考える
noteを書いてみる。
今日は好きなものの話をする!と思ってワインについて書き進めていたけど、もっとワインへの想いが高まってるときに書くべきかなと思い、やめた。
ここ2年くらいで、よく考えるようになった。
考えていると落ち着く。何かをずっと考えてる。考えているという状態にいたい。
でも考えているという状態は疲れる。
でも考えていないと怖い。
悶々と思考を巡らすことについて、もともと素質があったのだと思う。
開花させてくれてしまったのは他でもなく彼なのだけど、苦しめられているような気がしなくもないけど、
わたしは「考える」を手に入れたことで得られたもののほうがきっと、「考える」を手に入れなかった未来で得られるだろうものよりも多く、良質であるのだろうと思う。そうであってほしいと思う。
病んでる、と言われることがある。
みんなは考えたことないの?なんで生きてるのか、なんで作られたのか、なんで歌ってるのか
答えの出ない問に、何度も何度も向き合うのは、考えるのは、言葉にするのは、病んでるなの?なぜ病んでいるといえるの?病んでたとして、病んではいけないの?
書き進めてみたけど今日は結構ぐちゃぐちゃしてるみたい。いつもはもっとスッキリと「悶々」ができている。
ということは今日はおそらく、ーじゃなくて少し+に寄ってるということだと思う。
高校の時は、ずっと+にいたと、今振り返れば思う。でもあの頃は+にいた感覚はなかった、0,+,ーという概念が存在してなかった。そんなこと考えたことなかった。一時的な+ーはあったにせよ。
あの頃に戻れたら、とも思う。毎日が楽しかった。メタ認知なんていうのも、いらない機能だ。
いつか
この思考地獄から抜け出すことはできるのか|
と打って、何だかんだ言ってやはり、「考える」をやめたいと思っているらしいことを実感した。
ただーにいるのが辛くなってしまって、解決方法も分からず、「思考地獄から抜け出すこと」で解決できると思っているのか。
考えることは落ち着くのに。
もっと自在に気分を変えられたらと思うんだけどな。
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