「#創作大賞2024応募作品」❅ルナティックエンメモア Lunatic aime moi -紅紫藍―14.――『許さなくていい。だから俺の前から消えるな。』
❅14.――『許さなくていい。だから俺の前から消えるな。』
結局無力な俺の前で悠々ゆうゆうと新しい月がまた生まれては育つ。
深夜、ひゅと息の詰まる感覚にふと目が覚めて寒気のような背筋が凍る嫌な感じがした。
夜更けの肌を撫でつける風のひりつく涼しさを無視して。
真夜中の真っ暗なキッチンにサマエルは急いだ。
まるで切り裂かれた古傷が痛むように痛みが自分はここに確かにあるのだと叫ぶ。
指先が痺れて目を逸らしたくなる。
いつまでも主張を続ける治りもしない傷なんか…いっそ抉り取ってやりたい。
ひたり、ひたりと見えないものが忍び寄って俺に摺すり寄ってくる。
すごく嫌な予感がする。
こういう時の自分の予感程当たるものはない。
どうか勘違いであってくれ。
勘違いならば、なんだ少し水を飲みに来た。そう言える。
だが、そう願えば願うときほど現実はそうはいかないことなど嫌というほど経験してしまった。
現実はいつだって無常だ。
誰もいない廊下は薄暗さと静けさを纏まとって翳かげが全てを飲み込もうと待ち構えている。
差した月明かりに宵闇よいやみが横たわった。
扉に手をかければまた痛みにも似た痺れが襲う。
何度も繰り返して慣れてしまったはずの動作。
一つ息を吸ってもう一度『どうか居てくれるな』と願いながら一息に戸を開ける。
そのまま闇に飛び込めば苦しそうな呼吸音が聞こえた。
「嗚呼、やっぱり…。」
―――『淡い希望は打ち砕かれた。』
暗闇に目を慣らしながらその音の方に忍びよればそこにはやっぱり満身創痍まんしんそういで怯え切ったミハイルがいた。
「ミハイル、俺だ。」
そう言って近づこうとしたが警戒されてしまった。
最近、こうしてミハイルの錯乱さくらんが酷くなっているように思う。
初めのころは、俺もぎこちないながらも声を掛ければミハイルは俺を認識した。
それなのに、これじゃ今はまるで手負いの獣だ。
ふーっ、ふーっと荒く上がってしまった息を吐き出している。
もしかしたら発熱しているかもしれない。
スっとあたりを見れば
傍らに散らばっている錠剤や瓶やアンプル。
前より更に急激に増え始めた薬品。
「今日は一段と酷いな。」
ミハイルの心は。体は。
確実に限界を目の前にしているだろう。
「ミハイル、サマエルだ。」
じっと見据えるミハイル。
「凛弥、大丈夫だ。俺は凛弥を探しに来た。」
戻ってきやすいよう真名まなを呼んで呼び戻す。
「凛弥、戻って来い。」
「凛弥の帰る場所はここだ。」
根気よく話しかけて警戒を解いていく。
ようやく触れることが出来るようになった体。
それは予想に反して。
震えるその身体は酷く冷え切っていて怖くなった。
このまま…。
≪このまま凛弥はどこか消えてしまうんじゃないか。≫
そう、怖くなる。
必死に縋すがりそうになる心を叱咤しったして呼びかける。
そう平然と。
なにも動じることなどないのだと。
―――繕つくろったものに一切いっさいの綻ほころびなど見せてはならない。
「独りになろうとするな。」
「凛弥は独りじゃない。」
自分の熱が少しでも凛弥に移ればいい。
身を寄せ合ったその身体は小さくなった気がした。
そうしていても、収まらない紫月の能力の反動。
どうする。
どうしたらいい。
いつだってそうだ。
こうやって俺が足踏みをするたび現実は俺を叩き潰そうとしてくる。
いまこの瞬間にだって惨むごいくらいに凛弥は死へと歩みを進める。
欲しいものは目の前にちらつかせるくせに必死で掴もうとすればいとも簡単にねじ伏せて奪おうとする。
『…ふざけんな。』
ーーーー『ねじ伏せられようが掴み取ってやるよ、…凛弥。』
俺は自分の右手首を噛み、ゆっくりと背後から腕を回してひときわ大きく体を震わせた凛弥の口元にあてた。
冷え切った皮膚の上を滑り落ちる生温かさが俺を堕としていく。
――わかっている。これは禁忌きんきだ。
もう二度と戻れない。
ポタポタとしばらく垂れる雫の音が響いていた。
―――それでも。俺は失うわけにはいかない。
ぐっと凛弥の口元に紅の溢れ出る傷口を押し当てる。
――俺は許されないことをアンタに強しいている。
わかっている。
だから見るな。
どうしようもないくらい堕ちる俺を。
少しして、不意に瞳が揺れて凛弥が紅が滑り落ちるそれを凝視するように伏し目がちに見つめたかと思えばゆっくりとそこにひたりと唇を寄せた。
生暖かいぬめりと押し付けられた柔いそれに何度も撫でられる。
まるで愛いつくしむかのように。
何度も。なんども。
瞳を閉じて甘んじて全てを受け入れて。
凛弥の存在を感じていた。
急にピリッとした痛みと共に血液が抜かれていく感覚がして瞳を開ければ。
鋭い獣の眼差しをした凛弥が試すように俺を見据えていた。
責めるようなその瞳は。
…わかっている。
俺はアンタを堕とした。
わかっているさ。
どこまでも果てしなく続く闇へ。
真っ直ぐ。
そう、ひたすら俺を射抜くその瞳。
見たこともない強きな眼差し。
なぁ凛弥、アンタ。
アンタ、俺の知る凛弥なんだろ。
強がってんのは…。
でも、わかんだよ…秘め隠されたその奥に哀しみの色が燈っていることくらい。
言葉なんて少なくていい。
俺に伝えられるものなんてたかが知れている。
だから。
――『許さなくていい。だから俺の前から消えるな。』
口から零れた言葉に凛弥はぐっと眉間を寄せ顔を歪ませた。
乱暴に凛弥の舌が流れ出た血液をとめどなく掬い取るように何度も手首を這う。
ちゅっとリップ音が響いた。
外気に晒された手首が熱を失っていく。
もういいのかと凛弥を伺ってみる。
だが、その顔は眉根を寄せて歪んだまま。
『僕を侮るな。…サマエル。』
そう挑戦的に煽る。
ーーー俺の名を呼びながら。
なんどもなんども繰り返し発される俺の名。
たった四文字。
それに俺は逆らえない。
放たれた獣に囚われたのは俺かアンタか。
艶々しく紅に濡れた凛弥の唇。
『アンタ、たち悪すぎ。』
そう呟いて魅惑的に誘惑するそれに欲望のまま強引にかぶりついてやる。
名を呼び返さないだなんて子供みたいなほんの少しの抵抗を混ぜて。
自分の血液なんて二度と口にすることはないと思っていた。
微かな苦みと噎むせ返るほどのあまみ。
好まないはずのそれが。
誘い出すようにして噛みつくそれが甘美でしかない。
どこか満たされる従属感に優越感に焦じれながら。
無垢なアンタを俺の手で汚していくのがいたたまれなくて。
それでいて。
ーーー≪堪らなく心地いい≫
絡み合う背徳はいとくと恍惚こうこつ。
全ての思考を放棄してこのまま酔いしれて。
もうこのまま溶けて混ざって消えたってかまわない。
『アンタが欲しい。』
頭の中に靄がかかり始めた頃、腕の中にいた凛弥はもういつものミハイルだった。
ぐちゃぐちゃになった頭の片隅で理性が問う。
ミハイルを救うにはどうしたらいい。
嗚呼…。
――『俺はアンタに何をしてやれる。』
※この作品の初稿は2022年9月よりpixivにて途中まで投稿しています。
その作品を改定推敲加筆し続編連載再開としてこちらに投稿しています。
その他詳細はリットリンクにて。
➩https://lit.link/kairiluca7bulemoonsea