「#創作大賞2024応募作品」❅ルナティックエンメモア Lunatic aime moi -紅紫藍―34. その名前は、“黄迦リコリス”。
❅34. その名前は、“黄迦リコリス”。
リーチの長い猟銃を片手に持った男が
俺のうえからミハイルの体を乱暴に引き上げる。
「っ…おい‼」
ようやく我に返った俺が声を出す頃にはミハイルは乱雑に床に転がされていた。
その腹部からはダクダクと命の燈火が流れ出て紅い湖が広がっていく。
その水面はさらに質量をますように注がれる紅によって波打っていた。
空気に触れた端の方から艶やかできれいだったその燈火が酸化して赤黒く汚く濁り始めていた。
それが点々と床を汚し自分の服や肌を染め上げていた。
燃えるように熱い頭と首元。
流れでた液体が身体を伝う感触に背筋が凍っていく。
手に残る滑りを帯びた感触。
思考だけが高速で回転して。
「あーあ、勿体ない」
ミハイルを見下ろしながら気色の悪い笑みを浮かべた男が半笑いで言った。
まるで冷水をぶっかけられたみたいに。
刹那。
俺の思考は停止した。
始めてだった。
自分の心が壊れる音を聞いたのは。
その時生まれて初めて叫んだ。
自分を捨てた奴らをみても声一つあげなかった俺が。
その後どうなったのか記憶にない。
虚無の狭間で。
ただ、ひたすらにミハイルを追いかけていた。
呼んでも叫んでも届かない声、振り返らないミハイル。
必死で手を伸ばし掴んだはずの手は空虚で。
ミハイルは俺を置いて先をいく。
振り返らずに。振りかえるそぶりすらせずに。
痺れを訴える重たい四肢に体温が奪われる感覚がして
ふと意識が浮上する。
重たい瞼を意識してあげれば視界いっぱいにはいる灰色の低い天井。
冷えた床に横たわっているらしい。
背中から体温が吸われていく。
痛む身体を起こせば、金属が鳴く音がした。
その音の出何処を辿れば両手首と両足に重金属の拘束がされそこから鎖が部屋の隅に繋がっている。
重厚で重みのあるそれは固く少し動かすだけで疲労と更なる痛みが襲った。
ジャラジャラと鳴るそれが鬱陶しい。
「一体ここはどこだ」と遅れてきた思考に辺りを見回せば、鎖を繋がられた先に大きなガラスの嵌め込みがある。
「なんなんだ。」
そこに近づいていけば、それは分厚いガラス越しに隣の室内が見えるようになっていた。
近くまで辿り着くと見えた光景。
沢山の機器と医療器具、中央の固い寝台の上、ミハイルが横たわっていた。
その肌は所々、傷やアザが目立っていて痛々しい。
ミハイルは、ベッドに寝かされ器具を沢山つけられている。
繋がれた線を辿れば一定に刻む無機質な音とそれに伴う波形を描き出す画面。
それから、ミハイルの華奢な腕と胸元と太もも辺りから伸びる太い管からはさっき湖を築いていた色と同じ色をしていた。
骨の形が浮き上がった四肢は俺と同じように重金属で繋がれている。
継続的に響く機械の吸引の男に怖くなる。
ミハイルがあの夢のようにいなくなる、置いていかれる気がして目の前の嵌め込みガラスを叩きながら「おい!やめろ!やめろ!」と喚き叫んだが、その声は無機質な部屋に響き渡るだけでしかなかった。
意識を飛ばすまで叫び続けて力尽き、また意識が戻れば叫ぶ。
数回に1度色のない白衣をきたヴァンパイアたちが来たが誰も聞き届けてはくれなかった。
誰も俺の叫びを聞かない。
そう、神でさえも。
—――「神なんていない。」
ヴァンパイア更生育成施設にいたころミハイルは言った。
そうだな。
あの時俺は〚神を信じないやつに神なんていない。信じるからいるんだ。〛なんて言ったんだったか。
ああ、いまならわかるよ。
ほんとうに、おまえの言う通りだ。
神なんていない。
あの施設にいたころは、良かった。
こんなことになるくらいならミハイルのいうことに賛成していれば良かった。
あいつの命はいつか喰われる。
協会の連中にしろ、あいつの性質にしろ。
俺はただあいつを。
ミハイルを守りたかった。
ミハイルの命を狙うものが多すぎた。
多くを望まないミハイルに、欲しいなら求めろと焚き付けたのは他でもない俺。
その結果、このザマだ。
守るどころか傷つけ続けている。
ミハイルの命を更に危険に晒した。
どれくらいたっただろう。
喚く声も助けをこう希望も枯れた俺はただひたすら厚い嵌め込みガラスに張り付いてミハイルを眺めていた。
不意にいつかガラス越しにみた白衣をきたヴァンパイアがこの灰色の部屋に入ってきた。
そいつは、俺のバイタルを確認し記入した後、ここがヴァンパイア協会のもとミハイルの研究をしている研究チームだと言った。
その名前は、“黄迦リコリス”。
その白衣のヴァンパイアは、研究員らしい。
その研究員は、やたら“崇高な我々”と仰々しく繰り返していた。
途轍もなく濁った瞳で。
ニタニタ、ニタニタ。
気色の悪い笑みが辺りを漂う。
「それにしてもあの紫月の姫も哀れだよなぁ?」
「は?」
「我々の天上君主に、“変な気を起こしたら君の大好きな大親友を殺す”って言いつけて貰ったんだよ。そしたら、アレどんな顔したと思う?
泣きそうな顔で負け犬よろしくしょげてんの。
しかも、親友を失いたくない?、とか。ぶはっ、あはは。
それに、喧嘩までしても嫌われたっていい。ただ生きていてくれればそれでいい。とか必死で言ってんだよ、笑うしかないだろう?
あの面(ツラ)は傑作だったなー。
その結果、自分だけじゃなくお前も監禁。地獄行。
しかも、お前は知らなかった。それすら知らなかった、そうだろ?
アレは、馬鹿そのものだなー。
それにしてもありゃ見物だったなぁ、爆笑を堪えるのはしんどかったよ。
いい加減理解したらどうかな?お前らは天上からすりゃあただの駒なのだよ。
我ら崇高な天上のお抱えとは格が違うのさ。
しかも、調べてみたら貴様みたいな異端を守るために命をかけるなんてな。
仮にも紫月の姫であるものが無様すぎて爆笑待ったなしだろ。」
真っ白な世界で濁り切った瞳が見下ろしている。
醜い音が不気味なほど背を撫でるように這う。
消毒液の突き刺すような刺激的な香りが横たわって頭痛を誘発していた。
何を。何を言っている?
拒絶したいのだと己の擦り切れる心の音を削る痛みだけが襲ってくる。
なんで。
どうして。
そんなものはミハイルがいないいま何の意味もない。
すべてが。俺の全てが甘かった。
ミハイルは求めなかったんじゃない。
求められなかったんだ…。
能力を持った紫月の姫を畏れていたヴァンパイア協会はそれをなんとか制御しなきゃならないから紫月の姫であるミハイルの大切な物をたてにとった。大切な物を壊されるとなれば動けないだろうと。
嘲笑う研究員は、瞳を逸らす俺の顎を掴みグイっと上を向かせ瞳を覗き込んできた。
行き場のない力がギリギリと奥歯が擦り減る音を成して頭蓋骨を震わせる。
「いい顔だ。」
無理矢理交じり合わされた瞳は心底濁って吐き気がした。
見覚えがある。
遠い昔なじられていた日々に幾度となく見てきた瞳だ。
なにも。
なんにも変わってない。
最低で最悪。
あの時ミハイルが反対した本当の意味。
…それをこの時俺は知った。
「なにも知らなかったのは俺だ…。」
俺は、手の届かぬガラスの向こうでミハイルが全身の血を抜かれるのをただ見ていることしか出来ないまま。
ミハイルが死へと転がり落ちていくのを結局指をくわえて見つめていることしかできない。
なんにも変わってない。
この研究員の化けの皮を被った気持ち悪いおっさんがニヤニヤとしながら、嬉々として「それにしてもこいつも可哀想だよなぁ」なんて繰り返しミハイルを指さしながらベラベラと繰り返し気色の悪い音を発していた。
そんな低俗なノイズがギリギリと俺の中を引っ掻きまわして壊していった。
※この作品の初稿は2022年9月よりpixivにて途中まで投稿しています。
その作品を改定推敲加筆し続編連載再開としてこちらに投稿しています。
その他詳細はリットリンクにて。
➩https://lit.link/kairiluca7bulemoonsea