないかな"。橋の中央に閉じていく街の光、ふたりは背中合わせにポーズを決めた。あの日話しかけていなければ、このステージは存在せず、この瞬間もきっとなかっただろう。ふたりの些細なやりとりは、確かに道となり、橋となった。
北川卒業後の披露となった12th YEAR BIRTHDAY LIVE。この日も微睡みのコードとともに、黄昏の日差しが伸びて揺れはじめた。備え付けられた巨大なスクリーンはセピア色の都市を眺める。しばらくすると、歌唱メンバーたちがどこからともなくふらりと、会場中央の舞台に現れた。いつものように林の「山手線…」から始まる。これまでとは一味違う、気怠さと抜け感をミックスしたスタイルの歌い出し。MVのものともアンダーライブのものともまた違った、ストリートの装い。林の歌割りに続く北川のパート、卒業生の穴を埋めていたのは、なんと5期生の川﨑桜だった。会場がどよめく。川﨑には『超・乃木坂スター誕生!』での『今夜はブギーバック』や、「新参者」ライブでの林作詞のラップとアトノマツリの披露経験があり、理にかなった人選なのだが、なにより彼女と北川はお互いに乃木坂46で初めて親しくなった先輩・後輩同士の関係だった。しっとりと歌っていてもそこはかとなく明るい川﨑の歌声。のちのMCでは「悠理ちゃんの可愛らしい声に寄せた」と語っている。ラップチームの背後では、遠藤・賀喜・弓木が台に腰を下ろして、ビートに身体を大きく揺らし笑い合っている。可笑しなノリでおふざけをリードするのはいつも弓木だ。
この日も無数のペンライトが会場を優しく彩る。会場の中央にぽっかりと浮かんだ公園とベンチ。林の煽りになびく辺り一面の花畑。美しのカラーガールズはやがて花道を行く。和気藹々とした路上の空気を再現する緑道のマーチ。目前に迫る林と川﨑、飄々とした身のこなしとクリスピーな軽さがなんとも癖になるミスマッチ、その隙間からは、可笑しなノリで愉快に踊り続ける遠藤・賀喜・弓木の姿が覗く。
都市を眺めるスクリーンには、色褪せた街と鮮彩な自然のイメージがいくつも流れていった。線路、花畑、送電塔、はらっぱ、レンガ造りの建物、自転車、建設中のビル、夕焼け空。街と自然は幻想的な靄の輝きに包まれ、次第に遠ざかっていく。5人はスクリーンの前に集まり、MVのラストシーンのようにギュッと横並びになった。かつて北川を抱き寄せていた賀喜が川﨑を抱き寄せ、輪の中に迎え入れる。ステージを締めくくったのは、そんな懐かしくも新しい瞬間だった。あの日話しかけていなければ、このステージは存在せず、この瞬間もきっとなかっただろう。ふたりの些細なやりとりは、確かに道となり、橋となり、そして場所となった。
様々な感情を掻き立てるアトノマツリの体験は、脱力した遊びの街を表する自由度の高い空間とメンバーの舞台を生きる力の相互作用に支えられている。脱力のもとに複数のスタイルを内包した作品と、それをもとに構成された舞台は、演者により多くの姿勢や態度を許容し促す。歩く/座る、高揚/鎮静など、前提となる作品そのものに揺れや幅、遊びがあり、リミックスによって楽曲に変化を加えずとも多様なステージが生まれる。そして演者がその時々のスタイルを柔軟に体現してみせることで、舞台とそれを構成する作品空間への肯定と還元が果たされ、遊びの街は遊びの街たらしめられる。
自由で多様な体験を生むプレイルーム。作品に関わるすべての人間によって、作品空間に纏わるあらゆる詳細に光が当てられる。再解釈・再発見によって磨き上げられた断片は、また新たな断片を発見し、それと結びつく。無数の思考と心情の積もる空間。客観的な情報であれ、人それぞれの代えがたい主観的な体験であれ、それらの複合的な総体は、人々を共感でつなぐ共有地として、他ならぬその場所へと再帰する。大気水象、電光朝露。空気中の水蒸気は、夜間の放射冷却によって凝結し、靄、霧、そして朝露となって輝く。その短い輝きは、新たな風と共に再び舞い戻ってくるだろう。
『I see…』MVのエンディングでは、人も仕事も街も、遊びがすべてを包括した。そんな素晴らしい瞬間がこれまでにいくつもあった。アトノマツリもそのひとつだ。これからもそんな瞬間がグループに何度も訪れるのを待ち望んでいる。
楽しい遊びはあれこれと夢を膨らませる。歌詞に沿った演劇が見てみたいし、もっと広い会場の外周をひたすら練り歩くのもきっと楽しいだろう。しかし思いがけない遊びの拡張にも期待せずにはいられない。
2024年リリースの乃木坂46 35thシングル『チャンスは平等』では、アトノマツリの姉妹編に当たる『あと7曲』が収録された。脱力した街の遊びをエッセンスとして受け継ぎつつも、ミニマルなR&B風に仕上げられた作品だ。
この曲は齋藤奏太・久保卓人による共作曲作品なのだが、両者ともに乃木坂46で作曲を務めるのは初めてのことだ。久保は兼業音楽家バンド「Crahs」としても活動し、乃木坂46を含む様々なグループのカバーや楽曲分析の動画をYouTube上に投稿しているが、そこで初めてカバーした乃木坂46の楽曲が『I see…』だった。バンドメンバーに同曲を勧められ、「カッケーじゃん!」となったことが、そのきっかけだったという。『I see…』から乃木坂46の曲を知るようになった彼が、祭の後のさらにその先の曲に携わっているのも不思議な縁だ。
『あと7曲』では5期生の小川彩と川﨑桜が歌唱メンバーとして新たに名を連ねている。既に触れたとおり、川﨑は「新参者」ライブにて林の作ったラップとアトノマツリを披露しているのだが、このとき、川﨑と共にラップチームを組んでいたメンバーが小川だった。彼女にはグループ加入前に通っていたダンススクールでHIPHOPとR&BとJAZZを学んでいた経験がある。『あと7曲』をライブで披露する際にも、彼女のダンススキルが活かされるのを期待したい。
遊びの輪はまたひとつ大きくなった。
私はポジティブな遊び、軽薄ではなく、軽やかな遊びの力を信じている。乃木坂46には、本当の意味でゴキゲンな遊びで溢れ、それが続いていくような「街」であってほしいと願う。