シン・放浪戦記 第1話「退職」
わたくしは学生だったが、サラリーマンでもあった。ミレニアムという聞きなれない単語が隆盛を極め、そしてすぐ廃れていった2000年代初頭。ITバブルといううさん臭さと拝金主義のハイブリッドの輝きは学生には抗しがたく魅力的で、特に、大学入学に浮かれて遊びまわる同級生に嫌気がさしている小生意気なガキにはその輝きは魔性のそれであった。デジタルハリウッドのウェブデザイナーコースを半年で卒業するとわたくしはウェブ制作会社のアルバイトだけにあきたらず、旅行会社(いわゆるtour operatorという零細企業)でシステム管理者も始めた。ウェブ制作では今は亡きAdobe Flashが全盛を極め、Action Scriptがついにガラケー向けにでたり、HTMLとCSSで物理構成と装飾が分離され、メールやスケジュールが社内オンプレミスサーバーで集中管理できるようになったそんな夢のような世界がアカルイミライの入り口だと信じられていた牧歌的な時代。それがこの物語が始まった時代だ。
「貝野君はどうするの?うちの会社を辞めた後に。」
60を超えた初老だがエネルギーに満ち溢れた女性経営者は学生であるわたくしに言った。満面の笑みが能面のように張り付いている。そのコミュニケーション能力の高さに惹かれそして押しつぶされた若者としてはその笑顔には抱えきれない何かがあった。自分の頭のよさを鼻にかけ、社会で大人相手に一儲けをする若造は言語能力という点でその鬱屈さを表現するにはまだまだ未熟だったといえる。
社長から屈託のない笑顔を向けられている、このマンションの一室には何度足を運んだことか。フランス語で「幸せ」を意味する名前を付けられた役員相当の人間だけのデスクのあるマンションの別棟。オペレーションチームがいる事務所とは別に、60cm2程度のマンションの一室に閉じこもって平均年齢60代前半の人間が仕事をしていた。
大手旅行エージェントを定年退職した缶チューハイ好きのおしゃべりなH氏。システムの面倒をみていたVAIO好きのI氏。見た目がサザエさんにでてくる波平さんまんまの統計に詳しいS氏。社長からは仕事は遅いが真面目と常に言われる女性経理が唯一の40代に見えた。これに冒頭の女性社長を加えた5人にからくるITにまつわる様々な依頼を無茶ぶりと感じつつ捌くというのがわたくしの仕事の原体験になる。一例をあげる。
(1) 営業の受注管理システムと経理システムをサブシステムを間にはさんでつなげてほしい。
(2) 会社の公式ウェブのリニューアルを自動化したい
(3) 政府観光庁のページを受注したから作ってほしい
(4) ウェブでBtoBだけではなくBtoCの旅行手配依頼をメールではなくウェブフォームで受けてDB管理したい。そしてゆくゆくはダイレクトマーケティングしたい
(5) ミスコンを開催するから、ついては、応募者の女性の話し相手になってほしい
(6) 支社の社長(女性経営者の次男)の彼女が日本にいるので、とあるフランスの植民地から東京にプレゼントを届けてほしい。(ちなみに支社長は既婚者である)
….といったようなこれはウェブデザイナー兼システム管理者の学生契約社員の手には余る業務量と仕事の幅なのでずいぶん鍛えられた。現在ではSaaSのようなものを導入すれば一発解決みたいなニーズも多いが、当時は複数のサービスを組み合わせたり、そもそも会社に自前のサーバーを立てたりしないといけないので、どれもそれ相応に大変な仕事量だった。後に大学を卒業して就職した際に「大手って仕事の幅が決まっていていいなぁ」と心底感じたのをよく覚えている。少なくとも社長の次男の愛人にプレゼントを海外から運ぶような任務は上場企業ではなかなか降りてこない。
「大学も休学しているので、引継ぎマニュアルも作り終えたら、考えます。」とわたくしが社長に答える。引継ぎマニュアルは三日くらい徹夜してWordで30~40ページ書いたように思う。
社長がすべてのメールを後でチェックしたいからと言われ、全社員のメールをオンプレミスサーバーに保存するようにしたらディスク容量圧迫がひどくなったのでバックアップコマンドをテープメディアに移すバッチの運用や取引先から巨大なメールが送られてくるとたまに死ぬメールサーバーだったので特定メールのサーバー上からの削除の仕方、WindowsNTサーバーへのパッチの当て方、ウェブページの更新の仕方、ファイルの場所、部長や経理専用フォルダの権限付与管理など今考えるとかなり時代を感じる内容が多かった。が、当時中小企業と零細企業の間くらいに携わったことがある人ならばわりとアルアルなものも多いかもしれない。
ドラマのように辞表をたたきつけるのかなぁとぼんやり思っていたが、そんなわけもなく、退職は淡々と進んだ。中小零細企業でワンマン社長と合わないと思ったら辞めるしかないのは古今東西変わらないが、唯一心が動いたのは激しい二日酔いのなか足繫く通った蕎麦屋の顔なじみのお母さん的な店員に「今日で会社辞めるんでもうここにも来なくなると思います。おいしかったです。ごちそうさまでした。」と頭を下げた時だった。
大学も休学しているのでもう話す友人も社会人生活で忙しく、話したい相手もいない。塗れすぎた俗世を忘れたくなったわたくしは漂白されたくなった。沢木幸太郎の深夜特急に入れ込んでいたせいか、ふと決意した。
旅に出よう。