「#創作大賞2024応募作品」❅ルナティックエンメモア Lunatic aime moi -紅紫藍―28.―――たぶん、俺は“このために生まれてきた”。
❅28.―――たぶん、俺は“このために生まれてきた”。
上がった息、眉根を寄せた険しい顔、胸元を握る白くなった指先。
ミハイルは明らかに消耗していた。
「どうした。」
声を掛けるが酸素が足りないのか動く口とは相反して苦しげな呼吸音だけが聞こえる。
ミハイルが「このままじゃ持たない。」
ミハイルより優先するものなどなにもない。
心配が勝った俺は前方を見渡して探せば。
幸運にも前方には木々が密集いて翳がより深めいたところがあった。
すこし休憩してミハイルが回復するのを待つか。
一刻の猶予もないのは事実だ。
どうする。
きっとしあわせはどちらかしか選べない。
全てを守り切るチカラは俺にはないだろう。
それなら切り捨てるものは決まっている。
――――なにに変えても。
「守りたいものがあんだよ。」
―――――今度こそ。
“俺の全てで守ってやる”。
ミハイルに知らせるため指をさして合図を送る。
その間に交わした視線にさえ憔悴と焦りの色が溢れた。
この瞬間さえ惜しむようにその瞳を伏せた。
そうして、ミハイルは次の刻にこくりとうなずいて密集した木々に紛れ込んだ。
それを追うようにして翳へと飛び込む。
「はッ、ハッ…、っつ…気付いてるでしょ。
…追手が来てる。」
「ああ。」
気付いてはいた。
随分前から等間隔で俺らの方に絶えず向かってくる気配。
「このままじゃまけない。」
わかってはいる。
このままではいずれ捕まる。
「一度引き返してまた機を伺うか?」
ありもしない選択肢を問いて見つめた。
「駄目だ。…絶対。僕は…。…僕らは負けない。」
「だろうな。」
そうこたえるとおもった。
「…ミハイル。
――――――俺はおまえを死なせないけどいいよな?」
「え?」
“その問いにこたえてやれなくてごめん。
おまえはきっと俺を恨むことも出来ずに自分を責めるだろう。
どうしてと泣くだろう。
おいてかれたものの気持ちはよく知ってるだろうと。
それでも、俺はおまえをなによりも大切だとおもってた。
俺はとっくにおまえだけをみてたから”
そう音にはならない想いを瞳にこめて贈った。
この暗がりでおまえが好きだと言ったこの忌々しい瞳で。
――なによりもおまえだけが愛おしかったよ。
ふっと風に乗せてひとつ笑ってなんでもないと首を横に振る。
「サマエル…、二手に分かれよう。」
落とされた爆弾。
それは有無を言わさない確信めいた音。
「は?、そんなことしたらミハイルは。」
「大丈夫。」
「両方もぎとろうってか?」
「え?」
「どこまでも欲張りなやつだな。…勝算は?」
「そんなものいる?…っ、欲張ってなにが悪い?」
「ははっ…いらないな。悪くないななにも。」
「でしょ?」
ミハイルが殊勝を纏って不敵に笑った。
「かっこいいな、おまえ。」
「サマエルの真似しただけ。」
「は?」
「サマエルが言ったんでしょ、忘れたの。」
「なにを…」
「なんで、やってみもしないうちから分かるんだって。
辛くて仕方なくて死にたくなるくらいしんどいんなら感情のまま求めろ。
そう僕に言ったのはサマエル。」
「そうか…全てを明け渡して諦めるおまえを俺は変えられたんだな。
俺の言葉はおまえにちゃんと届いてたんだな。」
ミハエルの瞳が懇願するように色を帯び俺を真っ直ぐただひたすらに射抜く。
命のやり取りの場で手を取り合う事の難しさを俺は知っている。
その恐怖を俺は知っている。
必死に見つめ返して何が伝わるというのか。
何かが変わるというのか。
そんなものどうだっていい。
トーンをおとしたなかで強く底光りするミハエルの夕暮れの海を映したアメジストの瞳が譲らないのだと物語っている。
「大丈夫だから。どうにかする。もう少し休めば大丈夫だから。」
「…。」
それでもこたえを差し出すのをためらった。
頷くべきか。
とめるべきか。
甘い言葉で誘うわけにはいかない。
傾いたはずのそれ。失う恐怖にまた天秤が揺れる。
もう一度…。
その時、ミハエルの手が俺の腕を強く引いた。
どこにこんなチカラが残っているというのか。
がさっと擦れた地面の音は風に揺れる木の葉が覆い隠した。
近づいた距離を更に潰すようにぐっと強く底光りするアメジストの瞳が近づく。
それは夜を吸収して日暮れの後、夜空の深い紫色の海になる。
いっそねめつけられるように強く射抜いてくる。
「僕は譲らない。侮るな…サマエル。」
あの日、俺が犯した罪を彷彿とさせる低い音。
どこか寂しさが駆ける。
「そうd…」
そうだなと告げようと開いた口がふさがれる。
もう否定などしないのに。
「僕は絶対負けない。だから、サマエルその代わり…僕の代わりに先にいって追手を引き付けて巻いてくれないかな。」
申し訳なさそうに困ったように笑うミハイル。
無理をしているのは一目瞭然。
それでも。
ミハイル、おまえが言うなら俺はおまえを信じる。
味わうように唇を舐めれば微かに甘酸っぱい。
いつか想いだして泣きそうな味がする。
到底忘れられないだろう。
そんなの、おまえだけずるい。
「俺にも刻ませろ。」
自らの右腕を噛み溢れる紅をめいいっぱい含む。
俺の行動に瞳を丸くしているミハイルに一度挑発的な顔をしてやりながらあの倉庫でもう何度も交わしたやり取りをなぞるようにおとしてやる。
――刻め。二度と俺を忘れられないように。
深く深く口移しで与えるのは一生消えない鎖。
――どうか忘れるな。
そう願って。
ちゃんと飲み込むように嚥下した喉元をみて唇を親指で拭ってやった。
「わかった。絶対に来い。」
自分の口元を腕で乱暴に拭って渡した言葉は信頼。
「ははは…ほんとサマエルって強引。…わかったよ。」
「おまえに言われたくない。」
「そうだね。」
交わした約束。
守れるかなんてわからない。
そんなものはお互いわかってる。
それでも。
それでも言葉にすることに意味がある。
そう信じた。
「ずっと待ってる。だから、絶対に来い。」
「サマエルは心配性だなぁー。ふふっ、ちゃんと行く、約束する。待ってて、サマエル。」
ミハイルはヘラっとこの状況に似つかわしくないいつもの眩しい笑顔をつくってみせた。
―――「僕らの始まりのあの場所で。」
俺の耳元ミハイルは俺の胸元をつついて、「それを…僕を信じて」と小さく囁いた。
俺の胸元のポケットに入っていたミハイルがくれたホープダイヤモンドが淡く光始めていた。
――“ティアマト”。俺たちの始まりの場所。
少し遠くで怒号が聞こえた。
タイムアップだ。
「必ず。」
そう言い残して背を向けた。
その先が“守る”なのか“会おう”なのかわからないまま。
強く後ろを向く。
俺が出来る事をする。
足掻けるのなら足掻いてやる。
どこまでも。
ミハイルと二手に別れてわざと追手を引き付けて夜の闇を全速力で駆け抜ける。
俺の腕から流れ落ち続ける紅がこの森でミハイルを隠す。
この穢れ切った血が最悪と恐れられたこの血がミハイルのためになるのなら。
―――たぶん、俺は“このために生まれてきた”。
――――このために“捧げられた”。
『すべてはミハイルと出会うために!!!』
叫んだ声は瞬く間に宵の森へ響き渡った。
追って追いかけてくる音が僅かにこちらに逸れた。
これでいい。
これでいい!
「来いよ、クズども。俺と鬼ごっこしようか。」
もしも捕まったのなら俺たちを待ち受けるのは死か絶望かはたまたそれよりも惨(むご)い生き地獄か。
考えただけで笑えるくらいゾッとする。
寒い、太陽が消えていく。
集中したいはずの音も色も零れ落ちていく。
必死に搔き集める度、腕を伝うぬるさに眩暈がする。
馬鹿みたいに甘ったるさだけがこびりつく。
気が立って仕方がない。
闇はすぐ後ろまで迫っている。
逃げても逃げても追いかけてくる。
「…っ、そうだ。もっと。…っ、もっと来い。」
さっきまでの高揚感が嘘みたいに恐ろしくてたまらない。
なのに怖いものみたさに変に鼓動が、胸の奥が浮足立つ。
流れていく俺の濃い血はあいつらの嗅覚や感覚を上手く攪乱させているはずだ。
だが、これは諸刃の剣。
チカラが抜けていくのが如実にわかる。
安易に悟れるぐらい死への奈落は目の前にある。
たぶんそう長くはもたない。
せめて。
ミハイルを逃がすまでは…。
夜の闇を全速力で駆け抜ける。
闇はすぐ後ろまで迫っている。
逃げても逃げても追いかけてくる。
一秒、また一秒無慈悲に刻むように真綿が喉元を締め上げるように。
息が上がる。
逃げろにげろ。
肩をあげて必死に取り込む酸素が肺を拒絶するように拒んでいく。
悲鳴に似た呼気の音。
薄暗い、影色を纏った木の葉が視界の邪魔をする。
栄養を少しでも飲み込むために張り巡らされた木々の根が足元をすくおうと狙っている。
身体が酷く軋んで重苦しい。
それでも、ぐるぐるとまわる思考だけが“逃げろ、逃げろ”と警鐘を鳴らす。
―怖い。
――恐い。
―――苦しい。
だけど、逃げ切れたらこの先には自由がある。
そう、俺は信じる。
※この作品の初稿は2022年9月よりpixivにて途中まで投稿しています。
その作品を改定推敲加筆し続編連載再開としてこちらに投稿しています。
その他詳細はリットリンクにて。
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