「#創作大賞2024応募作品」❅ルナティックエンメモア Lunatic aime moi -紅紫藍―30.クリスタルコンシール
❅30.クリスタルコンシール
また一歩、また一歩。死への奈落に足を踏み出す。
背筋に凍えるような感覚がつつっと走る。
ホワイトアウトしそうな霞む視界を何度も強くしかめたまばたきで繋ぎ止めた。
この薄闇のくろの中でしろに飲まれるなんて滑稽としか言いようがない。
それでもなおも侵食しようとしろが視界脇から忘れてくれるなと主張を強めて蔓延る。
「っ!」
踏み出した右足が掬われた。
ふわり浮遊感。
ははっ、ここまでか。
情けなくて笑えてくるな。
ミハイルはもう逃げられたのか。
確認もせずくたばるとはなんだこのていたらくぶり。
いつだってこうだ。
俺は。
滑り落ちる身に打ち付けられた身体が悲鳴をあげた。
それはスローモーションのようでやたら長くていっそこれが地獄の坂かとすら思った。
衝撃がやみゆっくりと瞳をあけてみれば空にはぽっかりと寂しく月が浮かんでいた。
残念ながら簡単にはあの世への道は渡らせてくれないらしい…、いや幸いなことにまだ生きているらしい。
追って背を這うような燃える感覚と骨を折るような痛みが背中を埋め尽くしていた。
変な生ぬるさと凍えるような寒さと痺れるような痛みと引き換えにクリアになった思考。
言いようのない焦燥と怒りが何処からともなく湧いて脳内をかき回す。
どこか知っている。
俺は憶えている。
痛みも寒さも奈落へ転げ落ちるようなこの感覚も。
寂しくて苦しくて。
大嫌いなそれを。
どこかガラス越しの先で小さな子供が笑っている。
その顔は幼いながら端正に整っていて誰が見ても美しいと声をそろえて言うだろう。
その背には大きな黒紺の翼。
その子は小さな白くきめ細やかな肌をした手をすらりと俺に伸ばした。
その手を取ろうとして伸ばした手がガラスにぶつかってこつんと音が鳴った。
そのまま顔をしかめて様子を窺えばガラス越しの子供は言った。
――「どうして俺が。」
ぽつり落とされた言葉が沁みる。
その唇は綺麗に弧を描いたまま。
―――――「なんで俺だけが。」
小さく開かれその口から紡がれる音は酷く寂しかった。
それはみるみるうちにその端正な顔を歪めていった。
――――「誰かのためみなのため背負わされた十字架は誰を守った。」
酷く絞り出される様な声で悲痛に耐えるようにそれは落とされる。
ぽつりとひとつの雫がその頬を伝った。
「何を言って…」問いかけた声が幼子の音にかき消された。
その音は「誰も救えなかったくせに。」そう響いた。
それは怒りや憎悪に…、なにより後悔に満ちていた。
いますぐにでもなんとかしてやりたい。
それでもガラス越しのあの子を俺は慰めてやることもこの腕に抱いてやることも出来ない。
このたった一枚の隔たりが俺をただ傍観者へと固定する。
今にも胸が張り裂けそうだ。
急激にせりあがった絶望に耐えきれず蹲って酷く吐き出せば口内に広がった甘さで眩暈がする。
ひゅひゅとあがった呼気が気管支を駆ける音が骨に響いて脳を揺さぶってうるさくてたまらない。
嗅覚を辿っていつか脳にこびりついた甘ったるさに吐き気がする。
どうしようもなく嫌いで嫌いで腸が煮えくり返りそうになる。
靄のかかる何かが煩わしくてしかたない。
「ああもうどうにでもなれ。」
ぐちゃぐちゃとかき回される様な感情の濁流にいっそ呟いた。
さぁぁっと風が吹いて何処からともなく聞こえる音。
微かな視界の中でまだなにも成し遂げてないだろと冷たい藍の月が何処かで俺を見下ろした。
ああ、俺はなにも。
守りたかったもの全てなくしてきた。
何処まで行っても俺は。
――――「孤独だ。」
また逃げるのか。そう月に問われる。
「はっ、逃げるわけないだろ。」
そう答えれば甲高い耳鳴りと共にめがまわる。
それに耐えるようにぎゅっと瞳をつぶればどこかでくふっとどこかで藍の月が笑った気がした。
耳鳴りがやんで代わりにしけった土壌と新緑の香りがする。
瞳をあければ視界はなにも変わりなく世界は続いている。
俺はまだなにも成し遂げていない。
ふと起き上がってみてみれば淡くほんの少しの青白い光が俺を包んでいた。
これは見覚えがある。親が纏ったあの光だ。
俺はもう覚醒することはないと思ってたんだが。
「ははっ、こんなときにか。」
―――――“半覚醒”
運がいいやら悪いやら。
いつもの癖で何気なく触れた太ももにぬめりを感じてみてみればそこは彫りごと引き裂かれて挫滅創になっていた。
辺りを見回せば砕けたような氷の欠片が散らばっている。
どうやら幸い落下の衝撃を致命傷まではいかずに済んだらしい。
とはいえなにも無事ではない。
脆い身体はさほど変わらず悲鳴をあげたままだ。
※この作品の初稿は2022年9月よりpixivにて途中まで投稿しています。
その作品を改定推敲加筆し続編連載再開としてこちらに投稿しています。
その他詳細はリットリンクにて。
➩https://lit.link/kairiluca7bulemoonsea