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もっとヒマになろう

「むら」を作ることは、文化を作ること。今の文化があるようでない状態から解き放たれることが目的。

例えば世代論のようなステレオタイプじゃ無いけれど、同じ時代の空気を吸った人、同じ言語を使っている人。その人達にしか分からない感覚というものがある。その時代の空気、無意識は測定できない。ただ現代の日本で上の世代が作っている文化はマスマーケティングと大量消費社会の時代を生きていたことの影響が大きい。例えばランドセルや学用品の標準化、お中元、お歳暮、みたいな社会のポジション消費。逆に戸建てや自家用車のステータス消費。時代の積み重ねでできた歴史の上で、ぼくらの文化が今ここにある。

広告の受け取り方は、この10年で随分と変わった。実際はインターネット時代がマス広告の効果を低減し、googleやfacebookといったパーソナライズド広告がさらに追い打ちをかけている。細かく分割された興味の中、個人個人を的にした広告の引力には逆らえない。ビッグデータを論理的で高学歴な人々が作ったモノに素人は逆らえない。子育てしている身としては心底心配。Youtube子育てはロクな事にはならないだろう。子供はショート動画の引力には逆らえない。

大衆文化の中心がない状態で、テレビやSNSからのおすすめ情報を受け取りたくないと考える人もいるだろう。時代の流れの隙間に落っこちた人は世の中と折り合いがつかない場合、どうすればいいだろう。アクティビストになるのはコストが高い。でも今の文化が気に入らない。子育てに突入すればどうしたって社会の大きな流れ以外の物に触れさせたくなるのだ。「虎に翼」はOKだが、耳障りなネットミームや無意味な噂話にはうんざりだ。

外側を示すのがカウンターカルチャー。ヒッピーというムーブメントは本流との対話の手段を持たなかった。マイナーカルチャーに憧れを持っていたぼく個人は、外側にいる人たちの強烈なメッセージが大好きで、FUGAZIやCRASSのようなポリティカルなパンクが好物だった。しかし外側に居ること自体が価値なので経済、教育、貿易、国防などのイシューはカバー出来ないし、するつもりもないようにぼくは受け取った。

対立姿勢で根本的な変革を試みたグレタさんのポジションがある。だが、ぼく視点から見るに、世間は「お前もいずれ大人になるだろう」と、鉄壁ガードしているように見える。中年男性として反論のしようがないだろうとぼくは思うのだが。

X軸を対立↔︎調和。Y軸を根本変革↕︎小規模変革とするとマトリクスの「対立、根本変革」の左上はカウンターカルチャー(例えばヒッピー、ブラックパンサー党など)。「対立、小規模変革」の左下はマイナーカルチャー(パンク、コミューンなど)。右上の「調和、根本変革」は社会改革運動。右下の「調和、小規模変革」はオルタナティブ教育。(代替医療、オルタナティブ教育など)に置いてみよう。

ぼくが考えている「もっと遠くに文化を投げる場所づくり」はどこに位置するんだろうか。

例えば100人が米を作るとする。10a(30m×30m)あたりの収量が8俵(480kg)、一人当たりの消費量が80kg←2022年の日本人の米消費量は50.8kgなので試算は多めに見積もる。面積は1.67ヘクタール(130m弱×130m弱)農水省のデータいうと、1反あたり65時間の労働時間。一般的な賃借料で、肥料、農薬、種苗、光熱費などの物財費は高めに見積もって10aあたり82,753円。100人で作業したら一人当たり10.84時間の労働で一人当たりコストが13,802円!

なんの為に働いているのか分からないくらい安い。作業量と外部に販売する農産物、加工品などを損益分岐点のちょっと上を目指せば遊びながら暮らせるという実験をする場所があったら楽しいじゃあないか。エンゲル係数を下げて制作活動に精を出せば付加価値はめちゃくちゃ増えるかも。という予感だけでもワクワクする。もっとヒマになろう。

その「むら」のポジションはどうなっているのか。先ほどのマトリクスで言えば調和、根本改革を目標。コミュニティといえば、人間関係で淘汰される側の人間は割を食う場合がある。出入り自由な複数のコミュニティで仕組みを作る必要がある。

どうやってこれらの問題点から抜け出す、効率的な市場とは異なる経済合理性ではなく、遊びと生産が一体になった生活の実現が出来るのか。次はぼくの頭の中だけで繋がっているけど本文で抜け落ちている部分を埋めていきたい。つづく。

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