「居るのはつらいよ」を読んで,過去を振り返る.
「居るのはつらいよ」を読んだ.
博士号を持った臨床心理士が居場所型デイケアで経験したことを,ケアとセラピーを主人公として書かれた学術書だ.
いる と する
ケア と セラピー
アジール と アサイラム
ただ,いる,だけ
など,作業療法士としてクライエントに関わる上で貴重な学びとなる内容だった.
本当だったら,仕事中に出会った出来事と本で学んだことを元に考えていたのだけれども,途中で自分の過去の「いる」を考えてしまっていた.個人的な経験だけれども書いていこうと思う.
中学か高校の頃からか,はっきりとは覚えていないけれど,家にいることが嫌いだった.正確には,家の居間で家族と一緒にいることが苦手だった.だから,食事が終われば自分の部屋に閉じこもった.
家族が嫌いとか,親の愛情を知らずに育ったということではないけれど,ニュースや新聞の内容について,批判的な会話をする家族が怖かった.この人たちは,全てを否定するのではないと思っていた.当時の私にとって,家族の団欒とは,次は自分が否定されるのではないか,価値観を押し付けられるのではないかという恐怖の対象でしかなかった.
当時,怖いと告げることも,恐怖に打ち勝つこともできなかった私は,距離を作ることしかできなかった.家族の団欒に私は「いる」ことができなかった.「ただ,いる,だけ」すらも.
そんな私だが,家族の中にいても,今は前述したような恐怖を感じてはいない.家族の団欒にいることを可能にしてくれた存在がいた.姉の子供にあたる甥っ子たちである.
高校生の頃,甥っ子が生まれ,私は叔父になった.姉夫婦は共働きで,一緒に姉夫婦の帰りを待つことが多かった.その間の遊び相手は,もっぱら私だった.
可愛くてしょうがなかった.そして,否定も肯定もせず,”遊ぼう”と求めてくれることがたまらなく嬉しかった.いつまでも遊んでいたかった.気づけば,私は家の居間にいることができるようになっていた.自分の部屋に閉じこもることも減っていた.批判的な話をされても,恐怖を感じなくなっていたし,意見を言うこともできるようになっていた.
家族からは,「甥っ子たちと遊んであげてほしい,面倒をみてあげてほしい」と甥っ子たちに「与えてほしい」という趣旨の声をかけられていたが,与えられていたのは私もだった.甥っ子たちに救われていた.甥っ子たちに家族の団欒にいることを可能にしてもらっていたのだ.
「居るのはつらいよ」を読んで,このことを言葉にできた.文章にできた.本当によかった.東畑先生,ありがとうございます.
そして,甥っ子たちよ.わたしは,君たちがいたから,今も家族でいることができている.本当にありがとう.
たぶん,この記事を甥っ子たちがみることはないと思うけど,彼らが困ったときに力になれる叔父でいることが,恩返しと思っている.