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三浦哲郎と僕[小説][八戸ブックセンターにて展示やってるようです]

 小さな展示室にある、膨大な量の年表を前にして立ちすくんでいた。

 暑い夏の日、燦々と日光が照りつける八月上旬。僕は就職活動の帰りに街中をブラブラしていた。
 湿気で蒸し返るこんな暑い日にスーツを着て、汗だくで歩き回る。持病の腹痛が体力をじわじわと奪っていった。
 同居している従姉が車で迎えに来るまでまだ時間があった。雑貨屋も街中の広場もまわり終えてしまい、仕方なく市が運営している本屋に入った。
 本当は、本屋になど入りたくなかった。
 プロを目指し小説を書いている身ではあるのだが、本の表紙すら今は見たくなかったのである。
 書けば書くほど自分の文章や構成の稚拙さが気になってしまい、最近は書くのはおろか読書すらもできなくなっていた。活字を読めば吐き気を催しトイレへ駆け込んでしまう。そんな日を数ヶ月も続けていれば、本に対する嫌悪感が膨れ上がるのは止められなかった。
 結局は自分は凡才なのだろう。絶望した僕は筆を折ろうと考えていた。それでも足が本屋に向いてしまうのは職業病に近いのかもしれなかった。

 室内に入ると、空調のおかげで汗がすう、と引いていくのが分かった。この本屋は市が運営していて、普通の本屋よりも品揃えが変わっていた。地元由来の本や、哲学思想などの書、大きな図鑑などが置かれていた。
 小さな展示室が入口からすぐのところにあり、そこではいつもなにかしらの展示がなされていた。本を読みたくなかった僕は、逃げるように展示室のほうへまっすぐ向かった。
 今回の展示は三浦哲郎に関するものであった。地元出身の小説家なのは知っていたが、代表作すらも読んだことがない。どうせお堅い文章を書いていたのだろうと思って忌避していた。

 なんとなく入ってみた展示室。右側の壁一面に、小さい紙がずらりと貼られていた。
 近づいて見てみると、年表であることが分かる。どうせ暇だったので、一から読んでみることにした。
 彼の人生が淡々と記されている。僕は最初から、彼の生き様に釘付けになっていた。
 年表の最初の方から、彼が自分の血に苦しんでいたことがうかがい知れた。幼い頃から、きょうだいを数人亡くしているようだった。
 破滅の血。呪われた血。僕は彼の人生を想像し、そして自分自身の忌まわしい血に思考が飛んだ。

 精神の病にかかり、壊れてしまった父。
 ヒステリックで、僕に暴力を振るっていた祖母。
 陰謀論にとりつかれ、正気を失ってしまった叔父。
 呪われた血を嫌い、家を出ていった、顔も知らない伯母。
 自宅で首吊り自殺をした、仲の良かった親戚。
 家から出られなくなり、今はどうしているかも分からない本家のお姉さん。
 そして、生まれることすら叶わなかった、僕の弟。

 そんな、自分に纏わる呪いが、一気に頭の中を駆け巡った。
 それは決して、つらいことではなかった。
 ただ、血に苦しんでいた三浦哲郎の生き様と、僕の苦しみが、時を越えて交差しただけだった。
 
 その時、従姉から着信があり、その場を後にせざるを得なかった。年表の続きを見たかったのだが、時間切れだった。
 三浦哲郎の人生に圧倒されたせいか、腹痛は気にならなくなっていた。


 家に帰ってから、三浦哲郎についてネットで調べた。
 一体どんな人物で、どんな作品を書いていたのか。彼の人生が知りたかった。
 こんな感覚は、久しぶりだった。
 最近はずっと、どんな作家を知っても、「どうせ僕にはこのレベルの作品は書けない」と穿った見方をしてしまい、楽しんで読めなかった。作家と自分の作品を見比べて、あまりのおぞましさに吐き気がこみ上げる。そんなことを数ヶ月に渡り続けていた。
 なのに、どうして彼に惹かれるのか。
 ネットで読む彼の人生は味気なくて、展示室の年表を前にしたときとは違い薄味だった。
 明日また展示室に行こうと決心した。僕の心は彼一色だった。


 次の日、まだ痛む腹を抑えながら本屋に向かった。
 鎮痛剤の効力で比較的痛みは引いているが、痛いものは痛い。意識朦朧としながら、まっすぐ展示室に向かっていった。
 年表を前にして、ほう、と息を吐いた。今日は年表を端から端まで読むために時間を割いて足を運んだのだ。僕は早速、彼の歴史を紐解いていった。
 長い年表をじっくり眺めて、気づいたことが一つだけあった。
(......この人、毎月一編ずつ短編を書いている)
 仕事とはいえ、毎月一編ずつ短編を書き上げるなど、僕から言わせれば並大抵のことではない。月に一編は書き上げられるだろうが、それが毎月なのだから相当な胆力が必要だ。僕とは全然、書く量が違った。
 膨大な作品の題名がずっと書かれている。だがその年表も、後半になれば体調不良で倒れたという記述が多くなった。
 奥さんが亡くなったことも、書かれていた。
 この人は、僕と違い、誰かを番にして生きていける人だ。嫉妬に駆られる以前に、安心した。この人は血のせいで独りにはならなかったのだ。良かった、と、心底思えた。
 年表を最後まで読んで、その日は帰った。持病の腹痛がひどく、立っていられなかった。

 家に帰って横たわりながら、三浦哲郎の代表作を調べていた。
 なにか一冊、読んでみようと思ったのだ。一冊でも読んだら、彼を知ることができるのかもしれない。僕は痛む腹を抑えながら、三浦哲郎に想いを馳せていた。
 彼には亡くなったきょうだいたちがいる。彼は自分がなぜ生きているのか不思議に思わなかったのだろうか。
 僕の弟は生まれる前に流れて死んでしまった。お前には弟がいたんだよと言われるたびに、僕は不思議に思ったものだ。

 なぜ、弟ではなくて僕だったのだろうと。

 なぜ僕は生きていて弟は死んでしまったのだろう。原因はわかっていた。僕を家の二階から降ろすために母は無理をした。母以外に僕を移動させてくれる心優しい家族はいなかったのだ。その結果、無理が祟って母は流産してしまった。まだ三歳の幼子とはいえ、僕の責任であることは明白だった。僕が弟を殺したのだ。
 今となっては、弟が生まれてこなくてよかったと思っている。弟にこの血の呪いを背負わせるわけにはいかなかった。
 僕が血で苦しんでいるのも、虚弱体質で苦しんでいるのも、すべてはきょうだい殺しの罪を背負っているからだ。僕はそう思いながら、今を生きている。
 せめてもの罪滅ぼしのために、作品発表の際は弟の名前をペンネームにして出していた。そうしたら、少しでも弟が存在した証を残せると思ったのだ。
 結局、名前が売れなきゃ意味ないが。
 三浦哲郎は、罪滅ぼしに苦心しなかったのだろうか。それが分からなかった。
 神に祈らなかったのだろうか。
 彼のことが何もかも分からなかった。
 だから電子でサンプルをダウンロードし、少しだけ読んでみた。活字を読んだらまた気持ち悪くなるんじゃないかと心配だったが、興味には勝てなかった。

 『忍ぶ川』の冒頭を読んで、僕はほっとした。彼の苦しみが、そして優しさがにじみ出る文章だった。
 時を越えて、彼の人生と僕の人生が交差していた。
 勝手に僕が彼に仲間意識を抱いていただけだが、それでも僕の心を拾い上げたのが、この作品で、あの展示室の年表だった。
 彼のなにもかもが、僕の心を捉えて離さなかった。
 僕もあなたも、救えない。でも、掬える心はあった。
 彼は優しい人だった。


 それからというもの、僕は『忍ぶ川』を少しずつ読んでいる。一気に読みたいが、持病の腹痛は治まらないし、活字を読むとやはりまだ吐き気がする。
 そして、少しずつまた筆を手に取りはじめている。
 折れた心を少しずつ、少しずつ修繕して。またいつか作品をつくるために、僕は書いている。
 僕もいつか、誰かの心の掬える日がくるだろうか。そう願い、信じて。
 
 今日も僕は、神に祈る。


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この小説はフィクションですが、三浦哲郎のギャラリー展は8月22日までやってます。

青森県八戸市の八戸ブックセンターにて、「中高生に伝えたい三浦哲郎」というギャラリー展が開催されております。詳しくは下記のURLで。

https://8book.jp/bookcenter/4163/

三浦哲郎についてまったく知らなかった人間なのですが、展示に感動してしまい思わず筆を取ってしまいました。

皆様も興味がありましたら是非見ていってくださいね。