アバター/ウェイ・オブ・ウォーターは絶賛されるような作品か
先日、巷で話題のアバター/ウェイ・オブ・ウォーターを見てきた。
またしてもいろいろと思うところがあったので書き残しておきたい。
多分に漏れず文章力の無さと現時点での感想というところなので今後考え方が変わることもあり得ることはご承知いただきたい。
まずネタバレのない範囲でいうと事前に各所で出回っていた感想の通り、映像はたしかに綺麗だった。
冒頭の侵略シーンや水中の描写などCGのクオリティはかなり高く、また明るいシーンでも粗を感じることの少ないレベルの高さは素晴らしかった。
一方で物語としては前作同様お粗末さを感じるものだった。
前作はまだ展開としてありふれたものという「映像に力を入れた分ストーリーはシンプルにしたんだね」という落とし所のあるものだったが、今作に関しては作りたい画のためなのか必然性を無視した展開が続くため「なんで?」と思ってしまう部分も多かった。
実際観に行く前の感想を見てもその映像美を誉めるレビューは多かったがストーリーやキャラクター性に対しての高評価というのは少なかったように思う。
そこで世間一般では高評価を受けている今作から敢えて個人的に見ていてストレスを感じた点を綴っていきたい。
ここからはネタバレがあります。
・魅力の薄い敵
厳密にはクオリッチのアバターのようなものだが、2作目の敵が一作目と実質同じかつ退場させなかったことで続編以降でもどうせこいつが敵対するのだなというマンネリが生まれてしまう。
これが最終作で満を辞して再登場といった形ならまだ歓迎できたかもしれない。
ましてやジェイクとクオリッチは家族とか元親友とかそういった心を動かすような背景がある関係性というわけでもないため、今後話が進めば進むほどこの2人が戦う意味や必然性が薄れていくだろう。
かといっていきなり共闘などされてもそれはそれで興醒めである。
少なからず現代の映画作品において『悪役』という立場はある程度の魅力と共感性、必然性を求められる。
ただ個人的な恨みで主人公を狙う悪いやつ、では作品の深みもキャラクターの深みも生まれない。
どうにかして深みを作ろうとしたのがスパイダーの存在だったのだろうが、それでも彼の必然性を生むには薄っぺらすぎた。
無駄に生き延びさせてしまった以上次作での扱い次第では今後も心配である。
・なぜジェイクはメトカイナに行ったか
スカイ・ピープルによって家族や部族を失うことを恐れたジェイクは、トルーク・マクトの立場すら捨てて家族を連れ海の部族=メトカイナの元を訪ねる。
正直この行動に関しては本当に作り手側の都合でしかないと感じた。
その時点で自分が狙いだと分かっている以上、家族を本当に守りたければメトカイナに預けてさらに自分は離れるべきだろう。
さらにいえばこの行動はスカイ・ピープルがオマティカヤ族を襲わなければ他の部族がどうなっても良かったのか?と取られても致し方ないように思う。
例えばこれが事前にメトカイナ族のリーダーやその家族と深い親交があるとか、かつて共に戦った部族とか何かしらそこに至るまでの確固たる理由があって頼るのであればそこに必然性も生まれよう。
しかしながらそういうわけでもなく(一応会ったことはある設定のようだが)、あまりに必然性がないためただ単に主に製作陣にとって描きたい映像に都合が良いからそこを目指したようにしか見えないのである。
・扱いが雑すぎる子供達
そもそも子供が産まれ育つシーンを回想で済ませていること自体もこの作品の厚みのなさを後押ししているように思う。特に息子の描写にはなぜそうなったのかと思わされるシーンが多かった。
次男坊、ロアクはまるで話を聞いてもらえない。
たしかに彼は問題児であり、それ故に聞いてもらえない部分もあったのだと思う。
しかしここまで周りの大人が誰一人耳を傾けないということがあるだろうか。
ましてや親である2人すら聞こうともしないなんてことは本当にあるだろうか。
物語の展開上その方が都合が良かったのだろうが、少し無理があった。
終盤、子供達はクオリッチ率いる敵勢から逃げては捕まりを繰り返すが、このシーンも見ていて作り手の引き出しの少なさを感じるシーンだった。
ただ単に主人公のピンチを作り作品を盛り上げるための舞台装置と化していたからだ。
主人公のピンチを生むのも子供達に見せ場を作るのもほかにいくらでも手段はあっただろう。
しかしながらただただ組み合わせを変えながら同じことを繰り返していく、いわば遅延行為とも言える描写の連続にはこの作品の積み上げの薄さを見て取ることができた。
結果としてネテヤムは最後には命を落とすことになる。正直言って彼の死も必然性のないただの泣き所を作るためのものでしかないとさえ言えるような雑な展開だったが、それ以上に雑さを感じたのが死後である。
先ほどもあげたように視聴者は子供が生まれ育つシーンを回想を使ってダイジェストで追いかけたにすぎない。
にも関わらずその回想シーンを元にした親子のシーンをクライマックスでさあ泣けと言わんばかりに見させられるのだ。
初めて見る視聴者であれば3時間近く前のダイジェスト映像で泣けと言われても、という感じである。
今作と前作の間の物語をやっておけば、その中でダイジェストではなくきちんと描写されていればそのシーンももっと深みが出たのではないだろうか。
・伏線の張り方が下手
今作はあまりにも伏線のつもりであろう謎が多く、そこに対しての答えというものが今作で明示されていない部分も多かった。
これに関しては単独作として作られた前作と違い、今作は五部作構想の第二作という位置付けにあたるせいもあるのかもしれない。
しかしながら物語の中で(特にアバターのような長編作品では)序盤〜中盤に置かれる次作以降の伏線というのは基本的にその作品にとってはノイズにしかならない。
比較的ノイズになっていない事例としてはMCUやハリーポッターシリーズが挙げられるが、これはどちらも原作があってこそ成り立つものである。
観客に意図を汲ませることのできない伏線は伏線と呼ぶにはお粗末なのである。
敢えて厳しく評価しているが、現代の流れとしてアバター/ウェイオブウォーターが人気が出るのは理解はできる。
SNSが生活に根付いた昨今、映画に限らずエンターテイメントというものはそのものを楽しむというよりは経験を共有することを楽しむ方向にシフトしてきているからだ。
そんな世の中でエンターテイメントは、「映像が綺麗」とか「音楽が良かった」とかSNSに感想を書く上で誰でも気軽に表現できる要素がかなり重視されるようになってきている。
そういう潮流があるからこそ、アバター/ウェイオブウォーターは支持されているのだろう。
しかしながら、内容の薄い映画というのは飽きられやすい。
次作では「火」をテーマにするという記事も見かけたが、またしても映像表現を見せたいためだけのお粗末な舞台装置を乱発するような作品でないことを願いたい。