「#創作大賞2024応募作品」❅ルナティックエンメモア Lunatic aime moi -紅紫藍―32.墨彩の滲む雨
❅32.墨彩の滲む雨
『“幸せがある。”』
狂ったように暴れまわる鼓動を無視するように唱えた。
俺には、希望がある。
手元には輝きを蓄えて鮮やかに示すミハイルのホープダイヤモンド。
それはいまや艶やかに光を携えて真っ直ぐ行くべき道を照らしている。
「約束したんだ。
必ずたどり着くと。待っていると。」
振り返るな。
恐怖も
絶望も
誘惑も
何も見ないように。
ようやく駅らしい建物が見えた頃には追手は、闇はどこにもいなかった。
森を抜けた先、ひらけた場所。
差した明かりに月明かりだろうと
上を見れば夜空に月がぽっかりと浮かんでいた。
もう既に追手の気配はない。
だが念のために周囲を警戒して闇を探る。
やはり、迫る闇はいないようだ。
手の中のホープダイヤモンドの光線が指す道をひたすら進めばちゃんと駅構内へ入ることが出来た。
ひとひとりいない静まり返った駅は少しの奇妙で愁愛を醸し出している。
ひやりとした風がどこからともなくふいて滴り落ちる汗をさます。
少し駅内を把握しておこうと歩き回ってみる。
自分の呼吸と足音だけが響いていた。
「サマエル!!」
呼び止められた声に振り返ればずっと求めていたミハイルがそこにいた。
その姿に胸の奥底から言葉にはできないような愛しさが溢れてくる。
よかった。ほんとに。
どうなるかと思った。
ミハイルは必ず来ると信じていた、信じてはいたが心配だった。
無意識に暴れていた鼓動がミハイルという存在に宥められていく。
力の入り切ったからだも、握りしめた拳もミハイルを見ただけでほぐれていく。
突如、体に打撃が走った。
衝撃に顔をしかめて「なんなんだ。」と溢せば
ミハイルは俺を抱きしめて顔をうずめてくる。
身体を締め付けるように回された腕は力強く驚いて固まった俺に。
ミハイルは「サマエルが無事でよかった。」そう言って俺は更にきつく抱きしめられた。
満たされていく温もりでもう寒くなんてない。
ミハイルが触れられる距離にいる。
温もりを全身で受け止められることがこんなにもしあわせだと感じる。
「…つよい。いたい。」
そう零しながらミハイルの背に腕を回し抱いていた。
ほんとうにらしくない。
だが、たまにはこんなのも悪くない。
なんて、やっぱり俺らしくもない。
それでも柄にもなく抱きしめあったりなんかして。
ミハイルと再開したことにこころの底から幸せを感じた。
「やったよ。やったんだよ僕ら。」
「そうだな。」
とくしゃくしゃとその頭を撫でてやる。
嗚呼もうコイツと一緒に自由になれる。
「ずっと一緒だな」、なんて笑いあった。
喜びをかみしめてしばらく抱き合っていれば近距離でミハイルの体が見えてくる。
その身体には所々切り傷や刺し傷、痣なんかが見受けられた。
それまるで苦笑するほどの揃いの満身創痍。
それでも痛々しいそれもこれも勝利の勲章だと思えば誇らしい。
艶やかな頬に刻まれた紅の一筋を親指で撫でてやればミハイルは委ねるように瞳を伏せた。
そこにひとつ口づけを落として
「満身創痍だな。」と笑ってやれば
「サマエルも。」なんてミハイルも笑った。
無機質でいて異質さを醸し出すどこか空虚なトンネルについっと瞳をむける。
「このトンネルの先、路線を辿っていけば人間界につくんだな?」
「うん、たぶんそう。確証はないけど。」
「信じる。」
にやっと笑ったミハイルはいった。
「それで…」言いかけた言葉は。
「サマエル!!!」ミハイルの声によってかき消された。
そんな幸せ、すぐに壊される。
永遠には続かない。
どれほど想ったって。
どれだけ願ったって。
“変えられない”
痛いほどわかっていたはずなんだ。
≪ダァンッッ≫
一瞬見えたミハイルの険しいような恐れるような強張ったような表情。
ついさっきまで有り余る喜びに抱きしめていた身体に走った衝撃。
何の前触れもなく呆気なく重力に沿って崩れ落ちるミハイルを慌てて支えた。
どういうことだ。
なんで。
どうして。
気づけば背中に走る衝撃は俺を捕らえていて。
首元は傷を抉り続けるみたいにビリビリと熱く頭は割れそうに金切声みたいな悲鳴をあげている。
聞こえたのは1発の銃声で。
何が起こったかなんて分からなかった。
靄がかった思考が墨色の雨に塗れて直視することをどうしても拒もうとする。
ばらばらと崩れ落ちるとても美しくて温かくて滑らかだったはずの何かは粉々に割れて鋭利さを剥き出しにして。
柔い部分をにじり踏みつけられたようなとめられない圧迫感。
現実に必死に縋りつこうと、
ただ茫然と≪ミハイル≫を見つめれば「守れて…良かった。」と。
“よかった。”と呻き声に似た声で繰り返す。
意味が分からない。
何故俺は床に寝そべっている?
なんであんたはこんなにも呻いている?
状況を理解したくて身をよじってみても≪ミハイル≫にのしかかられた体はびくともしない。
引き寄せようと背に回る手の合間をとめどなくぬくもりが伝って零れていく。
吸ったはずの息が引きつって。
ひとっつも香りを拾えない。
なにもわからない。
ひとつすらそれを拾えない。
「…凛弥?」
不安になって真名を呼ぶ俺にニコッと笑う。
それなのに。
そのきれいな笑顔に似つかわしくない紅が≪ミハイル≫の口からとめどなく溢れている。
――――それはまるで。
―――――命の燈火の色で。
いくつかは首を伝っていて。
雫になったそれが俺を染めていく。
お互いを結ぶ鎖が傷跡が塗り重ねられて消えていく。
それが途轍もなく焦燥を煽る。
一心にテラテラと鈍くひかるそれを見ていたらぐっと抱き寄せられた。
≪ミハイル≫の顔が見えなくなったことに途轍もない不安が俺を引き摺りまわそうと手を伸ばしてくる。
「おいっ!、おい、ミハイル!!」
≪ミハイル≫の体がゆっくりと重力に沿って俺のもとにのしかかってきて俺はあわてて≪ミハイル≫を呼んだ。
絞り出した声は必死で覆い隠せないほど格好の付かない醜いものだった。
「まだ、…サマエルの真名、教えてもらってないのに…」耳元で小さく笑うように囁かれた声。
「そんなのいくらでも教えてやる!!だから。…だから行くな!!」
――そんなの、なんで憶えてんだよ。
「…ねぇ。…名前…呼んで。」
「ミハイル、ミハイル、ミハイル!!」
―――『呼んでやるよ、いつだって。』
「名前。呼んでよ。」
――だから。俺の前から消えるな。
ずるっと身にのしかかる重さが増して悟りそうになってはそんなはずはない胸の奥が絶叫する。
「…《紫月凛弥》。《紫月》、《凛弥》っ《凛弥》っ《凛弥》!!!!」
必死で呼んだ。
「こたえろ!
こたえろよ!!!ミハイル!!!!」
かなきりごえにも怒号にもつかないその声をどこか冷めたように見つめる藍の月が浮かぶ。
段々とその声が醜く大きく早くなっても≪ミハイル≫がもう返事をすることも動くこともない。
とにかく≪ミハイル≫をどうにか動かそうと力を入れても重さが何倍にもなって背中も、ズキズキと傷む首元も、ガンガンとうるさい頭も痛くて。
そして、何よりぬめって滑った。
そのぬめりが何色かなんて俺には簡単に想像できてそれが何かなんてわかったけれど、脳が分かることを拒否していた。
どうして…。
…どうして。
…どうして!!!
これで全てが自由だと思っていた。
努力が報われたのだと。
たった1秒。たった一瞬。
目を伏せれば、
希望は。
光は。
幸せは。
温かさに摺り寄ったその瞬間。
それは瞬く間に自分の指の隙間をこぼれ落ちていく。
闇が光を喰い散らかし汚濁が全てを飲み込んだ。
温かい拠り所は必死で掻き抱くこの手を擦り抜けて無力さを突き付ける。
「なぁ、ミハイル…。お前が正しかったよ。」
グッと強めた両手は大切なたった一つさえ繋ぎ止められない。
サマエルの瞳からつつっと墨彩の混じった一つ雫が零れ落ちた。
※この作品の初稿は2022年9月よりpixivにて途中まで投稿しています。
その作品を改定推敲加筆し続編連載再開としてこちらに投稿しています。
その他詳細はリットリンクにて。
➩https://lit.link/kairiluca7bulemoonsea