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タイピスト、居酒屋、そして選果


僕の好きな食べ物は数あれど、いざ聞かれた時になかなか出てこないが割と上位に入っている食べ物の中に「ピノ」がある。

皆さんご存知のアレだ。
ファミスタのめちゃくちゃ足が速いアイツではなくて、森永製菓から出ているバニラアイスにチョコをコーティングしたアレの事である。

僕とピノの出会いはいつだったか定かではない。

ただ、小さい頃から祖母の家に行くと夕飯をご馳走してくれた後、しばしば「ピノあるよ!」と黄色くてボロい昭和の冷凍庫から四角くて赤い6個入りのピノの箱が出てくるのがお決まりだった。

ピノが無いと祖母宅の向かいの小さな商店にわざわざ買いに行ったりもした。

それからというものの何となく、「アイスと言えばピノ」という無意識下の洗脳をされ続けて今に至る。
様々なアイスに浮気はせども、僕にとって揺るぎない不動の地位を築いているのは「ピノ」だけだ。



祖母にとっての初孫だった僕は果てしなく甘やかされた。
お酒が大好きだが、シラフでも信じられないくらいのゲラで何にツボっているのかよく分からない時もある。
父と母はそこそこ気難しい性格なので、自然と私は底抜けに明るい祖母に懐くようになった。

それ故に、僕は悪魔的に楽観的で図々しい祖母の性格も見事に受け継いでしまった。
今日の僕のマインドの基礎を作っているのは祖母と言っても何ら過言ではない。


太平洋戦争の空襲で甚大な被害を負った地元を、祖母は18歳で飛び出し上京して当時最先端だったタイピストの職に就いた。

その後、タイピストを辞めた彼女は地元に戻ったものの嫁の貰い手が無く、当時としては珍しく30歳を過ぎても独身だったそうだが、
幸いな事に見合いで地元の漁師だった祖父が彼女を見初め結婚してくれた。

祖父も祖父で子供が生まれたばかりなのに「長嶋茂雄が野球を辞めたから」という理由で急に漁師を辞め、急に居酒屋を始めたりする変わり者だった。
そんな彼にずっとついて行けるポテンシャルの持ち主と言えば話が早いだろう。


僕はそんなタフで破天荒でキラキラした祖母が大好きだ。
こんな書き方をするとまるで亡くなったかのようだが、今も普通にご存命だ。ピンピンとまではいかないが図太く生き続けている。

祖父が亡くなってからも高校の時好きだった先輩と再会して80過ぎてから恋愛を始めたり、

数年前、一緒に車に乗っていると「この道知ってるけど、どの男とどの車でこの道を走ったか覚えてねえ」とか言い出したり、

この間も膝の怪我のリハビリ中に尻もちついて脊髄ぶち割ったのに背骨にセメントを流し込まれてどこも不随にならずに退院し、
医者には「オムツだからトイレ行かないで下さい」って言われたのに
オムツが嫌だから5日飯食わないでやったガハハと電話が来てヤバ過ぎて笑ってしまった。

86にもなって生き様がロック過ぎる不死身の女、それが我が祖母。

敬老の日にはかなりフライングしてしまったが、これからも無理せず、平常運行で生きて欲しい。

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