ざまみろセノビック‼️
ざまぁみやがれ
私はセノビックを買って貰えない子供でした。
ついでに言うとミロもです。
経済的にとかじゃなくて、親が買ってくれないパターンです。
私にとってセノビックは実に魅力的な商品でした。
牛乳が苦手な私にとって将来の身長は非常に気がかりで、実際当時(幼稚園~小6)はそこまで身長の高い方ではなく身長順に並んだ時は大体真ん中よりちょっと前ぐらいでした。
でも、何よりも嫌だったのは家族に「ちっちゃいやつ」と言われる事です。
ちいかわじゃねんだよ。
父の身長は181cm、母は169、姉は172。
強豪校ですね。
「姉が172ってことはお前も大きくなるんじゃないか?」
色々な人から言われました。
でも違うんです。
姉はいわゆる、「クラスに1人いる、小学生なのにめちゃめちゃでかいヤツ」だったのです。
皆さんのクラスにもいましたよね。
あれ、私の姉なんです。
なので、当時の私は「小学生から大きくならなきゃノッポになれないや…」と思っていました。
普通に考えたらそうなりますよね??
もちろん中高で大きくなる人は沢山居ます。
でも、同じ遺伝子を受け継いだ私の姉は小学生からずっと大きかったんです。しかも小学生で伸びきって中高ではそこまで伸びませんでした。
その証拠に姉は24になっても小四の時に修学旅行のために買った、しまむらのパジャマを今でも着てます。
ということは、私の両親の間に生まれた子のノッポになるルートは小学生の頃からでっけぇやつになるしか無いのです。
当時ドシャドシャに焦ってました。
小三になっても平均身長以下だったので、今まで全部残してた牛乳をイッキ飲みするようになりました。
牛乳パックを解体する時に上の口を全部開けますよね?あそこから口に流し込んでました。
ストロングスタイル。
それでもなかなか身長が伸びない。
そんな私にはもうセノビックしか無かったんです。
キッズステーション、カートゥーンネットワークを見る時に流れる
「カルシウムとボーンペップのセノビック~🎶
(ワッフ~)」
という小気味よい調子の歌が流れる度、私は母にすがって嘆願していました。
「絶対飲むから~~買っておくれよォ~~~!!」
そうです、小学生がベネッセを親に嘆願する儀式を私はセノビックでやっていたのです
(ベネッセでもやってたけどさ)
そうして、セノビック(あとミロ)を買って貰えないまま私は中学生になってしまいました。
相変わらず身長は真ん中ちょっと前。平均身長を超えていたかもわかりません。
「このまま私は家族にちっちゃいやつって言われ続けるんだ……ちくしょう……ちくしょう…」
体育で整列する度に悲しくなってしまいます。
そんな私に転機が訪れます。
中二の終わり、ちょうど本格的にコロナが騒がれ始めた頃でしょうか。
膝に、むず痒いような痛みが走るようになります。
成長痛が来たのです。
そうです、私は中学に入ってからろくすっぽ勉強せずに睡眠ばかりは1丁前にとっていました。
10時間は寝てた気がします。
そんな上質な眠りは私に四肢の痛みをもたらしました。
そこからは早かったです。
半年後、ズーム授業が終わった頃には私の背は母と並んでいました。
ここからはもう伸びんだろ……と思った所から5センチくらい伸びたりもしました。
今では172cm。男性の平均身長です。
ざまみろセノビック。私はお前抜きでもでかくなったよ。
ざまみろセノビック。やっぱり最後は睡眠がモノを言うんだ。
ざまみろセノビック。1度くらい、飲んでみたかったなぁ。
でも、姉とタイになった今でも家族にはちっちゃいやつと呼ばれてます。
なんなんだ。