差別について(自分が思っている事)
漠然とですが、私は差別を自分自身が無意識にしていると思っています。
自分自身の経験や当事者からの訴えなどで、初めて自分が加害側にいた事に気づく事が多いです。
〇〇というカテゴリーが差別され、そこに自分の属性があると当事者になります。
その差別されている自分の属性を、自分でどう扱ったらいいかわからなくなったりします。
自分の〇〇を否定する事は、もう自分自身が〇〇を差別してると気づいたり。。なので、自分の〇〇という属性を自己受容する事もなかなか難しいと思います。
自己受容して、当事者意識を持っても、同じ〇〇カテゴリーの別の当事者の代弁は難しいと思っています。
不幸や問題の形は、人の数だけ皆違うから。
〇〇カテゴリーの人が、例えば何か犯罪をしたら、同カテゴリーの自分も「犯罪者扱いされるかも…」という不安も湧くし、悲観したくなると思います。
けれど、自分は〇〇カテゴリーの当事者でありつつも、一人一人違う別の「個」でもあるという意識をしっかり持って、毅然とした態度でいる事が大事かなと考えています。
とても難しいけれども。。
〇〇カテゴリーの中の当事者同士ですら、ピラミッド状の生まれ持った資質や環境等による有利不利が働いていて、当事者同士で差別し合う構図もあると感じます。
時には、〇〇カテゴリー外の人からの差別以上に、同じ〇〇カテゴリーの当事者間の差別や見下しの方が強烈になると感じています。
自分の差別される属性を抱えながら、社会の中で、工夫し努力し、克服した人の苦労や成果は、同じ当事者の参考になるかもしれませんし、評価されて良いと思います。
でも、やはりここでも「個」が大事だと思っていて、努力で克服できた人はそれを他の当事者に押し付けるべきではないし、
克服できない人は、出来た人を否定するべきではないと思っていて、できるだけそうしたいと自分が思っています。
なんとなくですが、差別は誰にでも誰の中にも普通にあって、それを自分が自覚する事と、自分がどこの何に属していても、同時に「個」でもある事を強く意識したい。。
というのが、自分が難しいなぁと思いつつ、そうしたいと思っている事です。
おわり