【21】着物記者歴30年のライターも驚く「究極のきもの」とは? 糸づくり篇⑥
「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクト!
《私たちのシルクロード》
第21回 糸づくり篇最終回⑥「精練」で見えたもの
お蚕さんから糸を作り、染めて織って着物に仕上げる――この全工程をレポートする「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクトです。
それは「私たちのシルクロード」。
前回「糸づくり篇」⑤では、中島愛さんによる合糸(ごうし)から撚糸(ねんし)の工程をレポートしました。あっという間に今回で「糸づくり篇」最終回。糸づくりのクライマックスといえる「精練」(せいれん)は、思っていた以上にドラマティックでした!
■「ありがとうセリシン」
糸づくり最後の工程は「精練」です。
「精練」とは、お蚕さんが吐いた糸の周囲を覆っているセリシンという粘着性のあるタンパク質を落とすことをいいます。セリシンは、今回の「糸づくり篇」で頻出した重要ワードでもありました。
繭から糸を引き出すときには、湯に入れてセリシンを少し落とし、繭質を柔らかくしました。(下写真は第17回より)
下の写真は、座繰(ざぐ)りで引いた生糸(きいと)。糸の表面をセリシンが覆っているので、くっつかないよう綛(かせ)の状態にして保管しました。(下写真は第19回より)
その後、合糸や撚糸のときも、作業の前は水に浸け、少しセリシンを溶かすことで糸がまとまったり、撚糸しやすくなったり、セリシンの粘着質を思い切り利用してきました。ありがとう、セリシン。(下写真は第20回より)
ここでセリシンとお別れです。
でも、我らがセリシンてば偉大で、保湿性や抗酸化作用があり、化粧品や医薬品によく使われているのは周知のとおり。
■精練は「火力が大切」
さあ、セリシンを落とす精練の作業に入りましょう。
灰汁を入れて弱アルカリ性となった湯で加熱しながら精練を行います。
灰汁の作り方
精練の2日前、ポリタンクに木灰を入れ、その上から75℃くらいのお湯を約60リットル入れます。灰は、中島さんの自宅の薪ストーブから得たもの。そのまま2日間放置し、上澄み液を濾して完成です。最終的にpHが9~10くらいの弱アルカリ性になればいいので、木灰の量や湯温は季節によって変わります。pHは測定器と紙の試験紙の両方で計測しています。
精練は、経糸(たていと)1回、緯糸(よこいと)1回、同じ精練の度合い(練り減り率)になるようにまとめて行います。今回は12月30日に緯糸、31日に経糸を精練しました。
「精練は火力が大切」なので、業務用の大きなコンロを床に置き、大きな寸胴鍋に灰汁を60リットル入れて90℃を越えるまで強火で加熱してゆきます。その後は弱火で、できるだけ90℃を維持します。
確かに、下の写真を見ると、熱そうな湯気は立っているけど、ごぼごぼと沸騰はしていません。
90℃にも意味があるのでしょうね?
沸騰させないようにするのは、熱による糸の傷みを軽減するためや、沸騰により糸が動いて綛が乱れるのを防ぐためです。綛が乱れると、糸同士が絡まって解くのが大変なばかりか、糸も傷みます。そのため、できる限り綛糸を動かさないように精練します。
しかし、あまり動かさないと精練ムラになるので、何分かに一度は、糸を上下に操って灰汁に浸けている箇所を変えます。(中島さん)
染色でも用いる糸繰り専用の棒で糸を繰ること、1時間ほど。糸は水分を吸い、とてつもなく重いので、いつも汗だくになって行う重労働です。
精練の作業は、一番緊張すると中島さんは言っていました。それはなぜでしょうか。
「精練は感覚で判断しなければならないからです。精練の最中は糸を高温の灰汁の中に入れ続け、随時セリシンが落ちていきます。灰汁から出すタイミングが遅ければやり過ぎとなり、糸が毛羽立ち、傷みます。灰汁から出すタイミングが早すぎればセリシンが残りすぎ、硬い糸になります。この判断を、灰汁の中で糸を触った感覚だけで決めなければなりません。灰汁の中にある糸はセリシンが溶け出ているのでヌルヌルしていて、乾いているときとはまったく違うので、判断が難しいのです。そのためもっとも緊張する作業となります。」(中島さん)
精練では、精練後の糸洗いも重要な工程です。
糸を灰汁から出し、40℃くらいの多めのお湯にいれ、糸を繰りながら洗います。お湯を何回か替えながら洗い、その後、今度は水で何回か洗います。最初にお湯で洗うのは、お湯で洗わないと、セリシンが糸に戻ってしまうからです。お湯で、溶け出したセリシンを完全に洗い落とします。その後、水で洗って、締めるのです。
その後、酢酸を入れた水に糸を入れて、アルカリの状態になった糸を中和します。そしてまた水洗い。糸をできるだけきつく絞り、水気を取ります。1綛1綛、手で整えて部屋干しで自然乾燥します。
■精練で見えてきた糸の本質
完全に乾いたら、重さを量り、精練前の重さと比べて「練り減り率」を出します。セリシンは、生糸の20数%を占めますが、後の染色でもセリシンが落ちるので、中島さんは吉田さんに相談のうえ20%くらいを狙っていました。
ところへ、乾きかけの緯糸を見たら、コシが強く、硬めだったので、まだセリシンが残っていると感じました。乾燥後に練り減り率を測ったら21%。数字としては悪くないのですが、糸の感触から精練が足りなかったと判断し、翌31日の午前中に緯糸を再精練し、午後に経糸を精練しました。
すると、再精練したにもかかわらず、緯糸の練り減り率に変化がありませんでした。この状態がほぼ丸練り(セリシンがほとんど落ちている状態)だということです。
「セリシンが残っているから、コシが強いのではなくて、糸の本質としてコシの強い糸でした。精練しても、精練前と本質が変わらず、強い糸だなあと思いました。精練は糸にとって過酷なので、だいたいの糸は、精練後、本質が薄まる気がします。でも今回の糸は、本質が薄まらず、コシが強く、毛羽立ちも少なく、切れにくく、セリシンを取り除いても、強い糸でした。このような糸を精練するのは初めての体験でした。」(中島さん)
中島さんの言葉で、私は上下の写真を順に思い出していました。燦々と太陽を浴びて育った桑。この桑を、卵から孵って、赤ちゃんのときから繭を結ぶ直前までお蚕さん達がずうっと食べ続けてきました。
そして、体がぶらさがった状態で無心に桑葉を食べるたくましいお蚕さん。強い糸を作ってくれたのですね。「アリガトネ」←誰の声?
■糸の脱皮!?
染織担当で、精練の経験もある吉田美保子さんが言葉を補ってくれました。
「精練の糸繰りは、とてつもなく重い、と書かれていますが、感覚的には染色の数倍は重いです。溶けかけのセリシンがなぜこんなに重いのか。濃いめの蕎麦湯みたいにお湯が濁ります。」と吉田さん。なるほど蕎麦湯。
「あと、精練後に洗うのもものすごく大変です。染めの後の洗いと比較になりません。染めは繊維に染料を吸着させることなので、洗い落とすのは吸着させられなかった余分だけですが、精練後の洗いは、セリシンをアルカリで反応させて剥がれやすくしたものを落とすので、水洗いが大変かつ重要なのです。これが甘いと、さっぱりしませんし、糸が赤っぽくなったり、手触りが悪かったりします。今回、とてもいい状態でしたので、さすが中島さんいい仕事しますねって思いました。」と、語り出したら止まらない吉田さん。面白いから、もう少し語っていただきましょう。
「お洗濯で例えれば、染色後の洗いは別に汚れていないけど1日着たから洗う感じ。精練は、泥だらけのドロドロの洗濯物という感じです。大変、大変と、喧伝しましたが、精練は、絹糸がガラッと変身するので興味深く、神秘的でもあり、またもちろん化学変化でありますので、とても面白いです。強い自然そのものが、たおやかにドレスアップした感じになります。」
中島さんは「その通り!分かってくれてる~」と叫びたくなったそうです。
「精練しながら、私は糸が脱皮しているようだな、と思っていました。生きものが自分の皮膚を徐々に取り外すみたいな。つるっとした、柔らかい、真新しい皮膚が現れるようです。精練はとても大変ですが、糸が美しく変貌してゆくさまを見ていると、確実に疲れは吹っ飛びます」(中島さん)
さあ、精練され「ドレスアップ」あるいは「脱皮」した緯糸です。
■「花井さんの繭の糸」とは?
糸づくりを終えた中島さんに、今回の一連の仕事について聞いてみました。
「この仕事は、生きものを扱う仕事です。繭を通して、お蚕さんを感じます。そして花井さんを感じ、繭が育った山鹿を感じ、お蚕さんの食べた桑を感じます。今回は、とても強くそう感じた仕事でした。」(中島さん)
「今回の糸は、お蚕さんの結んだ糸の表情を、できるかぎり座繰り糸に残したいと思い、それに力を注ぎました。私にできることは全てしたと思います。なので『花井さんの繭の糸』ができたと思います。」(中島さん)
「中島さんの『生きものです。絹糸は。』って言葉(第20回参照)、なんだかじんわりきました。私、育蚕しているとき『このお蚕さん達は私がこの世からいなくなっても、誰かの元で長く生き続けてくれるんだもんね』と思う(願う)ことがあります。」と語っていた花井さん。花井さんの繭が、中島さんによって絹糸に生まれ変わりました。
■そして、糸は吉田美保子さんへ
年が明けて2021年1月5日。中島愛さんの工房に吉田美保子さんが訪れ、240中の経糸14綛、264中の緯糸12綛を受け取りました。写真は、その日、zoomで初めてつながったプロジェクトメンバー。まだ4人揃って会ったことはないけれど、シルクで結ばれた縁に感謝したひとときでした。
精練され、セリシンが除かれた絹糸は、染料が染まりやすくなります。染織家の吉田さんに託された糸は、どのように染められ、織られてゆくのでしょうか。
毎週月、水、金曜にアップしている本連載。次回は5月31日(月)です。桑の育成からレポートしてきたこのプロジェクトも、いよいよ「染め織り篇」に入ります。どうぞお楽しみに!
*本プロジェクトで制作する作品の問い合わせは、以下の「染織吉田」サイト内「お問い合わせとご相談」からお願いします。